見出し画像

「紙もの」を絵解き(えとき)してみた② ポーランドの「領土回復」マッチラベル

動く国境線

このようなことを書くのは不謹慎だが、ヨーロッパの歴史で興味深いのは、国境線が動くことである。不謹慎と書いたのは、国境線が動くことで、大勢の人が亡くなったり、家を追われたりということがあるということ。今も国境線の変更狙いの戦争が行われていることは大変悲しいことである。
中央、東ヨーロッパの中小国は、ドイツ、ロシアなどの大国に挟まれていたことから国境線が変わったり、大国に取り込まれたりしてきた。
なので、これらの国はおそらく、島国の日本の我々と違って「国境」をいろいろなことで意識しているのだと思う。

ポーランドの1965年のマッチラベル

このポーランドのマッチラベルには「北方・西方領土の回復20周年」と書かれている。
ソ連は第二次大戦中に占領した東部のポーランドをそのまま占領、その代償としてオーデル川以東のドイツの領土をポーランドに割譲した。結果、ポーランドの国は約250キロ、東京から浜松相当の距離が西のドイツ側にずれた。この割譲は1943年、テヘランで英米ソ3国が決めたが、ポーランドは加わっていない。
850万人とも1000万人ともいわれている、ポーランド領になった旧ドイツ領のドイツ人は逃亡、追放、強制送還となった。そしてソ連領となった地域に住んでいた218万のポーランド人に入植地としてあてがわれた。
あまりに多くのドイツ人に影響することから、英米はこの国境線に反対しはじめたが、ポーランド側は10世紀末、ポーランド最初の王朝ピャスト朝が、この地域を支配していたことから歴史的権利と主張した。「回復」とあるのは1000年前の領土の回復のことである。
ラベルのデザインは地図を意識しているようで、国の象徴の鷲の翼の湾曲はグダニスク湾を表し、ダンチヒ(グダンスク)、シュチェチン、オポレの各都市の紋章が地図と同じような位置に描かれている。

絵本に描かれた国境の守り人

ポーランドの「KIM ZOSTANIESZ? WYBIERZ SAM!(何になる?自分で選ぼう!の意)」(Włodzimierz Scisłowski 1986年著)という子ども向けの絵本には、当時の職業が描かれていて興味深いが、紹介されている44の職業の1つが「兵士」で、日本ではなじみがないが、国旗の色の縞模様を描いた国境の標柱にたたずむ姿が描かれている。
ポーランドは世界史の教科書にも書かれている通り、何度も国土を切り取られ、国が消滅した歴史がある。絵本への掲載から、国境を守る兵士へのリスペクトがうかがわれる。

ハプスブルグの絵葉書に描かれた兵士

時代と国を違えて、1905年の消印があるハプスブルグ君主国(現オーストリア、ハンガリー、チェコ等)の絵葉書にも、雪景色の中に隊列を組む兵士のような人と、縞模様の入った標柱が描かれていた。
標柱の上には黒、黄のハプスブルグ君主国の旗がつけられている(赤く見えるのは後の着色のようで、なんらかの理由でドイツ人が自国の国旗の色の赤黒にしようとしたと考えられる)。
当時大国であった国においても、絵葉書に登場するほど、国境が努力で守られているという意識があったのだろう。

まとめ

日本は島国なので国境線を意識することはあまりないが、中国、ロシアといった大国に接し、こじつければ太平洋の向こうはアメリカで、大国に挟まれており、ポーランドなどの国と共通するような気がする。答えはまだ書けないが、荒波を超えて生き残っている、これらの国の歴史を調べることは、様々な知恵を見つけることができる気がする。

引用参考文献
沼野充義監修『中欧 ポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー』1996年 新潮社
渡辺克義編著『ポーランドを知るための60章』2001年 明石書店

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?