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犬と暮らしていたころは楽しい思い出のひとつ

粘土のネタを探してる

毎年、定期的に粘土作品を作ってネットにアップするなりどこかに発表するなりしようと思いつつできないでいた。
何かを作りたいって気持ちも、何を作ろうって気持ちも、ちょこっとずれると、作れなくなる。
何かを作らなければ、何を作ったら良いだろう、何が受けるかな?、何が見てもらえるかな?、いつまでにどれだけ、どんどん自分を縛る制約ができてしまう。

ほとんど見られてないってことは、それだけ自由なんだ。

誰かが書いていた。誰も見てないかも知れないんだし好きなことを書けばいいんだ。
ほとんど見られてないってことは、それだけ自由なんだ。
期待に応える必要は何もないんだ。
好きなことを作ればいいんだ。自分の好きなこと。自由に。普段考えてないと、抑えてたり控えてたりしてうまく思い出せない。最近聞いた歌の歌詞にも、君の好きなものは、本当に君の好きなものなの?ってあって、何が好きなんだろう?ってぼんやり考えた。

最近幸せだったこと

最近犬の写真をペンでなぞってトレースしてたら幸せな気持ちになれた。
とびかかってくる犬の写真。輪郭をなぞってた。形がだんだんできていった。
そして犬と暮らしていたころのことを思い出した。
もう何十年も前、実家暮らしの頃
幼少、まだ記憶もほとんどない頃、白い大きな犬がいた。
アルバムに一緒に写ってる写真がある。そいつとの記憶はほとんどない。

実家の犬

大学通うのに家を出るまでの19年ほど。
途中犬のいない時期もあった。
三匹の犬と過ごしたのを覚えてる。

庭にいて、学校から帰ってくるとわかるようで、必ず吠え始める
顔を見せるまでずっと吠えてた。
顔を見せると尻尾をブンブン振って、犬小屋から出てくる
犬が出てきてくれるとうれしい気持ちになる。
それは今思い出しても、変わらずうれしい気持ちになれる。

犬は、散歩に連れてくこともあるからそれを期待してるのかも
散歩に行けないときは、小屋の周りで少し遊ぶ
飛びかかってくるのを受け止めて払いのける。
犬は楽しそうにまた飛びかかってくる。
それを飽きるまで繰り返す。

散歩に行かないでひとしきり遊んで帰ると、遊び足りないかのようにしばらくずっと吠えてる
散歩に行って帰ってきてもやっぱりしばらく吠えてた。
もっとあちこち歩き回りたかったのだろう。

今まで考えたことなかったこと

犬は犬小屋にいる時、どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
犬小屋で何をかんがえてたのだろう。
そんなこと今まで考えたこともなかった。
そもそも犬は考え事をするのか?

犬をモチーフにしよう

充分幸せな気持ちになれた。
犬のことを思い出して、あの頃のことを考えてるとなんか作れそうな気がしてきた。
犬を作ろう。犬をモチーフに作ろう。

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