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雑司が谷散人の街道遊歩 0769

日光街道 1日目-05 2019.5.4

本堂東側に二天門。
今の門は慶安2年に建てられ、もとは随身像を左右に置いたことから随身門と呼ばれたが、明治17年に広目天と持国天に変わり、名を二天門に改めた。
今は右に持国天、左に増長天。

二天門

二天門で浅草寺境内を出ると、日光街道の道筋は東参道へ。
左手の花川戸公園前に、履物問屋街発祥の碑。
下駄や草履などの問屋街が形成された街。

履物問屋街発祥の碑

花川戸公園一帯は姥ヶ池跡地。
浅草寺創建の頃、浅茅が原と呼ばれた荒野のあばら屋に暮らす老婆が、泊めた旅人を殺害して金品を奪い、遺体を池に捨てるという悪行を繰り返していたところ、浅草寺観音菩薩の法力で龍になって池に沈んだことから姥ヶ池の名があるという。
明治24年に埋立てで消滅。

姥ヶ池跡地

浅草寺東参道から国道6号に出ると、まもなく隅田川の言問橋西詰へ。
橋は昭和3年の架橋で、それ以前は渡船があった。
橋の向こうにスカイツリーを捉える。

言問橋西詰

言問橋西交差点から、日光街道の道筋は吉野通りに入る。
右手奥には浅草寺支院のひとつ、待乳山聖天。
境内のあちこちに大根と巾着の印があるが、大根は聖天への供物で、毎年1月の大根祭りで知られる。

待乳山聖天

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