見出し画像

きっかけは「朝のスフレパンケーキ」

心のエネルギー源が分散している多趣味な僕に比べて、彼女は燃費がいいというか、両手におさまるだけのものを大層丁寧に愛でるような人だ。「好きな時に絵を描いたり、お菓子を焼いたり、動物園に行ったりできれば、この先もご機嫌に生きていけるわ〜」なんてよく言っている。

そう、僕らの初デートは動物園だった。スケッチのためによく来るというお言葉に甘えて、その日は勝手知ったる庭を案内してもらうことに。入園料を交通系ICカードで支払えた時点で僕がえらく感激しているのをそのままに、彼女が最初に向かったのは人の少ない静かな展示場だった。あらゆるものに目移りしている牛歩の僕を時折り生存確認しながら、定位置に着いたらしい彼女がノートにペンを走らせる。初めて見たその横顔に、長いレンズを使って一度目のシャッターを切った。

以来、動物園が二人のお出かけ先として定番になった、という訳ではなく。朝早くから装備を整える彼女のバイタリティーを眩しく思いながら、今日も僕はただ玄関先から見送るだけ。一緒に行こうよと必ず誘ってはくれるんだけど、あの日見たような、キラキラした彼女の時間を邪魔したくないという気持ちの方が大きくて、どうにも遠慮してしまう。それに、十七時のチャイムとともに帰ってきたところを出迎えて、晩ごはんとスケッチブックを囲みながら一日の収穫を聞くひとときも、それはそれで好きなのだ。

でも今日は、珍しく朝から彼女の元気が無く。得意なはずのスフレパンケーキもどうやら一緒にしぼんでしまったようなので、初めて僕から動物園へ行こうと提案してみた。ただいつもとは違って、彼女の相棒であるノートとペンは留守番にしてもらった。もちろん僕のカメラも同様に。行き先には二人で訪れたあの場所しか挙げられなかったけど、平坦で歩きやすかったし、小柄な動物が多くて、公園の延長にあるような穏やかさが印象に残っていた。

今年は春の到来が早いのか、すぐにでも花開きそうな蕾が辺りを彩っている。何歩も先を駆けていく背中を追いかけるのも楽しいけど、こうして並んで歩くのもやっぱりいいよね。あと、元気が無い時に行く場所があってもいいし、なんというか、彼女にとって動物園はそういう場所なんじゃないかと勝手に思っている。改めて聞いたことはないけど、たぶんきっと。落ち込んだ時にこそ聴きたい音楽や食べたい料理があるように、動物園も僕も、彼女の心を軽くできる何かでいられたらいいな。心地よい彼女の声を聞きながら、そんなことを考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?