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スティーブン・ジェラード

「ナイスシュート!今のシュート、"ジェラードみたい"だね」

「この距離から決めれるのジェラードくらいでしょ」

「イングランド代表のサッカー選手といえば?」
「えーと…ベッカムとジェラードかな」

スティーブン・ジェラード。イングランドサッカーを語る上でいや、世界のサッカーを語る上で彼の名前を避けて通ることは出来ないだろう。
彼はイングランド、ウィストン出身のプロサッカー選手。
1987年イングランドの名門リヴァプールのジュニアユースからトップチーム昇格後も1998年~2015年にわたってリヴァプールのキャプテンとしてキャリアを築き上げキャプテンとしてチームの輝かしい功績に大きく貢献した。彼のプレースタイルはキレのあるドリブルとなんと言っても豪快なミドルシュートだ。先程の”ジェラードみたい”とシュートの代名詞になる程、サッカー経験者であるならば彼のプレーに憧れを持ったものだ。もちろんリヴァプールのサポーターは現役を引退した今でも誇りに思っているに違いない。縦横無尽にピッチを駆け上がるそのプレーはサポーター、イングランド国民、世界中のサッカーファンに勇気と幸福感を与え続けていた。しかしそんなファンである人々を彼のある決断によって怒りと反逆の渦へと発展する事態なるとは思いもしなかった。

2005年5.25.リヴァプールは欧州の世界一の決戦。UEFAチャンピオンズリーグの決勝の舞台に立っていた。もちろんジェラードも出場していた。相手はイタリアの強豪ACミラン。ここまでの立ち上がりからみるとリヴァプールは劣勢と言われたがPK戦の末、勝利し欧州のチャンピオンチームへと上りつめた。サポーターは喜びに道溢れていた。そんな興奮冷めやまらない7月になんとジェラードはクラブに移籍を志願を申し出るのであった。

ジェラード自身が「生涯リヴァプール」を誓った6週間後の事だった。サポーターは信じられなかったかもしれないがこれは紛れもない事実であり、瞬く間にイングランドに知りわたることとなった。サポーター達はこれを受け荒れに荒れユニフォームを焼くサポーターもいたそうだ。リヴァプールにはマイケル・オーウェン、ルイス・スアレスといった世界的なストライカー過去に在籍していたが彼ら移籍をしチームを離れている。そんな中ジェラードだけは残ってくれた。チームに対する愛情を感じていたサポーターがここまで熱くなる行為は分からないでもないですよね。
ジェラードは移籍を決断した理由について、自分との契約に積極的ではないと語った。ヨーロッパチャンピオンになった相応の契約を提示してもらえなかったことから満足いかなかったという構図である。一方でその天秤にかけられる対象をとなったのが同じくイングランドのビッグクラブチェルシーだった。この時チェルシーは破格のオファーを出していたという。合わせて世界一の指導者としての名を馳せていたチェルシーの当時の監督ジョゼ・モウリーニョはジェラードに対して心底惚れ込み直筆の手紙を送るほどだったそうだ。総じてチェルシー側に気持ちが傾くのは必然だったのかもしれません。怒りと興奮冷め止まないなか再び事態は一転することになる。

リヴァプールはジェラードとの年俸500万ポンドの新契約を発表した。これでまるでなにもなかったかのように事は丸く収まった。しかしこれは一体何が起きたのかというと、ジェラードは最初から移籍をするつもりはなかったと語っています。そうなんですこの一連の移籍騒動はなんとジェラード自身がクラブが自身に対する愛情を確認するために行った行為であるという。こんな愛情確認の方法あるか?って思っちゃいますけど…。しかしここまでの騒動になろうとは自身も予想外だったそう。お前が移籍したら私たちはリヴァプールに住めなくなると親戚に泣き付かれたというエピソードも明かしている。そんな嵐のような日を過ごしジェラードはリヴァプールに残留する決断をする結果となった。なかなかスリリングだとは思うが、その後もジェラードはリヴァプールでキャリアを続け、華々しく引退していった。

リヴァプールと言えば昨年のヨーロッパチャンピオンそして年始に日本人初のプレイヤーとして南野拓実選手が加入したことでも有名ですよね。今はコロナウイルスの影響でイングランドプレミアリーグは中断中ですが、リヴァプールは2位マンチェスターシティに勝ち点差25をつけぶっちぎりの単独首位で、クラブ史上初のプレミア制覇は間違いないでしょう。残念ながらジェラードが在籍している間はその夢を叶えることはできなかったけれど今の最強のリヴァプールの基盤はジェラードなくしてはないものだったでしょう。

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