白痴論文

 完全に自業自得なのですが、自分の肩書きが迷子になった。このままでは、全然レジ袋が無料の頃からエコバッグを普段使いのカバンとして重宝していたアイツと同じ、「追放」になってしまう〜!さらに悪いことに、私の場合は大学からだけでなく社会からの追放で、より復帰が困難と予想される。あと引越しやら機種変やらで変わった情報を、1年以上然るべき機関に連絡したり更新したりしていない。うだうだ悩んでないでさっさと謝罪と手続きを済ませてくればいいのに。明日やろうは馬鹿野郎。1日でも早く謝罪に向かうべきなのはそれはそうだけど、進捗ゼロなのに今更どのツラを下げて行けと?相応しい手土産が用意できてから謝罪に行くつもりなので、手ぶらの今日は行けませーん。
 この記事では大学院博士後期課程の「終わらせ」方について紹介したいと思います。結局は大学によりけりなので各々事務に問い合わせてもろて…。

課程博士

 難易度はまあまあ。大学院博士後期課程に3年間通えば修了なので、院試に通った時点でほぼ確定と考えてよい。院試はほどほどに詰められるけどそれなりに専門に沿った問題が出るので、よっぽど変わった奴を弾くみたいな感じです(学校や機関、教員によります)。その後犯罪などの変なことを何もやらかさなければ。あと、そもそも制度にないとかそういうのじゃなければ。3年間(優秀な方は短縮可能)、学校に所属することになります。通うことで取る博士号。

論文博士

 論文で取る博士号。企業やお役所に所属しながら取るなど、大学に所属してなくてもOK。年数縛りがないが、そのぶん(?)難易度は高くなる。赤の他人に審査してもらった査読論文や紀要論文などを数本書き、「博士論文」を書いて審査してもらい、審査に通過することで得られる博士号。なんか日本独自の制度だそうで、一説によると論文博士なくなる説もあるらしい。私は結果的にこっちを狙うことになった。ぶっちゃけいつまでも研究室にいる妖怪を生むことにつながっている側面もあるとは思う。「ロンパクこそが一番オーソドックスな正規ルート」という考え方もあり、というか自身の周辺ではその方法以外受け付けないみたいなところがある。過程博士を満期退学や休学してその数年後に論文博士を取るという人も多い。

単位取得退学・満期退学

 卒業に必要な単位は取ったけど、必要な論文が足りてないとか博論書けなかったとか落ちたとか("落ちる"ということがどれくらいあるのかは不明)そもそも課程博士の制度がないとか、必要な条件を満たす前にタイムアウト・ギブアップするとこれになる。
 私のところも、課程博士という制度がそもそもない(???)らしく、満期退学か論文博士とるかしかないらしい。今は現実から逃避し、かつて持っていたはずのなけなしの社会性を駆使してなんとか築いたはずの信頼関係を叩き壊し、勝手に自分で自分の首を絞めている。でもぶっちゃけマイナススタートからの逆転って脳汁出るもんね。そうか?別に状況をマイナスにしたからといって、成功のための布石には全くならないと思うので、状況をよりよく整えておくに越したことはないと思うんですけど。「健康は病からの回復過程においてしか実感できない」みたいな言葉を思い出す。というかここ最近だけでなく物心ついて以来ずっとそれやってる。健康を実感するために、意図的に病になろうとしていませんか?本末転倒ですよ!高校入って赤点を叩き出したのに受験期にたまたま親から逃げるために勉強をすることになったの、本当にタイミングが良かったと思う。スタートラインがだいぶ後ろにあるのに、かなり追い上げたと思う。大学受験には落ちたが。最初から勉強してれば良かったのに…(ロボ)

除籍

 お前という人間がそもそも大学院博士後期課程に存在してなかったことになる処分。何をした場合除籍を喰らうのかはわからんが、ここまでバカみたいなコストかけてギャンブルして、全てが無に帰すのはキツイだろうな。

そんで

 博論書きたいけど書きたくない〜〜〜ッッッ!ていうか怒られたくない。あと今まで書いたものを見直したくない。謎クラウドからのデータサルベージもしたくない。校正とか、もちろん苦手だし。10万文字書いてせいぜい数人が読む程度のものをどうして…しかも別に興味ない人に読んでほしくないし向こうも忙しいだろうしこっちも興味ないもの読ませるの申し訳ないし…指導教員くらいはせめて興味あれよ…そもそも読んでもらうために審査料も5万強払わなあかんし…。
 そして本当にこれが最後だったら、頑張ろうかなという気にもなるんですが、最後じゃない。よく書けたものなら出版、出版助成ガチャ、営業、売り込み、よく書けなかったら忸怩たる思いを抱えて修正したりしなかったり、あるいは別の企画でお声がかかったりかからなかったり、あるいは就活、終わりがない〜ッッ!もしかしなくても死ぬまでこんな感じなんですか?もういつ死んでもいいって思春期から言ってるんですがまだ死にませんね…どうでもいいけどD論を本として出版するのって文系しぐさなんでしょうか?身近にわりとゴロゴロいますが、理系のお世話になった方達は簡易製本止まりで博論を本にするという文化がないようだったので。理系は知識の更新速度がエグいから書籍として出版する意味があんまりない、ということなんでしょうか。
 母校は、卒業して学問と手を切る人にはそのタイミングで研究の成功体験を積んどいてもらおうという教育方針だったため、学部卒予定者(と他大院進希望者)には厳しく、進学組には失敗してもいいのでわりと自由にやらせるという方針でした。私もそれなりに自由にやらせてもらったと思ってるのですが、それって今まで一度も「成功」していないということなのでは?と思うようになりました。挑戦回数が多いのに成功回数少ないの可哀想。
 ゲームや二次創作って基本怒られが発生しなくて本当にいい。好きなことを好きなように好きなだけやっていればいいので…好きなようにやってただけで誉めてもらえるレアケースさえあるし… マインクラフトで山を削っていたのですが、それも終わりが見えてきました。今は、山の中にある湖をどうやって潰そうかなって考えてます。
 全部終わったら本とか全部捨てたいな…やっぱり人生、定期的なリセットが必要だと思うし…。

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