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いろんなことがあったので日記

日記として

本当にここ最近は怒涛のような毎日だ。

6/25にうまれた娘はNICUで順調に成長していた。
高速で片道40分の病院に平日でも通ったほど、
我が子は可愛くみえた。そして実際にかわいい。

妻は一足先に退院し、あとは娘の退院の日がいつになるのか
たのしみにしていた。

7/4(木)

そんな7/4の16:30ごろ
母からLINEがはいっていた。

父が病院に搬送されたから帰ってきてほしい

とのこと。

通常なら焦る。
だがわたしは平常心だった。変な胸騒ぎもしなかった。

父は65歳。

すこぶる元気がない65歳。

しかしどこの病院で診てもらっても、異常が見つからなかった。
体は元気だったのだ。
ただ精神が病んでいた。

いや、実際には「うつ病」でもないと診断されていたから
病んでいたのかどうかはわからない。

とりあえずなのか、精神安定剤は処方されていたので
飲んでいたようだった。

その薬の副作用なのか、夏でも寒いと言ったり
好き嫌いが多くなったり
頭がいたい、吐き気がするなどの不調をうったえるようになっていた。

 そんな日々が10年以上続いていた。


体は元気な父が急に倒れるとは考えにくかった。

そして母も電話ではなくLINEで知らせてくるあたり
危険な状態ではない、と勝手に判断した。

一応母に電話をする。


急に意識がスーッとなくなって、呼んでも反応しなくなったから
かかりつけの診療所の先生を呼んだが
救急車を呼びましょうということになったので呼んだ、とのこと。

その話をきいて
「精神安定剤を飲みすぎたか何か、か」と思った。


会社を16時半で退社し、言われた家の近所の総合病院に向かった。

母がソファーに座っていた。

自分の日記なので、赤裸々に書く。


母が畑作業をしていると父がやってきて
「お母さんごめん、とりかえしのつかへんことをした」と
謝ってきた。

何をしたの?ときいても父はごめんを何度も繰り返した。
その後、隠れてタバコを吸っていたことを自白した。
すごくいっぱい吸っていたそうだ。
(ちなみに父は禁煙していて、家族の前ではいっさい吸わなかった)

ほなやめたらええ、と母がタバコを没収した。

しばらくすると父がタバコが吸いたいと言ってきた。
母はもちろんだめだ、と断った。

父は家の外にある灰皿を漁りだした。
母は吸い殻をゴミ袋に捨てた。
父はそのゴミ袋をあけて漁りはじめた。
母は祖母の介護用のおむつをゴミ袋につっこんだ。

父はそれでも吸い殻を探そうとしたので
さすがに様子がおかしいと思い1本だけタバコを渡した。

父はタバコに火をつけ、3口くらい吸うと火を消して
去っていった。

母はまたタバコを探しにくると思い
吸い殻をバラバラにしてゴミ袋に捨てた。

やはり父はしばらくするとタバコを探しにきた。

捨てたと母が言うと、ゴミ袋を漁ろうとした。
母が「あかん」と制止していると
座ったまますーっと意識を失った。

母が呼びかけても応えず、よだれが垂れてきたので
診療所の先生を呼んだ


とのことだった。

タバコの吸いすぎで意識を失うのであれば
咳がいっぱい出るとか痰がからむとか、症状が出るはずだが
父にそんな様子はなかった。

救急処置室から先生がでてきた。
とりあえず脳に異常はない、とのこと。
ただ心臓は心不全の気がある。

とりえあず原因はわからない。

父は検査と治療?をうけて、病棟にうつされ
母とわたしは入院の手続きをした。

ベッドにうつされた父に会いに行くと
大きないびきをかいて眠っていた。

家に帰りながら母と話していた。

精神安定剤がぬけるまで病院で預かってくれへんかなーと。
病院にいてくれた方が安心やし、という内容。

母は父方の祖母の自宅介護をしていた。
福祉施設でヘルパーとして働いていたが
家のこともあるし、体力的な面もあり退職して
家事と介護に専念していた。

今回の件で、父は退院できてもフラフラの状態だろうし
祖母と合わせて面倒を見るのはかなり負担がかかる。

だからこそ、父はしばらく入院してほしかった。

ただ目がさめたら2、3日で退院になるだろうと話していた。


父は精神安定剤を長年服用していた。
母は薬があってないのでは?ということで
病院をかえて診てもらったりしていた。

6月中旬に別の病院で診察をうけ、今までと違う薬を処方してもらったが
吐き気がする、と言って父は嫌がっていたそうだ。

そして睡眠薬も飲んでいた。

1日1錠の薬だが、家に帰ってかぞえると1日2錠以上飲んでいたことがわかった。

そして、おろらく今回は
この睡眠薬を多量にのんだのだろう。

だから効き目が現れるまでに「とりかえしのつかないことをした」と
母に謝ったのだろう。と推測したが
下手したら死ぬし、睡眠薬を1日2錠ペースで飲んでいる異常性に
背筋が寒くなった。

精神安定剤で錯乱して自殺しようとしたのではないか、と


7/5(金)

父が目をさましたと連絡があった。


やはり父は「死んだろ」と思って睡眠薬をのんだと
看護師に話していたそう。
ただ笑いながら、ということだった。

妻から娘の退院日が7/7の日曜日にきまったと連絡があった。

そして7/6土曜日から病院にとまって娘と一緒にすごす練習をさせてくれると。

娘が退院できる喜びと、ようやく長い時間一緒にすごせる喜びで
土曜日が待ち遠しくなった。


7/6(土)

そして土曜日の朝。

わたしは母に起こされた。

わたしの姉の旦那さんのお婆さんがなくなったので
おくやみ行ってこい、とのこと。

朝の8時ごろだったか。
わたしは言われるがまま、義兄の実家にむかった。
しかし施錠されていて、誰もいない様子だった。

姉に連絡すると、まだ病院にいると言われた。

母はかなり早とちりである。


さっさと娘の病院に行きたかったが
おくやみも行かないといけないので
姉からの連絡を待っている間に父のお見舞いに向かった。

病室に行ったが父はいなかった。

しばらくするとトイレから出てきた。

あいかわず顔に覇気がない。
そして家族に迷惑をかけたという後ろめたさが感じられた。


病室にもどって、着替えを渡した。
そして父が着ていた服もうけとった。

「病院でもタバコ吸ってんの?」ときくと
「これ以上吸ったら死んでしまう」と返答したので
死ぬのは怖いんだな、と少し安心した。

父は「すまんね」と繰り返していた。

5分ほど滞在して、わたしは義兄の実家に向かった。


すでに親族たちが集まって段取りを話し合っていた。
正直わたしはかなり他所者だ。
義兄はまだ少しは話せるが、その親族となると会うのは2回目くらいか。

甥っ子たちの相手に専念した。

夕方くらいに解散になったので、そこから高速にとびのって
娘と妻がまつ病院にむかった。


最近は色々おこるなーと思って少し疲れていたが
娘に会うと完全にふッ飛んだ。


なんなんだこの可愛すぎる生き物は!


はじめて親子3人で過ごせる日
ニヤニヤが止まらない。

病院の売店が閉まっていたので、わたしは外のコンビニに
晩飯を買いに行った。

700円以上買うと引かせてもらえるくじ引きで
1,500円のユンケルがあたった。

過去最高額だ。

頑張れよ、と言われている気がした。


娘は正確に3時間ごとに起きた。タイマーのようだった。
妻と二人でミルクをあげたり、オムツを変えたりした。
基本的に飲んだらすぐ寝たし、寝たらほとんど起きなかった。


7/7

朝の6時ごろ、わたしの携帯に知らないPHSから電話があった。

こんな朝に誰やねん、とわたしは無視した。


しばらくすると姉から電話があった。

「お父さんが病院のベットから落ちて頭うたはった。意識がないらしい」と。

「なにやってんねん」

それを聞いて思った。なんでこんな日に!世話のかかるおっさんやな、と。


病院にかけつけるのを少しためらった。娘と一緒に退院したかったからだ。
妻に「とりあえず病院いってあげい」と言われ
わたしは父の病院にむかった。

道中、少し考えた

頭うって意識がない、ということは入院がさらに長引くし
下手したらほんまに介護せなあかんようになるか
後遺症が残るかもな、おかんの負担が増えてしまう、と。


病院につくと母がいた。


母から父はけっこう重症かもしれない、と聞かされた。

何回もトイレに行ってはって、けっこうこけてやったみたいで
頭何回もうってやったみたい。
看護師さんが見回りに来た時に頭が腫れてるの気づいて
先生に診てもらったみたい、と。


じっとしていると落ち着かないので頻繁にトイレに行っている
父の姿は容易に想像ができた。

母は祖母のご飯の用意があるので一旦実家に帰った。

わたしは一人で待っていた。


しばらくすると看護師さんに呼ばれて
ICUに通された。

子供用集中治療室に頻繁に出入りしていたので
手を洗って消毒するのは慣れていた。

ICUに入ると父がいた。


かなりたくさんの管がついている。

間も無く看護師さんに呼ばれてナースステーションに入った。
はじめて入った。
電話をわたされ、主治医の先生から話があると言われた。

電話の向こうで主治医の先生が名乗ったが覚えられなかった。

「頭を打った際に脳内に出血があり、かなり重症で治療しても
意識が戻る見込みはありません。
治療して意識がないまま延命するか、
お父さんは眠っている状態なので、このまま眠らせてあげるか
家族と相談してほしい。」
「お母さんはお婆ちゃんの介護でだいぶ疲れておられるから
このまま眠らせてあげた方がいいかもしれません。」


途中から正直、頭に言葉が入ってこなくなったので
たぶんこんな感じのことを言われたのだろう、と推測もあるが
出産までの出来事も含め、ドラマかよって展開が
今まさに自分の身に起こっていた。


しばらく頭がまわらなかった。


え?おとん死ぬの?


意味がわからない。


状況を理解すると涙が出た。

しばらく泣いたが、母に連絡しないといけない。

母に連絡して、とりあえず病院に来てもらった。

母も父が助からないことは知っていた。


母が病院に到着すると
もう一度ICUに通された。

父と数分ぶりの面会。

さきほどと違い、涙が止まらない。


もう父は目を開けることはないのだ。


母はそれをわかった上で、父に
「お母さん来たで。返事して」と話しかけていた。

ドラマみたいな展開だが、これは現実だ。
ドラマなら、夢なら、と何度も思ったがどうしようもなく現実だった。

母あてにまた主治医の先生から電話があった。

ICUから出て、外の待合スペースのソファーに座った。

しばらくすると説明をうけた母が戻ってきた。
目に涙は見られなかった。

ここで一番心配だったのは、母が父の治療を希望することだった。

母は祖母の介護で疲れている。
祖母はしぶんで起き上がる事も、歩くこともできない。
ひっきりなしに母を呼ぶ祖母。
祖母の介護があるから、母は出かけることもあまり出来なくなっていた。

それでも母は意識の戻らない父の世話まで買って出るのではないか、と。
なかばヤケを起こすんじゃないかと。


しかし母は冷静だった。冷静に見えた。
「もう、ええよな?」と

「もうええやろ」とわたしは返したが
父を見殺しにするようで、とてつもなく辛かった。


看護師さんがきたので、こちらの意見をつたえた。


看護師さんも泣いていた。


ベッドから落ちたくらいで死ぬほどの怪我をするものかね、
と疑問に思ったのでどういう状況だったのか、と尋ねたが
階が違うのでまだその辺の引き継ぎができていないのでわからない

とのことだった。

しばらくすると姉も病院にかけつけた。
生後7ヶ月の甥っ子をつれて。

母と姉は再度、ICUに入って行った。

甥っ子はわたしが預かった。


甥っ子は姉がいなくなるとすぐに泣く。
わたしも新米パパなので、あやすのはうまくない。

案の定、甥っ子は泣き始めた。

目の前にある「これからの命」と
扉の向こうにある「終わる命」

強く生きろよ、と言葉がわかるはずもない甥っ子に投げかけていると
理解したのか甥っ子はそれから泣かなくなった。


姉と母が出てきた。
姉は父を「空気の読めない自己中」と泣きながら罵った。

ショックを受けているのは皆同じ。
姉も平常心ではなかったのだろう。

関東から上の姉も帰ってきた。

とりあえず父は自分で呼吸できているので、
いったん帰って色々と片付けたり、準備をすることになった。

車にのった瞬間にダムが決壊したかのように涙が出てきた。


大声で泣いた。幼少期以来か。

父は10年以上、元気がなかったが
それまではとても明るい父だった。

割と公言していたが
わたしは父が大好きだった。


家につくまで泣いた。


父の頭は怪我の影響でどんどん腫れるので、脳を圧迫して
いずれ心臓や呼吸を指示する部分も機能しなくなる。
急変する可能性はかなり高い、と言われていた。

家について、とりあえずベッドに寝転んだ。

一気に熱がでてきて、頭がぼーっとした。


しかし母は義兄の祖母の通夜に行けと言ってきた。
なんなら昼からある納棺にも行けと。


あほか、と。


そんな状況じゃないやろ、と母に言ったが
「お父さんはまだ死んでないねんから行きなさい」と。


母もちょっとパニクっていた部分もあっただろうが
建前とかを鬼のように気にするタイプだし
ここで断ったら「わたしが行く」とか言い出しそうだったので
承諾した。ただ19時からの通夜だけにしてくれと頼んだ。

たしかに父はまだ死んでいないのだ。


18時まで寝てみたが、あまり熱は下がらないまま
義兄の祖母の通夜式にいった。


むこうのご家族も
「え?きたの?」というリアクションだった。
なんなら少しヒイテるようにも見えた。

何も考えないように努めたが、生花に父の名前を見つけ
家族以外のお通夜ではじめて泣いた。

まわりから見たら、よっぽと故人に思い入れのある人なんだなと
思われたかもしれない。申しわけないが事情が違う。


親族は通夜のあと、食事を用意していると案内されたが
お断りをして帰路についた。精一杯だった。


家に帰ってきて、妻に連絡をした。
妻は心配をしてくれていたが、最悪の状況だということは
予想していなかったのだと思う。
せっかく娘の退院の日に、なんて日だ!


7/8(月)

次の日、わたしは7時半ごろ会社に連絡して
「親族の葬儀があるので今日は休みをもらう」
「父が危篤状態なので明日も休むかもしれない」と伝えた。

10時30分から葬儀に参列した。

あたりまえだがメンタルはやばかった。

この日は他に、何かしたっけな。


その日の夢に父が出てきた。
父はすごく不器用にわたしを抱きしめて
「お母さんを大切にしなさい」
「変な薬は飲んだらあかん」というような言葉をくれた。

すごく短い夢だった。
夢というのは、けっきょくは自分で作り出したものなんだと思うのだけど
今回ばかりは父の意志だと思った。

7/9(火)

朝の5時くらいに目が覚めた。
そのまま7時くらいまでベッドに寝転んでいたが
目はギンギンに覚めていた。
ただ仕事どころではなかった。メンタル的に。

個人的にズル休みに近いかと思うのだが、許してもらおう。

平日の休みを利用して、まだ出せてなかった書類を
市役所に出しに行った。それくらいにメンタルは回復していた。

父はまだちゃんと自分で呼吸しているようだ。
母が言っていた。
父は結構長生きするかも知れない、という安心感が
わたしにはすこし芽生えていたのかもしれない。


今回は入院中に病院内で転倒して頭を打ったのが致命傷になっているので
病院側の過失を責めてもよいのかもしれないケース。

それを恐れてなのか、病院側もはっきりと状況を教えてくれない様子だった。

はじめはベッドから落ちて頭を打ったと聞いたし
母からはトイレに行くときに数回にわたって頭をぶつけていたと聞いた。
看護師さんが父の異変に気付いたのも
病室のベッドで、なのか
トイレに行くまでの通路で父が倒れていて、なのか。

後頭部が腫れていて
「これどうしたの?」と聞くと「頭をうった」と父が応えたとも聞いた。
手が痙攣していた、ともきいた。

ま、ほとんどが母経由なので
母が情報を錯乱させている可能性はあるが
本当のことはわからなかった。

もし「頭をうった」と父が応える事ができたのに
わたしが病院に着いた時にはすでに父の意識はなかったが
どんな処置をしたのか。

などなど。


おそらく、父のことだ。
本当にひっきりなしにフラフラと落ち着きなく出歩いていたに違いない。
それを病院側が夜間もしっかり監視しろ、とは思わない。

母も「もしあのまま退院してても、家の中で同じようにこけてたと思う」と
話していた。
まさにその通り。


病院から処置についての話があったらしい。

病院としては呼吸をサポートする管を入れないと医療放棄になる。
ただ、管を通すと退院してもらわないとダメなので
施設を探してください。

というような事を言われたと母が言った。

もともと父は意識を失った時も呼吸は自分で出来ていた。
だから母は「呼吸が自分でできなくなったら、それ以上の治療はいりません」と病院側に伝えていた。

しかし、その呼吸をサポートする管を入れないというのは
医療放棄になるのだそうだ。

病院側の言い分もわかる気はする。

しかし、管を通して「生かされている」だけで回復する見込みのない父を
お金を払って施設に預けないといけない。
しかもその施設をこちらが探さないといけない、というのは納得できなかった。

母にも、家族にも
そして何より父にもメリットは何一つ見当たらない。


「見殺し」とか「医療放棄」なのかもしれないが
経済的にも精神的にも負担にしかならない治療が正しいのだろうか。
命を「救う」ことになっているのだろうか。

ここぞとばかり病院の過失を責めてやろうかと。

7/10(水)

もやもやとしながら、わたしは仕事に行った。


午前中は落ち着かなかったが、昼飯食ったあたりから
おちついた。
同僚に状況を話すと
「なんで会社きてんの?大丈夫なん?」と心配された。

上司にも話すと同じ事を言われた。

話した上司は最近、奥さんを亡くされている。
そしてわたしとひどく状況が似ていた。
「会社にきてる場合じゃないやん。」と言われたが
会社を休んだところで
父は意識がなく、面会時間も限られているし
どうやら長生きするかもしれないので。と説明した。

父は今年になってスマフォデビューしていたがLINEを送ったことはなかった。

読まれることはないが父のアカウントに長文でLINEを数件送った。

7/11(木)

いつ電話がなって、病院から呼び出されるのだろうという
恐怖とストレスで精神が麻痺したのか
この日は本当に何事もなく過ごせた。

が、しかしこの日の晩に母から
お父さん肌の色がだいぶ変わってきたから
そろそろかも知れんと病院から連絡があった。と言われた。

一気に精神が不安定になった。
やはりまだ気持ちの整理はついてないらしい。

7/12(金)

案の定、朝から不安定だった。

家族LINEがけっこう頻繁にきていて
ブルブルとiPhoneが震えるたびに心臓もドキっとした。

仕事どころではなかったが
家にいても落ち着かなかったと思う。


7/13(土)

世間は3連休の初日。
わたしは娘に会いに行く予定をしていた。

が起きたら喉がとても痛かった。
風邪かも知れない。いや、微熱もあるし風邪だ。

娘にうつったら大変なので、この日は休養することにした。

葛根湯をのんで1日寝たが、回復しなかった。


17時ごろに家の電話が鳴った。

おそらく病院だ。

しばらくすると切れた。
次にわたしの携帯に着信があったら確定。

すこし待つと知らない携帯電話から着信があった。

自分でも驚くほどに、冷静でいられた。

電話にでると主治医の先生からだった。
休みの日に自分の携帯から電話をかけてきてくれているようだった。


瞳孔がひらきかけているので、そろそろだという事と
本当にもう眠ってもらっていいのかと念を押された。


祖母の世話をするために上の姉は実家に残り
母とわたしは病院にむかった。

ICUに入ると父がいた。

どうやら呼吸を補助する器具はついていなかった。
あれ?つけるとかなんとかきいてたが。

父は非常に大きいいびきをかいていたが
ちゃんと呼吸はしているように見えた。

もうあかんのちゃうの?という事で
母は状況をききにナースステーションにむかった。



父と二人きりになった。

あの日以来、はじめての面会だった。

意識はなくても、耳は聞こえているらしいという話をきいてから
ずっとこれだけは直接伝えようと思っていた事を父に伝えた。

「今までほんまにありがとう」


父の口が少し動いたようにも見えたが、気のせいかも知れない。

とりあえず、まだ自分で呼吸ができているので
いったん帰ることになった。


それから寝るように努めたが、まったく寝れなかった。


7/14(日)

日付が変わって午前3時30分ごろ

家の電話が鳴った。


確実に病院だ。

寝ていないわたしはこの時も冷静でいられた。


母と上の姉と3人で車に乗り、病院にむかった。


ICUに入ると一番奥の部屋に父は移動していた。



心臓は止まっていた。


間に合わなかったが、父はまだ温かかった。

ほんとうにギリギリだったのだ。
なんとも父らしい。


気が張っていたのか、気持ちの整理がついたからなのか
通夜や葬儀中も涙はほとんど出なかった。

喪主をつとめたので挨拶もおこない
声はつまったが、やはり涙は出なかった。

涙は枯れるものなのだ。


父には感謝している。とんでもなく。

最後はわたしからの言葉を待っていたのかも知れない。
「ありがとう」が聞けたから満足したのかも知れない。

生前、元気のなかった父にもっと寄り添い
話し相手になってやれば父は長生きしたのかも知れない。

娘をだっこできたかも知れない。

色々と思い残すことはあったが、気持ちの整理はついたので
この日記を書いている。

おもった以上にスッキリしている。

父らしい人生だったのかも知れない。


しかしもうしばらく葬式はご遠慮願いたい。

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テーマはありません。とにかくいろいろ。 30代男性。既婚。
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