雨の日は感性が
研ぎ澄まされる気がしませんか?
私は雨の日ごとにそう感じる。
子どもの時、CLAMPのxxxHolicという漫画が大好きで食い入るように何度も読み返してたんだけど ある回で、雨が嫌だと言った主人公に 雨を司る眷属が怒ったシーンが今でも印象的。
曰く、"雨が降らなければ生物は育たない"。
その時は雨が嫌いだったから、そっかそうだよな!へえー!ほおー!となったのをよく覚えてる。子どもだったし余計に。
●雨が降っていると
純喫茶に行きたくなる。外の水気を感じながらコーヒー飲んで本読んで、手帳に色々としたためる。
図書館に行って、その時々で興味のある分野について深掘りしたくなる。晴れの日と違って、紙の音・書き込む音・寝息に混じって雨の音がする。それが一層、研究熱意(と言っていい程のものなのかどうかは計りかねる)が高まる。
美術館や博物館に行きたくなる。展示品を見てるとなぜかとりわけ雨を忘れ、異次元に来た感覚になる。外に出る時にさえ止んでいなければ、現実に引き戻された感がまた強くなる。それがクセになる。
寺社仏閣を訪れたくなる。建造物が湿気て、生い茂る草と木の匂いが充満しているのが気持ち良い。石を徐々に削る水の強さも垣間見える。無条件に心が浄化される。
●と、ここまで言っといてアレだが
どの雨も好きなわけじゃない。
通勤で家を出た瞬間に雨が降っていたらクソ!と思うし、
にわかに降られて靴が水浸しになろうもんならもう全てのことがイヤになる。
(雨が降らなければ生物は育たないとどの口が言う?)
梅雨は髪も肌も調子が出ないし、冬季うつ性質な私は太陽の光を浴びていないと気分が下がるばかり。
なのに感性が研ぎ澄まされるとはどういうこっちゃな、と思うが
根本的だか潜在的だかの私の性格・性質が、どこかでマッチするんだろうなと勝手に解釈している。
それか、生物学的に影響を受けていることもあると思う。
迷信かもしらんが、雨の日は哺乳類が眠くなると聞くし。
感性と天気の法則とか、突き詰めてみたいかもしれない。
霧雨よりも強く、傘をさすとパタパタと軽快に音が鳴る程度。こんな雨が一番身心に染みる。ちょうど、この梅雨時期によく見られるような。
最近は、徐々に乾いた暑さが目立ち
夏と梅雨の交代を感じざるを得ないけれども
カラカラの気温になる前に、あと1回くらい休日に訪れてくれたらなあ。
●恵みの雨、とはよく言ったもので
"雨が降らなければ生物は育たない"
この言葉は、生命のことを言っているのかもしれないけど
センスやら感性やらも根本的には、実はそういう、生物に不可欠なエネルギーから養われるものなのだろうか。
と、この記事を書きながら思った。
前の段階で触れた冬季うつは、太陽の光に含まれるセロトニンという物質が
曇りの日や冬に、身体に十分に供給されないことによって引き起こされるものらしい。
確かに私は、日照時間が長いほど活動が活発になり、何かをしようという気持ちが極端に強くなる。実行に移して、結果に出来て、かつ成果を得られるのも春から夏にかけてが多い。
だんだん寒くなると、別人のようにエネルギー不足を起こす。まるで冬眠だ。
人間は、理性を持った唯一の生物かもしれないが
あくまで生物。生物に必要な活動を一切無視することは出来ない、ということ。
…を、言いたかったんだっけ?笑
また雨の日に図書館にでも行って、色々調べてみよっと。
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