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よいこの自由研究「もののけ姫」


 歴史に残る不条理な夏を、皆さんはどうお過ごしだろうか。筆者は『なにが「一生に一度は映画館でジブリを」だ馬鹿じゃねえの』と思いつつ、「もののけ姫」を映画館で5回見てしまった。しかもBlu-rayも買ってしまった。おまけにそのルーツを探るために執筆が終わった現在も、宮崎駿と高畑勲の資料を買いあさっている。そんなわけでいまさらドハマりしてしまった「もののけ姫」について筆者が考えたことについてとりとめもなくノートにメモしておきたいと思う。マニアにはとくに新しい話はしない。

 実は今回、「もののけ姫」を久しぶりに見たら全く意味が分からなかった。いや、話の筋はわかるんだけど、なんでそうなるのかさっぱりわからないことだらけだった。ちくしょうめと、宮崎駿のインタビューを読んだり、解説本を読んだり、絵コンテをよんで整えてから二回目に臨んだが、やはりさっぱりわからなかった。仕方ないのでもう少し資料を読み込んで何度かチャレンジして5回目でようやくなんとなくわかった。その後Blu-rayを買ってアフレコ台本を読んだりしていろんなことが確信に変わった。

 そういうわけで以下は自分が忘れないようにするためのメモである。やたらと長くなってしまったので、時間のない人はwikipediaの同映画に関する「製作」の項目がコンパクトにまとまっており、そっちを読んだ方がいい。宮崎駿のインタビューを数多く引用するので、そこから人間宮崎駿の面白さを感じていただければ幸いだ。

 今回の主な参考文献は文芸春秋社『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』『ジブリの教科書10 もののけ姫』、徳間書店『宮崎駿 出発点1979~1996』、同社『スタジオジブリ絵コンテ全集11 もののけ姫』、同社『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』、 浦谷年良監督のドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』である。



その1 「もののけ姫」は「ナウシカ」の焼き直しか

 「自然と人間」について


 まず筆者の「もののけ姫」の理解を阻害していたのは「宮崎駿=エコロジー=ヒューマニズム」というステレオタイプイメージが原因であった。そしてそのステレオタイプイメージを生み出したのは『風の谷のナウシカ』である。そういうわけでまず『ナウシカ』と『もののけ姫』の違いについて語ることから始めたいと思う。

 「もののけ姫」をリアルタイムで映画館で見た小学生のとき、「ナウシカ」にドハマりした高校生のときに、いずれも「ナウシカ」じゃねえのこれ?と思った。実際、「もののけ姫」を「ナウシカ」の焼き直しと評する人は多いのではないだろうか。それは実際どうなのか。まずテーマについて比較してみよう。

 以下に徳間書店の『アニメージュ』1983年7月号で行われた映画「ナウシカ」をこう作りたいという宮崎と、その盟友高畑勲(「映画「ナウシカ」ではプロデューサー)の対談の一部を抜粋する。

「宮崎 だから僕は、この映画は、自然と人間の関係が一番大きなテーマとして流れていると思うんですね。そのきわどいところで生きながら、希望があるのかっていわれたら、わからないけど。たとえば、腐海の問題なんか、簡単に解決つくはずがないけれど、腐海の役割がほの見えてもね、だからその真ん中に移住すればよいというような安直な解決ではすまないとおもうんです。むしろ、状況としては暗いけれども、いまもこれからも一生懸命いきていくであろう!そのなかで人ははっきりと喜びを感じることもできるんだ、それを体現するキャラクターが浮かびあがったら、大成功だと思う(笑)。」(文芸春秋社『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』p.68)

 次は「もののけ姫」での自然の取り扱いについて日本での公開が終わってからの1998年のベルリン国際映画祭でインタビュアーに宮崎はこう語っている。

「――エボシ御前は非常に革命的な人物として描かれ、山を削り、自然を破壊していますが、このコンビネーションに関してはどのような考えが?

「森を壊し、自然を壊す人間たちを悪人で、レベルが低くて、野蛮な人たちだと言うのなら、人間の問題というのはずいぶん解決しやすいんです。そうじゃなくて人間の最も善なる部分を押し進めようとした人間たちが、自然を破壊するところに人間の不幸があるんです。(中略)

 つまりエコロジー問題が解決すれば人間が幸せになれるというのは間違いなんです。エコロジー問題を解決すると同時に、人間が不幸な存在なのだということをきちんと考えなければいけないと思います。(中略)」

――サンとアシタカは、それぞれ自然と人間の側に立つ対照的な存在ですか?

「サンは、自然を代表しているのではなくて、人間の犯している行為に対する怒りと憎しみを持っている。つまり今現代に生きている人間が人間に対して感じている疑問を代表しているんです。(中略)」『ジブリの教科書10 もののけ姫』p.102)

「――日本人の観客は、この映画を自然環境へのメッセージとして受け取っていると思われますか?

「そういうふうに受け取ろうと思っている人は、多分映画を見る前からそう決めてかかってきている人たちで、僕は自然環境の問題をメッセージとしてこの映画を作ったわけではありません。(中略)つまり地球環境と人間を分けるのではなくて、人間も他の生き物も、地球環境も、水も空気もひっくるめた世界の中で、人間に次第に増えていく憎しみを人間が乗り越えることが出来るかどうかということを含めて、映画にしてみたかったんです」『ジブリの教科書10 もののけ姫』p.104)

 「もののけ姫」は自然について語ってはいるがそれが本筋ではないことがわかるだろう。むしろ、自然と和解しても幸せになれないとまでいっている。1983年は「滅び」が目の前に自明のこととしてあった。環境破壊と核戦争で人類はそのうち滅びるのは当たり前の未来予想だった。だから「自然」との再契約をテーマにすることは作家としての「責任」だった。しかし、ご存じのとおりソ連は滅んだ。1990年代半ばには人類が滅ぶことはしばらくなさそうだとなった。宮崎も「紅の豚」発表後のインタビューで

「やっぱり八〇年代っていうのはねえ、僕は終末も甘美に見えたんです。だけど、そういう甘美な終末は来ないんですよほ。なんて言うんでしょうねえ、例えば関東大震災がきたとしてね、『焼け野原になったらどんなに気持ちいいんだろう』って僕はずいぶん思っていましたよ。実際起こったら大騒ぎするんだろうと思うんだけど、そういう気分になっちゃう。だけど、焼け野原にならないんだっていうことがわかっちゃったの。ビルの耐震化が進んでますからね。みんな残るんですよ。これはすごいイメージなんですよ(笑)」(文芸春秋社『風の帰る場所』kindle版p.1174)

と、語っている。その後阪神大震災、一連のオウム事件でどんなに痛ましく、不条理が起こっても、実際に終末は訪れなかった。そのかわりに宮台真司の言う「終わりなき日常」がやってきた。終末はやってこない、しかしどうにも人類は幸福にはなれていないんじゃないのかという宮崎の問題意識が見て取れる。

 なぜ映画「ナウシカ」全否定のようなことを宮崎はいうのか。映画「ナウシカ」での「人間と自然」というテーマの昇華はどうだったのか。これについて「ナウシカ」のプロデューサーだった高畑勲の公開終了後のコメント(初出は徳間書店『ロマンアルバム「風の谷のナウシカ」』1984年)を引用する。

「 ――では、プロデューサーとしては、この映画に一〇〇点をつけてもいいということですね。

「ええ、プロデューサーとしては万々歳なんです。ただ、宮さんの友人としての評価は、三〇点なんです」

  ――三〇点?

「宮さんの実力から言えば三〇点。(中略)宮さんはただの演出ではなく作家なんですから。(中略)プロデューサーを引き受け、製作発表の時に文章にしたように、『巨大産業文明の崩壊後千年という未来から現代を照らし返してもらいたい』とおもっていたんですが、映画は必ずしもそういうふうになったとはいえないのではないか」」(文芸春秋社『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』p.150~151)

 高畑のこれは、「ナウシカ」作品世界の作りこまれた設定が、現代とリンクされておらず、ただのおとぎ話かオタク的自己満足、つまり設定のための設定になっていると言っているのであり、かなり手厳しい。宮崎もこれに自覚的だったらしく、インタビューで映画「ナウシカ」を振り返ると技術論的なところはいいが、お話的なところでかなりシビアなもの言いになる。とくにラストでナウシカの自己犠牲で王蟲たちの突進が止まり、あろうことか謎の力で復活してしまうところを宮崎は「宗教になってしまった」と後悔している。「宗教になった」とは安易な救済という文脈であろう。

 では宮崎は高畑の言う「現代を照らし返してもらいたい」に「もののけ姫」ではどうこたえようとしたのか。「もののけ姫」がなぜ室町期を舞台に、なぜ森の神と人間の相克を状況として選んだのか、制作発表で配られたペーパーにはこうある。

「これらの設定の目的は、従来の時代劇の常識、先入観、偏見にしばられず、より自由な人物群を形象するためである。最近の歴史学、民俗学、考古学によって、一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を持っていたことが判っている。(中略)

 もっともあいまいな流動期、武士と百姓の定かではなく、女たちも職人尽くしの絵にあるように、よりおおらかに自由であった。このような時代、人々の生き死にの輪郭ははっきりしていた。人は生き、人は愛し、憎み、働き、死んでいった。人生は曖昧ではなかったのだ。二十一世紀の時代に向かって、この作品を作る意味はそこにある。」(文芸春秋社『ジブリの教科書10 もののけ姫』p.79~80)

 次に『出発点』に、「もののけ姫」の企画書が記載されている。その一部を抜粋する。

 「中世の枠組みが崩壊し、近世へ移行する過程の混沌の室町期を、二十一世紀にむけての動乱期の今と重ねあわせて、いかなる時代にも変わらぬ人間の根源となるものを描く」

 つづけて企画意図の解説である。

 「世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺りくのさ中にあっても、生きるにあたいする事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。

 憎悪を描くが、それはもっと大切なものがあることを描くためである。

 呪縛を描くのは解放の喜びを描くためである。

 描くべきは、少年の少女への理解であり、少女が、少年に心を開いていく過程である。

 少女は最後に少年にいうだろう。

「アシタカは好きだ。でも、人間を許すことはできない」と。

 少年は微笑みながら言うはずだ。

「それでもいい。私と供にいきてくれ」と。

 そういう映画を作りたいのである。

(一九九五年四月十九日)」(徳間書店『出発点』p.419~421)

 宮崎は舞台として「室町末期」を選んだ理由を明快に「今の話をするためだ」と言っている。「室町期末期」は現代につながる価値観(天皇家と武家が農民を支配する図式的な歴史と言い換えてもいい)がそろった歴史的な転換点である。


なぜ「室町期」か

 

1921年に東洋史家の内藤湖南は講演「応仁の乱に就いて」で「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感じられませぬが、応仁の乱以後は我々の真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知って居れば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります」(呉座勇一『応仁の乱』中央公論社、2016年、p.ⅱ~ⅲ)といっている。つまり室町期の終わりからが我々のイメージする「日本」であり、また「もののけ姫」が作られた「閉塞」し、「変革」する時代の始まりであったということである。

 これに対しオルタナティブな日本の歴史として「応仁の乱」以前の日本を再評価しようという動きがあった。宮崎が特に影響されたのが「照葉樹文化」構想と「網野史学」ブームである。「照葉樹林文化論」とは中尾佐助らが1960年代から提唱した、古代にブータンあたりから日本には照葉樹を中心にした共通の採集文化が存在したのではないか(宮崎はそれを「縄文=エミシ」であると「もののけ姫」作中で援用している)という文明論である。ちなみに今はあまり学説として支持されてはいない。「網野史学」ブームは、日本中世史家の網野善彦が1970年代末から展開した、天皇→武家→農民という図式化された支配構造を非農耕民論から批判することで中世をより、自由で活気あふれる時代だったととらえ直す動きである。ちなみにこれもやはり今では実証史学的にけっこう批判されている。

 これらは「日本」に絶望していた宮崎に希望を与え、高畑の言う「現代を照らし返す」という注文にこたえるための足掛かりを作った。「秩序」の崩壊はそれ以前の世界をあぶりだす。そして「秩序」の構築された時代を描くことでなぜ日本人はそこにがんじがらめにされたのかを明らかにできるであろうという見込みが宮崎にあったのだろう。

 余談。引用した2016年の呉座氏による『応仁の乱』から、新書界隈を中心に現在は第二次「中世史ブーム」が起きている。「どうせ内輪のもりあがりでしょ?オタクは主語がデカくてきもいなあ」と言う人のことは殺す。ブームの中心である呉座氏は繰り返し、秩序の崩壊期の現在に、生き方がわからない人たちが指針を「中世」をもとめているのではないかと述べている(要出典)。筆者としてもなぜ現代がこんな悲惨なことになっているのか、現代をサバイバルするのには「そうなる前」について知ると軽やかな気持ちになれると思っている。おすすめは清水克行著『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)。昔の日本人は、クスってされただけで寺の小坊主をぶっ殺すくらい自由な世界だったことがよくわかる。そしてぶっ殺したあとのことも。

 以上余談。しかし、である。作中で狂気的なまで緻密に描写される「照葉樹林文化論=縄文原日本文化論」と「網野史学」は、本題ではないのだ。これらはあくまでも作品のデコレーションに過ぎない。ここを間違えると筆者のように「またナウシカかよ」という落とし穴にハマる。

 あくまでこの作品のテーマは「いかなる時代にも変わらぬ人間の根源となるものを描く」ことなのである。そして宮崎が「人間の根源」としてピックアップしたのが「憎悪」とどう向き合うかなのである。

 映画「ナウシカ」では作品としてまとめるために「ハッピーエンド」にしてしまった。しかし「腐海」が世界をきれいにしてくれてもやはり人間が幸せにいきる必須条件は、そこにはないと宮崎は言っている。そしてそれを生きにくさ、「憎悪」から救われるにはどうすればいいのかだととらえた。そしてそれを室町期のまだぎりぎり「立場」にがんじがらめにならず、シンプルに力強く「幸せ」を求めて生きることが出来た人々に語らせようとした。

 この試みが成功したのかについては、1997年の若者が「シシガミの森」での出来事が身近な問題だと感じてくれたのか、というのが回答になると思う。図式としてはよくできているし、物語としても筆者は「照らし返せている」と評価している。鈴木敏夫、電通、日本テレビが洗脳寸前のメディア戦略を展開したからとはいえ、この作品が幅広い年齢層の人間に「ヒット」したのは事実である。

以下私見。

 今回のリバイバル上映で同作を見返したとき、筆者には森の神々がこれから葬られる「昭和のオヤジたち」に見えた。つまりテクノロジーの進歩についていけなかったものが、ベンチャーに滅ぼされ、そしてベンチャーは官僚主義的な大企業に飲み込まれて、チャンスにあふれた「戦場」は「日常」になるのだと読み取れた。オッコトヌシにしても、タタリガミになったナゴの守にしても、カオスの支配する戦後の経済成長という原生林の中での生存競争に勝利したから広々とした生存範囲を確保し、長寿と巨大化したわけである。基本的にイノシシ=昭和のジジイたちは森という市場の消費者であり支配者である。しかしベンチャーはテクノロジーで、よりドハデに、より短時間に「市場」を破壊してしまった。しゃぶれるだけしゃぶってみたら、「市場」のバランスがぶっ壊れてITバブルやマンションバブル崩壊のような「ご破算」を起こしてしまう。そしてテクノロジー一本槍でなりあがったベンチャーは官僚主義が支配する「社会」に敗北するか、吸収されてしまう運命であった…。といった具合である。

 筆者の私見は半分冗談であるとして、同作が2020年の「神殺し」と読み取れるほど、普遍的で、解釈しがいのある作品世界を作れているのではないかと思う。普遍的題材であるというところが大事である。

 だから「もののけ姫」はいろいろな評論家のおもちゃにされる。自分の見たいと思うものの比喩であると錯覚させる。あるいは宮崎の作りだしたビジュアルイメージが他の作品を想起させ、どの作品と「もののけ姫」はここでつながっていると、砂場でBB弾を見つけた幼稚園児のように夢中になってしまうわけである。(例えが古い)

 しかし「ナウシカ」はそうではなかった。宮崎は「ナウシカ」のクライマックスの制作をこう回想している。

「ただ僕は、あのとき映画の最後の大ラストのところで絵コンテが進まなくなっちゃったんですよ。なぜ進まないかっていったらね、王蟲を一匹も殺したくないんですよね。『もう殺したくない! 人間は殺しても王蟲は殺したくない』っていう気持ちが強くて(笑)。それで最後、パクさん(筆者注:高畑のあだ名)が『殺しゃいいんだ!』って怒鳴ってね。『じゃあ殺す!』って、それであっという間に絵コンテが出来たんですよね(笑)。これはねえ、本当にあのときの僕は物語を作っている態度じゃないですよ。とにかく自分は偉大な生き物だと思っているんですよね」(文芸春秋社『風の帰る場所』kindle版p.2964)

 あんまりにも面白かったから引用したが、この時の宮崎の自然への態度は、同じように自然の怒りとして登場するイノシシたちへの態度と露骨に違うのがわかるだろう。紛れもなく映画「ナウシカ」の腐海は偉大なる自然としか解釈しようがないということだ。エボシの「神殺し」は必然として描かれているが、クシャナの「なぎはらえ!」は愚行、痛ましい行いとして描かれている。が、「自然の前にひれ伏さなければならない」というのはナウなヤングに「もっと消費したい!」という欲望をあきらめろということに他ならない。加えて「ナウシカ」の自然を大切にしようねと言うテーマは1997年当時にすでに陳腐化していた、と筆者は思う。

 まずは「テーマ」の違いについていったんまとめる。

 「もののけ姫」は「ナウシカ」で実現出来なかった、たとえ話としての「状況」を作ることで、現代の話をしようとしている。しかしそのテーマはまるで違う。よって焼き直しではなく別物である。

 では本来のテーマである宮崎の考えた「憎悪からの解放」とはなにか。これについて話す。



その2 憎悪と礼儀

責任


 憎悪の話をするために、まず「ナウシカ」と「アシタカ」の違いについて話をする。これは両者の出発点の違いを説明することで「アシタカ」の行動原理(=憎悪との対決)を説明するためである。

 まずはナウシカについて漫画の連載終了後1994年の宮崎による回想を引用する。

「〈ナウシカ〉という主人公最大の特徴は、何よりも責任を背負っているということです。自分の思いとか、やりたいことがあったとしても、とにかくまずその前に、小さな部族とはいえ、部族全体の利害や運命をいつも念頭において行動しなければならないという抑圧の中で生きているわけです。はっきり言って抑圧です、これは」(文芸春秋社『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』p.150~151)

もうひとつ、「ナウシカ」といえばおっぱいである。おっぱいについても宮崎が語っている。これも漫画「ナウシカ」完結後1994年のインタビュー。

「――でもナウシカという少女は魅力的ですよね。

 宮崎 ナウシカの胸は大きいでしょ?

――はい(笑)。

 宮崎 あれは自分の子どもに乳を飲ませるだけじゃなくてね、好きな男を抱くためじゃなくてね。あそこにいる城オジやお婆さんたちが死んでいくときにね、抱きとめてあげるためにね、そういう胸なんじゃないかと思ってるんです。だから、でかくなくちゃいけないんですよ。」(『出発点』p.534)

 ナウシカは自分の行動に一族の生き死にがかかっているし、ナウシカが風を読み間違えただけでたちまち風の谷は腐海の底に沈んでしまうわけだ。そういうわけでナウシカは常にデカ乳でなければ見限られてしまうし、ジジイどもに死ね!って命令することも必要になるわけだ。そこでは個人的な「憎悪」は「責任」の前に否定される。それがデカいおっぱいを持つものの宿命なのだ。さて、では「もののけ姫」はどうだろうか。

 主人公アシタカはエミシの村の王子である。境遇はナウシカに似ている。そして村を救うためにタタリガミを打ち倒す。これは宮崎の言う「責任」というやつだ。しかし、村を守ったアシタカは、呪いのせいで村を追放されてしまう。そこまでならいいが、ラストで呪いが解けたはずなのに、アシタカは「私はタタラ場に残る」と言う。呪いが解けたなら村に帰ればいいじゃんと誰しも思うが、アシタカはそうしない。村人やカヤに対する責任はどうなるねんと思うが、旅立ちのシーンを見返すと、カヤはアシタカのことをいつまでも想うとは言うが、いつか帰って来てくれとは言わないのだ。いつも議論になるカヤが渡してくれた「玉の小刀」(アフレコ脚本には「エミシの乙女が、変わらぬ心の印に異性に贈る慣わしのもの」とある)は、単なるアシタカへのプレゼントではない。マゲを切り取る様を見て村のジジイ共は無念にむせび泣いている。ドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた』でカヤ役の石田ゆり子に対して、宮崎駿は「マゲを切ったのは、もうこの村では「人間」ではなくなるという意味だ」と発言している。カヤは二度と帰ってこないアシタカへの餞別として一番大切なものを贈っているのである。もし帰ってくるなら不要なものだ。

 村から追放されたアシタカは、同時にナウシカの受けていた「抑圧」から解放された。アシタカは二度と帰らないし、村人も帰ってくるとは思っていない。アシタカは呪いが解けても、もう戻れないのである。だから「タタラ場」を居場所に決めたのだ。

 ここが「ナウシカ」と「もののけ姫」最大の違いである。「ナウシカ」は故郷を守る話で、「もののけ姫」は故郷に戻れない旅人が居場所を見つける話になっている。(そんなの見ればわかるだろといわないでくれ、わかんなかったんだよ!)

 1983年と1997年の違いとして、人はより自由になった。「魔女の宅急便」じゃないが、街にやってきた若者は孤独なのである。「魔女の宅急便」では、キキの両親が「つらくなったら戻っておいで」と言っているが、宮崎はこういう親の姿勢に批判的である。

 ナウシカの「責任」は居場所とセットになっている。アシタカの「解放」は居場所からの追放とセットになっている。どちらが現代的な悩みかは自明のことだと思う。「お前は村を守るのだ!村を守るために鬼になるのだ!」と言われてリアリティを感じられる若者は1997年には(現在でも)そんなに多くなかっただろう。それよりもアシタカのように、不条理にも家族(地元)と別れて都会に出て、イヤーな仕事をしなければ生きることすらおぼつかない、不条理な就職活動をしなければならない世界のほうがリアルである。折しも就職氷河期に突入したこの頃は不条理そのもののサバイバル就活が始まっていた。

 ではナウシカの「責任と抑圧」に対して、アシタカが背負っているものとは何なのか。それが「憎悪」との戦いである。「憎悪」とはなにか。作中にはいくつもの「憎悪」が登場する。

 アシタカは死の呪いを受けた己の運命を憎み、また呪いを生み出したタタラ場を憎む。サンは自分を捨てただけでなく、残された自分の居場所である山犬の誇りを奪おうとする人間を憎む。タタラ場の人々はようやく見つけた居場所を奪おうとする外の世界を憎んでいる。

 すべての人物に二面性がある。「憎しみ」があれば「愛」があることによって、バランスをとっている。サンとモロであれば山犬の家族と森への「愛」、エボシであればタタラ場の女たちへの「愛」がそれにあたる。これはナウシカ的な「責任」とセットになっている。「責任」が「愛」と結びつき、「愛」が憎しみを生み出す。「愛」するものを守るための最善と思った行動が雪だるま式に憎しみを増幅させていく構造になっている。それがナウシカの「責任」の行きつく先である。しかし故郷に捨てられたアシタカは「愛」するものを持たないので「憎悪」との間にバランスが取れない状態になっている。「責任」がないので「憎悪」に飲み込まれれば待っているのは死ぬまで周りに呪詛を叩きつけて誰かに退治されるタタリ神になる運命だ。

 アシタカが世の「不条理」に心が乱されたとき、恐怖した時、呪われた右腕は殺りくと暴力を生み出す。それはアシタカ自身の中にある憎しみを映し出したものであり、穏やかに見えるアシタカの中にはこのような激しさがある。アシタカは激しい感情があるのだが、それを抑えこんでいるのである。一見分かりにくいアシタカの感情を表すバロメータとして右手を見るとわかりやすくなる。初見ではここが少しわかりにくいように思う。

 この「わかりにくさ」について宮崎駿はベルリン国際映画祭でのインタビューでこう語っている。

「ストーリーの作り方にはある方程式があるんです。それに当てはめて味付けを変えれば大抵の話は出来るんですけれども、この映画に関してはそうやって作ってはいけないと思ったものですから苦労しました。

 その影響は作品全体にも及んで、ここで主人公の感情をもっとはっきり表現するために、普通だったらもう数ショットを積むべきだろうと思うところでも、この作品ではやってはいけないというようなことがたくさんありました。それはつまり、この映画が精神的に健康で丈夫な人のためのものではないですから、自分が十分に痛みを持っている人たちには、あれだけのアシタカとサンの描写で十分に彼らの痛みが通じると思ったからです。でもそれは、健康で幸せな人にはわからないことなんだということがこの映画を作ってから分かりました。

――この作品は今までの監督の作品とはかなり違うように思えるのですが。

「ある意味ではこれまで作ってきた作品の延長上にやむなくたどり着いてしまったという感じですね」(文芸春秋社『ジブリの教科書10 もののけ姫』p.94)

 宮崎は意図的に「僕は傷ついた!」「オビワン!あんたが憎い!!」というようなわかりやすい演出を避けているのである。ではなぜそうなってしまったのか。そもそもこの映画は誰にむけて作られているのか。誰が「精神的に健康で丈夫」ではないのか。


この映画はだれのためのものか


 ここで「魔女の宅急便」公開後に渋谷陽一に対して宮崎の考える創作のあり方を引用する。

「だから僕は――これはあちこちで喋っていることですけど――『人というものはこういうものだ』っていうふうな描き方じゃなくて、『こうあったらいいなあ』っていう方向で映画を作っています。『こういうもんだ』っていうのは自分を見りゃあわかるんでね」

――(笑)。

「このだらしなさとか、そんなの今さら他人に言われたくもないし、他人に伝えたいとも思わないです。そういうことで共感を得たいとも思わないです。そういうだらしない部分っていうのは、これはようするに端の部分であって、それはもうこっそり隠してお墓に入れりゃいいんでね。その底知れない悪意とか、どうしようもなさとかっていうのがあるのは十分知ってますが、少なくとも子供にむけて作品を作りたいっていうふうに思った時から、そういう部分で映画を作るのはやりたくないと思ってます。映画だけじゃないです、他のものでもそうです。それは大人にむけて作るときは、また違うでしょう。大人にむけて作ったら、『あなたは生きている資格がないよ』ってことをね(笑)、力説するような映画を作るかもしれませんけど」

――(笑)。あっ、そういう気がしますか。

「ええ、します。幸せな映画は作らないだろうと思いますね。子供は可能性を持ってる存在で、しかも、その可能性がいつも敗れ続けていくっていう存在だから、子供に向かって語ることは価値があるのであって、もう敗れきってしまった人間にね、僕は何も言う気は起こらない。と言ってしまうと、ちょっと言葉の上では走りすぎてるのかもしれませんが」(文芸春秋社『風の帰る場所』kindle版p.156)

「だから、自分が善良な人間だから善良な映画を作るんじゃないんですよね。自分がくだらない人間だと思ってるから(笑)、善良な人が出てくる映画を作りたいと思うんです」

――なるほど。

「やっぱり人間みんな同じだよっていうんじゃなくてね、その善良なこととかですね、それから、やっぱりこれはあっていいことだとか、優れている人がいるんじゃないかとか、自分の中じゃなくても、どっかにそういうものがあるんじゃないかと思う気持ちがなかったら、とても作品を作れないわけですよね」

――ええ、ええ。

「それは例えば、子供がある肯定的なものに作品の中で出会ったときに、こんない人いないよとか、こんな先生いないよとか、こんな親はいないよって言っても、そのときに『いないよね』って一緒に言うんじゃなくて、『不幸にして君は出会ってないだけで、どこかにいるに違いない』って僕は思うんですよ」(文芸春秋社『風の帰る場所』kindle版p.194)

 大前提となることなのだが、宮崎はあくまで「こども」に向けて映画を作っているのだ。であるのならば「こども」が「精神的に健康で丈夫」でないということになる。だからこそ「善良であること」の美しさを伝えようとしているのだ。

 宮崎がなぜ1997年の子どもたちを「精神的に健康で丈夫」ではないととらえ、「善良であれ」と言い出したのか。実は『ジブリの教科書10 もののけ姫』の最後は大塚英志が、宮崎がオウム真理教を生み出してしまったことへの総括をまるでしていないことを盛大に批判している。

 無意味さに耐えかねた若者たちが、サブカルチャーやファンタジーから好き勝手に「ジャンク」を寄せ集めて貧相な「物語」を作りだし、それを自己完結させ社会から逃避、あるいは膨張した結果としての破滅を起こしたのが「オウム」であるというのが、大塚の言わんとしていることである。そしてその「ジャンク」のモチーフを大量に提供した宮崎が責任を語らないのは卑怯だと言っているわけだ。

 そして、マルクス主義に代わって宮崎が飛びつき、「もののけ姫」で展開した宮崎式「中世」を、見かけだけで中身のない「ジャンク」だと言っている。これでは歴史を語っているのではなく、宮崎の好きなものだけを寄せ集めた空しい誰にも伝わらない「ファンタジー」だとまで言っている。映画「ナウシカ」に対する高畑からの批判とほぼ同じと言ってもいいだろう。

 筆者はオウムを生み出した「病んだ」若者を大量に生み出した責任は「風の谷のナウシカ」「未来少年コナン」を生み出した宮崎にもあるし、その応答責任として作られたのが「もののけ姫」なのだと思う。

 そして宮崎は、自分が「こども」に「理想」を語りうるのは、やはり「ファンタジー」しかないというジレンマを受け入れることにしたのだと思う。大塚の指摘する無責任さは自覚しているのだ。

 宮崎は、上記のインタビューでも、もう大人はどうしようもない、大人にこんなことを言ってもしょうがないと言っている。最初からこの映画は「こどものため」のファンタジーなのだ。

 大人が見ても自分を変えられないのだ。

 では大人はどうすればいいのか。また同じ渋谷との「魔女の宅急便」公開後のインタビューから引用する。

「例えば東京にいてね、何とかこの街の中で若者が生きる希望を見出すような映画は作れないかとかね、そんなもの作らない方がいいですよ! こんな町はさっさと出てったほうがいいって」

――はははは。

「そういう映画なら僕は納得できますけどねえ。あんなのは嘘ですよ! なのにみんなそういうのを欲しがるんですね。それが現代に切り込んでる映画だと思い込むからです。それは自分自身の甘えを許してもらいたいと思ってるだけでしょう? だからアニメーションでね、例えば現代の東京を舞台にしてね、そこでやることがわからないまま、コンビニエンス・ストアに出入りしてるだけで生きてる若者がですね、なにか突然チャンスがあったときに自分の力を発揮して、そうやって自分自身を見つけていくような話を作れないかなあって夢見てる人は多いんですよ。例えば新人採用のときに"あなたの作りたい映画"っていうテーマで書いてよこせっつったら、みんなそれを書いてきますよ」

――(笑)。

「そんなに自分自身の励ましのための映画が欲しいのか! っていう。そんなに短絡なもんなんですかねえ、映画っていうのは、作品っていうのは。『あんたは、どういうことをやろうとしてるのか!? そういう馬鹿な状況で、その中でなにをやっても無駄なんだ』って僕は思うんですよ。ナチスの軍隊の中にいてね、どんなに人間的になろうと努力するったって――そのナチスの軍隊に入らなくてもいいんだったら、さっさと抜けろっていうことがいくらでもあるわけでしょう!」

――はい。

「僕は、今の東京の状況っていうのは、そういう状況だと思うんですよ。さっさと抜けろっていう状況であってね。そこでとどまるなら、自分の愚かさを耐え忍べっていうね!」(文芸春秋社『風の帰る場所』kindle版p.222~245)

 この発言は高畑勲による「おもひでぽろぽろ」の企画が進行中のときのものであるとわかると得心が行くと思う。「大人は俺にはどうしようもないから、パクさんの映画をみて自分の愚かしさを学んでつつましく生きろ」と言っているわけである。ひどい。

 これはオウム事件以前の発言であるが、基本的に「もののけ姫」製作に当たった時点での宮崎もこの考えを変えていないと言いきっていいと思う。これはスタジオジブリが宮崎駿と高畑勲のツインドライブだから出来る分業であると言えるだろう。宮崎が高畑に甘えているとも言えるし、これからの「こども」たちがオウム的なものに飲み込まれないようにすることが宮崎なりの責任の取り方だったんじゃないかと思う。

 とにかく宮崎は自分の映画には「善良な人」が出てきてほしいと思っている。そして「こども」に「善良」に育ってほしいと思うから作品を作っていることはわかった。

 アシタカは、宮崎の考える「善良な人」である。では「善良な人」とはどのような人なのだろうか。宮崎は折に触れて作家司馬遼太郎(「もののけ姫」製作中の1996年没)を尊敬すべき人物としてあげていた。宮崎は司馬のどのようなところを尊敬していたのか、彼の発言から引用する。以下は「朝日新聞」に書かれた宮崎による司馬の追悼文である。

「司馬さんは、大好きな人だった。五年前に堀田善衛さんとてい談し、一冊の本を作った。「週刊朝日」新年号では対談もした。

 司馬さんは日本人の一番いいところを身をもって生きようとしていた。「恥を知る」とか「礼儀をこころえる」という身の処し方を大事にしていた。司馬さんは文章にならない人柄の中にすごいものがあった。(中略)

 司馬さんは、実は合理的な前線の指揮官が大好きな人だったと思う。愚かで非合理な軍部は嫌いだったのではなかろうか。一番大事なのは、モラルをもった人間で、いい人間が出てこない限り歴史は語れないという姿勢だった」徳間書店『出発点』p.251~252)

 次に「週刊プレイボーイ」に掲載された司馬を回想する文章である。ちょっと長いが、ほぼ「もののけ姫」の本質をつかめる文章であるので引用する。

「あれだけ歴史を調べていくと、人間の愚かさについては膨大なストックを腹の中に抱えていたはずです。しかし、なおかつ感じのいい生き方というのを模索しようとしていらっしゃった。

 僕はそれを司馬さんの「礼儀作法」だと思っています。

 この「礼儀作法」というのが、今のさまざまな問題にあたる時、とても大事な対処法になると思っています。

 人間の業の中には明らかに亀裂があるんです。自然と人間のかかわりを考えると、人間も自然の一部でありながら、親なる自然との間に決定的な亀裂が入っている。

 人間に役立つ自然をつくるから、それが自然保護なんじゃないんです。(中略)

 僕は、司馬さんから学んだ「礼儀」という観点から環境問題を考えた方がいいと思っている人間です。生きものだけでなく、おそらく水や山や空気に対しても礼儀を持とうということです。礼儀というのは、少なくとも相手に礼儀を要求するんじゃなくて、自分のほうがまず礼儀を持つことです(中略)

 僕ら人間は、目の前に子供がいれば、その子を食わせるために目の前の木を切って畑にするしかないと思います。それは食い止めることが出来ない人間の文明の流れです。

 そうすると、その子を食わしてあげたいっていう子がどんどん増えてくる。例えば、人口が百億になるということはそういうことです。

 今という時代は、そのわがままが人間以外の生物を絶滅させようという時期にさしかかっているわけです。やっぱり地球は百億の人間を支えきれないだろうと僕は思います。

 その現実と自分の日常とにどういうふうに橋を架けるかというと、運動に身を挺して、「おまえらが悪い、あいつも悪い、こいつも悪い、俺が正しい」っていうふうに言うのは楽だけど、それだけでは解決できないでしょうね。

 自然が人間の役に立つからとか、自然がなくなると人間が滅びるからっていうふうなあいまいなことじゃなくて、基本は困っているならやっぱりわけましょうっていう「礼儀」しかないんじゃないかと思う。人間のものを他の生物へ。自分のものを他の人へと

 だから環境の問題というのは礼儀作法だって言ったんです。そしたら、司馬さんも礼儀作法ですねって同意してくれました。

 物事というのは、解決がつかなければ意味がないということではない」徳間書店『出発点』p.255~258)

 宮崎の考えた「善良な人」とは「礼儀をわきまえた」人物であり、「礼儀をわきまえる」とは困っている人に「分かち合う」ことである。それには「恥を知る」必要があり、「恥を知る」とは自分だけが不幸だとか、もっと自分によこせと言わないことである。自分の愚かしさを自覚できている人と言い換えてもいい。

 これが「もののけ姫」の作中で繰り返し語られる「くもりのない眼」である。



「くもりなき眼」


 アシタカの旅立ちに当たり、ヒイ様は「くもりのない眼で物事を見定めるなら、あるいは呪いを断つ道が見つかるかもしれぬ」と言っている。ようはヒイ様はアシタカに「礼儀」を身につけなさいと言っているわけだ。

 アシタカは善良な人物、あるいは善良な人物になろうと努力をしているので、自分の痛みや憎しみをことさらにアピールしない。そのせいでアシタカが何を考えているのか「健康で幸せな」人にはわからない。

 もう一つ「くもりのない眼」がピックアップされる場面がある。タタラ場についたアシタカとエボシのやり取りである。

 アシタカは、たまりにたまったものを吐き出すように、ナゴの守を苦しめた毒つぶてを出し、そして勢いよく呪いのアザを見せつける。「このつぶてにおぼえがあるはず」と問い詰める。エボシは「そのつぶての秘密を調べて何とする」とはぐらかし、アシタカは「くもりなき眼で物事を見定めてから決める」と続ける。するとエボシは大笑いする。これはアシタカが自分の不幸が特別で、お前のせいでこうなったんだぞと言っているので、「お前の眼くもってんじゃん」と笑ったのだ。そこでエボシは、このタタラ場の正体を披露するわけである。女たちは過酷な労働をしている。アシタカが受けた死の呪いより過酷な病に苦しむ人々に新たな憎しみを生み出す石火矢を作らせている。アシタカはエボシだけでなくタタラ場の人々すべてを殺したい衝動に駆られる。しかし石火矢職人のオサに「その人を殺さないでおくれ」と言われる。自分たちはエボシさまに助けられたのだというのだ。アシタカは殺りく衝動をぐっと抑え込む。次にタタラ踏みをする女たちに、仕事は辛いが外の世界よりはずっといいと言われる。絵コンテには女たちの代わりにタタラを踏んだアシタカへの注釈に「なんという問題の複雑さ」(徳間書店『スタジオジブリ絵コンテ全集11 もののけ姫』p.176)とある。

 このあとアシタカは、サンへの憎悪にたぎるタタラ場の人々に対して「憎しみに身をゆだねるな、呪われるぞ」というわけだが、聞き入れてはもらえない。なぜならエボシもタタラ場の人々も「憎悪」と「愛」の間で葛藤しており、言われんでもわかっているのだ。そこで説得力を持つのは「じゃあ、そういうあんたは俺たちのためになにを差し出すの」という「責任」の有無であり、それは「礼儀」と言い換えてもいい。アシタカの発言は「礼儀」を欠いているのだ。いわゆるクソリプである。しかしそれでもタタラ場の面々がアシタカをおろそかにしないのは甲六と石火矢衆を助けてくれた恩義があるからだ。アシタカは報いとして、女の放った石火矢を浴びて瀕死の重体になることになる。アシタカは自分の足でタタラ場をさるが、実質的な追放である。

 アシタカは同じことをサンを含む山犬一家にもする。「あの子を解き放て、あの子は人間だぞ」という有名なシーンがそれだ。やはり「モロ」ははじめ、アシタカをセセラ笑い、そして「だまれ小僧、おまえにサンがすくえるのか」と突きつけられるのである。「ともに生きることは出来る」とは、サンの人生と山犬の誇りに対して「礼儀」を欠いた答えだ。しかしモロはアシタカを殺すことはしない。それは娘を救ってくれた恩義があるからだ。サンはアシタカが命をかけて救ってくれたことへの「礼儀」として、つきっきりで介抱してくれた。そしてそのお礼と、「礼儀」交換の終わりとして、つまり別れの挨拶としてカヤからもらった小刀をサンに贈っているわけである。つまり、ここでのアシタカはもうサンには会えないだろうと思っている。もし帰ってくると信じているなら、山犬に渡す必要はない。帰ってきてから渡せばいいからだ。

 この二つのやりとりは対になっており、どちらもアシタカは「責任=愛」から「解放」された旅人であるために拒絶されている。どちらの場合もアシタカは自分の命をかけて献身をしているが、「憎悪」の連鎖を止めるにはまだ足りないのである。命をかけて問いかけてもまだ、足りないのだ。なぜなら両者の憎しみの根源となる「憎悪」に対する「礼儀」に欠けているからである。「問題の複雑さ」がわかったのだが、そこにどこまでコミットするのか、どこまで差し出す覚悟があるのか、それもアシタカからすべてを奪った山の神々とタタラ場のために、である。「くもりなき眼」で物事を見定めるのは辛い運命である。

 ジコ坊が敵対するアシタカをなぜ積極的に殺そうとしないのかというと、地侍との小競り合いの時に助けられたからである。(実際はジコ坊一人で逃げ切れただろうが、それが「礼儀」である)

 エボシがタタラ場を救うためにジコ坊たちを置いてなぜ帰らないのかというと、それが石火矢衆とスタートアップ資金をもらった恩義に対する「礼儀」であり、これに返答しなければいけないからである。

 モロがエボシだけを特に憎悪しているのはなぜなのか。モロはタタラ場や人間全体でなくエボシだけに執着している。それは森からの恩義に対して返答しないからである。そして「神」をエゴイズムで動いている人間の同類、しかもこれから征服される弱きものと看破し、敬意を持っていないから許せないのだ。登場人物の中でエボシだけは森の神をただのデカいケモノとみている。モノノケではない。不思議な存在ではなく単なる人間と同じケモノなのだ。

 サンが人間を憎悪しているのはなぜか。サンは神への捧げものである。つまり「神」が神聖なままであれば、サンはけして人間を恨まない。しかしエボシは山の「神」を人間と同類とみなしている。つまりそんな捧げものは意味がない、この「礼儀」の交換自体を無視しているのだ。その結果サンは「神」にも人間にもなれない中途半端な存在になってしまったのだ。だから人間が許せない。顔に刻まれた刺青は、エボシより先にシシガミの森にいた人間たちがモロにささげる前につけたシャーマンの証であろう。シャーマンとは自然の言葉を人間に伝える媒介者のことだ。本来作中でアシタカが果たした「仲介者」の役割はサンのものだったのに、人間側がチャンネルを閉じてしまったのである。

 この贈り物の交換ともいえる「感情」の応酬が「もののけ姫」全体の構造を決定づけている。冒頭のタタリ神のシシガミの森から「追放」されたことに対する「憎悪」を、村からの追放という「憎悪」で返すことでアシタカは「追放」による「憎悪」をもらう。「憎悪」の交換を断ち切るためにヒイ様はそこに祠を立てて神として祀るわけである。そうなると神を殺したアシタカは村にいてはいけないのである。英雄ではなく神を殺した罪人になるからだ。

 では、ナゴの守がアシタカに与えた「憎悪」とはなんなのか。ナゴの守は死の間際に「けがらわしい人間共め、我が苦しみと憎しみを知るがいい」と語っている。「人間のけがれへの怒り」、これがナゴの守がアシタカへ渡した「憎悪」の正体である。

 ナゴの守は、森の命を助けるためにエボシに立ち向かった。それはアシタカと同じ感情である。しかし、彼は敗北した。作中でモロはナゴの守について「きゃつは死を恐れたのだ。今の私のように。(中略)ナゴは逃げ、私は逃げずに自分の死を見つめている」と語っている。イノシシたちは「シシガミはなぜナゴを助けなかった」と言っているが、ナゴはシシガミに会えば命を吸われるとわかっていたから森から逃げたのである。そして人間の世界をさまよううちに「もっと生きたい」「どうして自分だけこんな不条理な目に合うのだ」という感情を集めてきたのだ。エミシの村からシシガミの森に向かう道中での出来事がそのままナゴの守が集めたという「憎悪」を物語っている。ジコ坊はアシタカに「いくさ、行きだおれ、病に飢え。人界は恨みを飲んで死んだ亡者でひしめいとる。タタリというならこの世はタタリそのもの」と語っている。

 アシタカは誰かを助けながらも、常に自分の死の恐怖と戦っている。自分をこんな目に合わせたのに、まだ争いをやめないシシガミの森の神々とタタラ場、そして人界の不条理を憎んでいる。通常の人間であれば、道中でタタリ神になり、シシガミの森とタタラ場で殺りくの限りを尽くしていたのではないだろうか。

 しかしアシタカはこの不条理な状況に「憎悪」を贈ってはいけないのである。そしてナゴの守をタタリ神にしたこの「憎悪」の応酬を解きほぐさなければ、応酬は終わらないのだ。それが命を奪ってしまったナゴの守への「礼儀」であり「くもりなき眼でものごとを見定める」ということである。で、あるならば、アシタカはこの永遠に解決しない問題にある程度の折り合いをつけるためのバランサーとして「責任」を持たなければならない。でなければ物事の当事者として言い分を聞いてもらえないからである。そこでアシタカはサンとは夫婦になり(通い婚だけど)、タタラ場を住処とするわけである。この後のアシタカについて宮崎はこのように語っている。例によって「もののけ姫」公開後のベルリン国際映画祭でのインタビューである。

「――タタリ神について伺いたいのですが、どうして森の神だったものが、タタリ神になったりするのでしょう。

「一つは『不条理』という問題です。なぜ彼は病気になるのに僕は病気にならないのかという問題と同じです。それは近代医学で説明するならば、『ここで感染したからだ』と言うけれども、なぜ彼は感染して、僕は感染しなかったのかという問題は説明できないですよね。つまり多くの人間にとって災厄というのはなぜ自分に降りかかってくるのか説明できないんです。

 それからもう一つ、『もののけ姫』の中の非常に大事な部分として、コントロールできなくなってしまった憎悪をどうやったらコントロール出来るかっていうテーマがあるんです。そこで課された課題は、サンの人間に対する憎しみをアシタカの愛情で和らげることが出来るだろうかということでした。

 サンの人間に対する憎しみは消えない。でもアシタカだけは受け入れた。それでもいいから一緒に生きていこうと、アシタカはサンに言うわけですけど、この後もサンはアシタカの胸を切り裂くんじゃないですかね(笑)。それでもいいから一緒に生きていこうと言ったアシタカは、大変な受難の道を自ら選び取って、最も困難なところに生きていこうと決めた少年なんです。つまり、タタラ場の人間たちも、サンも生かしたい。山も生かしたい。でも鉄も作らなければいけないというところで、まさに現代的な、現代人として生きなきゃいけないんです。大変ですよね(笑)。」(文芸春秋社『ジブリの教科書10 もののけ姫』p.99-100)

次は『風の帰る場所』での渋谷との対談である。

「――この映画は、最後に宮崎さんのずっと描きたかったテーマ「君は森で生きる。僕はタタラ場で生きる」を言いきってますよね。この台詞のために僕はこの映画はあると思っているんですが、この「僕はタタラ場で生きる」という台詞は宮崎さん自身が言っているんですよね。

「いや別にそうじゃないですけど、あしたかはそういわざるを得ないと思ったんです。『故郷に帰らないんですか?』っていうやつもずいぶんいましたけど」

――いや、タタラ場で生きないと意味ないでしょう。

「意味ないですよね。でも、サンを乗っけて故郷に帰ったらカヤがいるんだぞって言ったら。ああそうですかって言ったやつがいたけど、そのくらいのレベルにするとものすごくわかるんです(笑)。いや、二人とも女房にしてもいいんだ、って追い討ちをかけて言いましたけどね(笑)」(文芸春秋社『風の帰る場所』kindle版p.1874)

 アシタカが「胸を切り裂かれる」とは、首のないディダラボッチとなったシシガミが森の命を吸いつくす大破壊のさなか、エボシを救おうとするアシタカに対してサンが玉の小刀で胸を突き刺すシーンのことをさしている。玉の小刀は別れのサインであり、サンは別れを突き付けようとしたが、アシタカを愛してしまったために結局自分の手から離せなかった。刺されてやるのがアシタカの「責任」であり、愛の証明なのである。デカいおっぱいのない男の子は刺されてやるしかないのだ。同じように、呪いを解くためにはタタラ場の人々を「くもりなき眼」で見つめなければならないので、アシタカは「タタラ場」に残ることを選ぶわけだが、それは愛ゆえの「憎しみ」と隣り合わせの険しい道のりである。

 それはクライマックスで呪いのアザがうっすらとアシタカの腕に残っていることからもわかる。呪いは解けたが憎しみは消えたわけではない。何かの拍子に再び現れることもあるかもしれない。それはひょっとしたら森の神であったナゴの守が出来なかったことをアシタカは代わりにやらされているのかもしれない。これからはいなくなったシシガミの代わりにアシタカ達、人間が里山になった森を管理しなければならないのだ。無限にシシガミから一方通行の恵みもらうのではなく、生をつづけるためには「調和」が必要なのである。

 では「調和」とはなにか、それをシシガミから考察していきたい。


その3 シシガミ考


 シシガミについては直接的な説明は本編でほとんど行われず、また資料やインタビューでも明言されることがほとんどないため、謎が多い。そのためこの項目は、かなり筆者の想像で話すことをあらかじめお断りしておく。

 おおよその登場人物の行動原理が「贈り物」の交換の連鎖で説明がつくことを前段で説明したが、それで説明がつかない存在がシシガミである。ナゴの守にしてもモロとオッコトヌシにしても命をかけてシシガミを助けようとしていた。しかしシシガミは彼らに報いることはなかったにもかかわらず、アシタカの傷を癒した。

 シシガミとはいったい何者なのか? イノシシたちは「森の守り神」と思っているようだ。また猩々たちは「シシガミさま戦わない」と言っている。森の「神々」もシシガミの考えていることが判らないのだ。モロはわかっているようだが、多くは語らない。しかしどうも森の「神々」を守るために動いてくれることがないことだけはわかっている。

 シシガミの正体を見破ったアシタカも「シシガミは死にはしないよ。命そのものだから、生と死と二つとも持っているもの」と言っている。甲六は「シシガミは花咲じじいだったんだ」と表現している。モロとオッコトヌシに死を与えたシシガミを、ジコ坊は「シシガミは生命を吸い取るのか」と言っている。果たしてなにが本当なのだろうか。

 作中では具体的な説明は一切ないが、シシガミのイメージボードには端的に「森にすむ動物たちの循環をつかさどる神」(文芸春秋社『ジブリの教科書10 もののけ姫』p.87)とある。ポイントは「循環」である。循環とは、同じサーキットを一方向に何度も回ることである。つまり生命の循環は一周するがベクトルは同じなのである。

 昼間のシシガミの行動はわかりやすい。瀕死の重傷を受けたアシタカは、シシガミの息吹を受けて傷が癒された。シシガミの足に触れた植物は一瞬で成長し、そして枯れる。サンが捧げもののようにアシタカの枕元に刺した、根から切り離された枝木はそのまま枯れ落ちる。これは「生」のエネルギーを一気にあびせられていると見て間違いがない。時間を早回ししていると言い換えてもいい。だから十分に生きたモロとオッコトヌシはシシガミの息吹で息絶えたのである。吸ってはいない、吐いている。

 ではシシガミはなぜ夜にディダラボッチになるのか。ディダラボッチは夜になにをしているのか。デイダラボッチの行動はよくわからない。ただ徘徊しているだけのようにも見えるが、とにかく朝になる前に「御池」に帰ってくる。

 いくつかヒントになる事柄がある。アシタカが最初にシシガミと遭遇する直前に池の水底にシシガミの足跡(アシタカは「まだ新しい」と言っている)を見つけている。水底と言うところに注目したい。次にアシタカの傷を癒すために登場したシシガミは水に沈まず、水面を歩いて登場する。

 つまり本来シシガミの足跡は水底にはできないはずなのだ。しかしシシガミが水に沈むシーンがある。エボシに首を狙撃されたシーンである。シシガミは賢者のような顔立ちから、「ケモノ」の顔に戻り、そして一瞬水に沈む。しかしすぐに賢者の顔に戻り、再び水面を歩む。

 ここからわかることは、シシガミは死ぬと「ケモノ」に戻ってしまい、水に沈むということだ。つまり、アシタカが水底でシシガミの足跡を見つけたとき、その少し前にシシガミは死んでいるのである。ではいつ死んでいるのか。言うまでもなくディダラボッチに変身するときである。「神殺し」のシーンの少し前に、半分ディダラボッチになった状態のシシガミは「ケモノ」の顔になっている。つまり死んでいると推察できる。

 ではシシガミの死後の姿であるデイダラボッチは何をしているのか。これもはっきりと語られていないが、首を失ったデイダラボッチが森の命を吸い取って巨大化していることから分かるように、森を徘徊して命を吸収していると推察できる。(アフレコ台本では首を失ったシシガミからあふれてきた黒いエネルギー体を「純生のディダラの身体」と表現している)

 ディダラボッチがシシガミの姿に戻る明け方のシーンで、コダマたちはデイダラボッチからシシガミに戻る際の風を受けてカタカタと大合唱している。これは絵コンテで「コダマはこれがすきらしい」と注釈が入っている。だとしたらこれは命を吸い取っているわけではないだろう。これは「命」を「風」として吹き渡らせていると見るのが素直な見方だと思う。

 「風」がシシガミ理解のキーになる。「風」はエネルギーと言い換えてもいい。暴走状態のディダラボッチから伸びた「ドロドロ」が水の中には入ってこられないことも「風」だとわかると納得がいくだろう。宮崎は「風」をいろいろなニュアンスで使う作家であるのは周知のことである。「風」はけしてポジティブな意味合いでは使われない。不条理な存在として取り扱われる。風の谷では、風は風車を回し水をくみ上げる恵みもあれば、海からの風は腐海の瘴気から谷を守ってくれることもあるし、逆に腐海の砂をもたらすこともある。風に意志はなく、人は風の向きを変えることは出来ないが、翻弄されるだけでなく立ち向かうこともできる。

 わき道にそれてしまったが、だいたいのシシガミの一日がわかったと思う。昼間のシシガミは、鹿仲間と森の中を徘徊したり、御池をひょこひょこ歩き回ってすごし、夕方になると一度死んでディダラボッチに変身する。そして森の命を回収して、その命をシシガミに戻るときに「風」として森全体に吹き渡らせる。そしてまた新しい一日が始まる。これが「森にすむ動物たちの循環をつかさどる神」ということである。毎日死んで毎日生き返っているからシシガミは無限の生を持っているかのように見えるわけである。生き物が永遠に生き続けたら森は増えた生き物によって喰いつくされてしまう。だから生き物には寿命があり、生は一方通行で、再び土となり、あらたな生命の苗床となる。これが循環である。

 この一日のサイクルが首が飛ばされたことで、断ち切られてしまい、シシガミはやみくもに命を吸い取ってしまうことになる。そしてクライマックスでシシガミに首を返したことで調和がよみがえるのだが、朝日を浴びたことで、ため込んだエネルギーをすべて大地に「風」として放出したことで消滅してしまう。ちらっとだけ錆びた首桶が映るシーンがあるのだが、これも「風」のせいで風化したと見るべきだと思う。

 基本的にこのサイクルをシシガミは自分でコントロールできないと見るべきだろう。エボシたちに取り囲まれた状態でシシガミはなんだかムラムラを抑えられない中学生のようにその場でするすると変身を始めてしまう。案の定首を跳ね飛ばされてしまう。もし「神」であるならばうかつである。シシガミは命の形をした現象なのだろう。

 だがしかし、シシガミはディダラボッチから戻るための首を求めていた。「現象」であるならば「死」を恐れることはないだろう。ではシシガミの首とはなんなのか。

 作中でジコ坊たちは一貫して「シシガミの首」を求めている。エボシは「シシガミの血はあらゆる病を癒すときいている」と語っている。これはジコ坊か、その仲間からの伝聞であろう。つまりシシガミの首は「不死」のマジックアイテムなのだ。

 とすると解せない点がある。アシタカとサンがディダラボッチに首を返すシーンで、首からしたたり落ちた液体を浴びた二人に、タタリ神の呪いと同じアザが浮かびあがってくるのだ。

 もう一つ解せないことがある。タタリ神への変態途中のオッコトヌシから伸びた、タタリの触手にサンは幾度となく触れている。にもかかわらずサンには例のアザは生まれなかった。触れば呪われるというものではないのである。

 ここで、すべての物語の大前提がひっくり返る。アシタカが「死」の呪いであると思っていたものは「あらゆる病を癒す」というシシガミの血と同質のものだったのだ。

 物語の最初に戻って考えてみたい。アシタカはナゴの守を撃ち倒す前に呪いを受け取っている。そして、アシタカに呪いを与えるとナゴの守はあっさりと白骨化し息絶える。タタリ神とあろうものが何とも情けないと思うかもしれないが、全身に大量の火矢を受けてもまるで受け付けず、石火矢を至近距離で当てられても死ななかったナゴの守が果たして眉間に矢を受けた程度で死ぬのだろうか。アシタカの矢は、侍の鉄兜すら射抜けないはずなのに、である。呪いパワーを受け取ったから殺せたというのは正しい。しかし、相手にも呪いパワーがあるはずである。アシタカに呪いを授けたとき、すでにナゴの守には例の呪いパワーは尽きたと見るべきである。

 しかし呪いが本当に死をもたらす性質のものならば、ナゴの守が呪いから解放されたのであれば、途端に死ぬはずがないではないか。であるならば、あの呪いの本質は死のうと思っても死ねない不死の呪いなのではなかろうか。死のうと思っても死ねない、苦しいのに死ねない、だから世を呪い人を呪い荒ぶるのだ。

 ここで一応の結論めいたことを言うと、アシタカの呪いは不死の呪いである。だからシシガミは傷を癒すことが出来た。でなければあれだけ大量出血したアシタカが生きているはずがない。サンがシシガミのもとに連れていかなければあそこでしばしのちにタタリ神になっていたのだろう。純粋なシシガミの生の部分である首からあふれた血がもたらすものは「不死」という苦痛である。ここでテーマと合致する。生きることは苦しい。

 怒涛の如くストーリーが進行するせいで、完全に忘れ去られてしまっているし、ほとんどの人が首を返すことを自明のことと思ってしまっているが、アシタカとサンは「不死」を放棄して、限りある「生」を選んだのである。

 最後に「死」を受け入れたことでアシタカは「不死」の呪いから解放された。アシタカはもっとも価値のある「不死」をシシガミに贈ることで「許された」わけである。「憎悪」との対決については、サンにナイフで刺されてあげたときに解決している。だから呪いのアザが消えるのは宮崎からアシタカへのご褒美だろう。もうアシタカにとっては死の呪いであるか、不死の呪いであるかはすでに問題ではなくなっている。

 朝日を浴びたシシガミは消滅してしまったのだろうか。アシタカは「シシガミは死にはしないよ、命そのものだから、生と死と二つとも持っているもの」と言っている。シシガミは循環の神である。森に命の風をすべて吐き出してしまったが、鹿の神の形をしていなくても、あの森だった場所に、現象として残っているのだろう。



アシタカとサン(おわりに)


 最後に、この映画のオチってどういうことなの? という話をして終わりにしよう。結論から言うと、何も解決していない。エボシたちは森の木を伐採して鉄を作らなければ生きていけないし、サンは森で山犬たちと生きるし、地侍たちはいつでもエボシたちを狙っている。

 なんとなく久石譲の「アシタカとサン」というクッソ名曲が流れて「会いに行くよ、ヤックルに乗って」という死ぬほどエモいプロポーズが決まったのでいい話だった気分にさせられるが、何にも問題は解決していないのだ。

 しかし、宮崎自身の口から何度も語られているように、この物語は解決しえないものを解決できると、子どもたちに嘘をつくことは出来ないから作られた映画なので、解決しないのがオチでいい。ずっとアシタカは「静まりたまえ!静まりたまえ!」とやり続けるしかないのだ。だって大人は変わらないから。でもそれが生きるということだし、そういう時に見て見ぬふりをせずにアシタカのように仲裁を常に模索し続ける人になってね、という話なのだ。だからアシタカは宮崎映画で解放された生のよろこびのようにたびたび用いられる「空を飛ぶ」ことができないのである。

 この映画がリアリティがないとか、アシタカのような素敵な男はこの世にはいないという批判は、はっきり言ってナンセンスなのである。宮崎はアシタカのような善良な人がいないと思うより、いると信じられる方がずっとマシだし、また、数は少ないがアシタカのような人はいると信じている。だから子どもたちに理想を語っているのである。

 ほとんどの読者はこの映画の締めのセリフが「会いに行くよ、ヤックルに乗って」だと勘違いしていると思うが、この映画の締めはジコ坊による「まいった、まいった、バカには勝てん」である。「バカ」とはなにか。ここでいう「バカ」とは、宮崎駿が尊敬する宮沢賢治が書いた「雨ニモマケズ」の「ミンナニデクノボートヨバレ」ような人のことであろう。今一度読んでみて欲しいが「雨ニモマケズ」でうたわれる「夢」はほとんどアシタカの生き様である。

 ここまで読解して初めてこの物語を批判する権利を得ると思う。

 なので私がこの物語をどう思っているか少し語りたいと思う。

 まずこの物語で理想とされるアシタカの生き方は、無限のバイタリティを持つことが求められるため、休むことも弱音を吐くことも許されない過酷な自転車レースのようなものである。しかも嫁には「ふざけるな!」と胸にナイフをブッ刺され、タタラ場の人々には、「あんた嫁には甘いんだよ!もっと木を切らせろ!」って恨まれるばかりで、誰もアシタカに感謝してくれないのだ。あまりにも悲惨だ。同じ年ごろの青年が海に山に、恋人と連れ立って青春を謳歌しているというのにみじめだ。悲惨だ。青春と呼ぶにはあまりにも暗すぎる。

 というのも宮崎駿が、毎日朝九時から翌日の朝四時までぶっ続けで作業し、ろくな休日をとらなくても映画作りが出来る戦闘マシーンだから、彼が共感できる理想の人物は必然的に宮崎駿を上回るスーパーマンになってしまうわけだ。

 人間は休まないと死ぬか鬱になる。誰かに「ありがとう」と言ってもらえないと闇堕ちしてしまう。お金をもらわなければ家族どころか自分も死ぬ。他人に対して無限の奉仕を求めるのは間違っている。

 身の回りにアシタカがいたら、どうかタタリガミにならないように休ませてあげたり、いっしょに昨日はなにでオナニーしたかとかで笑いあえるようになってあげることが、あの物語には登場できないようなしょうもない人生を送っている筆者にできることなんじゃないかと思う。

 またどこかでアシタカが来てくれないかなって思ってしまうのも人情なので、アシタカが完璧じゃなくても、たとえちょっと体臭が臭かったり、メールに変な絵文字を使っていても、ナイフで刺さずにいられる自制心を持てるように心がけたい。あるいはナイフで刺すにしても毎日だったのを週に一回に減らすとか、月に一回にするように努力できるようになりたい。せめてナイフで刺すことが当然と思わないようにしたい。

 それが出来るなら苦労はしねえよ!

 そういう時は「かぐや姫の物語」を見ましょう。救われます。

 


 ここまでダラダラと書いたものを最後まで読んでくれている人がもしも一人でもいてくれるなら、幸いである。

 ありがとうございました。

 

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