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漫才とかけましてアカペラとときます

その心は後程書きます。


1.はじめに

私はこの数年、M-1グランプリが大好きだ。

きっかけは2016年M-1の決勝戦、敗者復活から勝ち上がった和牛が決勝の舞台で披露した「ドライブデート」。

心を掴まれた。めちゃくちゃ笑った。


2009年頃、関西ローカルで深夜に放送されていた『炎上base』に和牛は出演していた。

当時中学生の私は大好きなジャルジャル見たさにミーハーマインド全開で眠い目を擦りながらテレビにかじりつき、なんとか毎週その番組を観ていた。

出演していた大勢のbaseよしもと(今は亡き)芸人のうちの一組、という印象しかなかった和牛がこんなにおもしろかったとは。

練りに練られた、誰にでも分かる面白さ。

まじ天才。

川西さんかっこいい。

川西さんかっこいい。


しかも2016年M-1決勝では、同じく炎上baseに出演していた銀シャリが優勝、スーマラ、アキナ(昔はソーセージでしたね)も大活躍。

しばらく見いひん間に大きなったね~と肩をバシバシたたく近所のおばさん的心境である。

そんなこんなで、このM-1を皮切りに私の中で第二次お笑いブームがやってきた。


時を同じくして私はアカペラに没頭していた。

大学のアカペラサークルに入部し、

大会に出たり、ライブに出たり、極寒の屋外深夜練で外気の冷たさに耐えきれずiPhoneのバッテリーが劇的に弱まったり、

はたまたサークル代表を務めたり、イベント運営に携わったりとなんやかんや楽しみ尽くした。

その反面、学生アカペラ界の狭さ・奥深さに疲弊し心を蝕まれたこともある。

大阪大学アカペラサークルinspiritual voicesは私を大いに成長させてくれた。


そんな最中、私は気付いた。


2.漫才ってアカペラじゃない?

(過言)

さてここからが本題。

M-1を契機にお笑い、特に漫才熱が高まっていた私はよしもと漫才劇場やなんばグランド花月に足を運んだ。

そこで、何が私をこんなに熱くさせるのか、閃いた。

漫才とアカペラはめちゃくちゃ似ている。

ちなみに、ここでのアカペラは音楽のジャンルとしてのアカペラというより、私が身を投じた「学生アカペラ」に絞っている。

また、ジャンルでいえば趣味に近い学生アカペラとは異なり、仕事として漫才をしている漫才師・芸人さんへのリスペクトはもちろん忘れていない。

しっかりとそのことを念頭においた上で、

なぞかけします!!!


・なぞかけその1

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、どちらも体一つで魅せるでしょう

はい、至極当たり前なやつから行きます。

漫才もアカペラも、パフォーマーが存在し、マイクさえあれば(最悪なくてもいい)そこはステージになる。ザ・素敵。


・なぞかけその2

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、どちらも入場からステージは始まっているでしょう

これは劇場に行って初めて実感した共通点。

アカペラのステージに入りハケのSEがあるのと同様、劇場芸人さんも出囃子というものがある。

一つ異なる点を挙げるとすれば、芸人さんの場合は入りハケでかかる音楽は同じものだが、入退場も含めて自分たちのステージという点では大きな共通点である。

きっとコンビ間で、自分たちらしさを演出する曲を話し合って決めたのだろう、と想像する。学生アカペラグループと同じように。


・なぞかけその3

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、どちらもステージングが大事でしょう

ステージングとはいわば身振り手振りのことである。

漫才、特にM-1のような競技漫才では持ち時間内に巻き起こせる笑いを最大化する手段の一つとして「ステージを大きく使う」手法が良く用いられる。

2018年のM-1決勝が良い例だ。

ダイナミックに舞台を動き回る霜降り明星がウケたのに対し、動きの派手さには欠けるが熟練のしゃべくり漫才師さながらのギャロップはそれほどの高評価を得なかった。

「M-1の4分の筋肉は使い切れていなかったかなという感じがしますね」by塙先生

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持ち時間にもよるし、勿論それで勝敗が決まるわけではないけれども、

果敢に挑んだ学内オーディションの講評で「ステージを大きく使えていない」「全体的にこぢんまりした印象を受ける」等々と書かれて落ち込んだ思い出が頭をよぎった。

鏡の前で一生懸命かっこよく見える歌い方を模索した当時の自分がいじらしい。。


・なぞかけその4

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、どちらも衣装にこだわっているでしょう

敬愛する和牛の水田くんは2016年M-1敗者復活と同日の決勝で、衣装を変えている。

放送を観ていたときは気にも留めていなかったが、後から「敗者復活のネタにこっちの衣装は合わないと思ったので」と答えた水田くんのインタビュー記事を読んで、芸の細かさに恐れ入った。

最近テレビでは見ないけれど、やっぱり水田くんの衣装は宮川大助花子師匠からのプレゼントだというあのマリメッコの水玉セットアップが一番好き。


芸人さんたちのステージ衣装は一張羅。

同じく、学生アカペラにおいても、グループを組んで初舞台の前にはみんなで自分たちのカラーに合った衣装を選定する。

衣装をメンバー全員で買いに行くとなると初めはウキウキするが、結果男性陣を激しく疲れさせてしまうことになるので絶対にしない方がいい。

嗚呼、どんどん一項目が長くなっていってる。


・なぞかけその5

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、メンバー間でパワーバランスが生まれるでしょう

漫才においてはネタ作成者、アカペラにおいてはアレンジャー(楽譜を書く人)が、どう転んでも偉い。

だってそれだけの時間と労力を割いて作品(ネタにしても楽譜にしても)を創り上げているから。

学生アカペラーはぜひ何らかの手段で2019年6月27日に放送された『アメトーーク ネタ書いてない芸人』を見てほしい。

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この回で行われたやりとりは、まさしくアレンジャー・非アレンジャー間のそれ・・・。

私は所属した複数のグループでどちらの立場も経験したので、本当に共感の嵐だったし、当時の自分を思い出して痛いところ突いてくるなぁと感じましたね。

作品をより良い形へブラッシュアップする作業はメンバー全員の仕事だが、ネタ作成者・アレンジャーは必ず一人で苦悩する時間がある。

細かいことを言えば芸人さんの場合作家さんがついたりするんだろうけど、ゼロから生み出すって本当にすごい労力がいる。

次でやっとラストです。長々すみません。


・なぞかけその6

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、どちらも一つのものさしで判断できないものなのに順位をつけられるでしょう

これこそが最も私を熱くさせ、また悲哀を感じる共通点でございます。

自分がいいと思うモノをつくるのは、とても楽しい。

それが周りから評価されると尚楽しい。

そして評価を得れば得るほど、もっと周りから評価されるモノをつくろうとする。

そうすると、いつのまにか「自分がいいと思うモノ」がどっかへ行ってしまう。

いや勿論、評価されるモノをつくるということはめっちゃ素晴らしい。

けど、何を面白いと思うか、何を楽しいと思うか、何を良いと思うかは人それぞれなはずなのに、

それに順位や勝敗がついてしまったことで、落ち込む人がいたらそれはとっても悲しい。

まあ芸人さんではないから想像に過ぎないけどね。


ただこれに関しては、全く逆の、ポジティブな共通点もある。


・なぞかけその7

漫才とかけまして、アカペラとときます

その心は、様々な活躍の仕方があるでしょう

芸人さんはお仕事であり生活がかかっているので、これに関しては両者の間で規模感にかなりの差があるけど、

何をもって活躍とするかは人それぞれですよね。

芸人さんにとってはメディア露出が多いことこそが活躍なのかもしれないけど、

賞レース・大会でいい結果を収めることも活躍、

営業先でたくさんの人に楽しいひと時を提供するのも活躍、

ライブ活動に精を出すのも活躍、

YouTubeの配信やTwitterでバズるのも活躍。

心から楽しめるのであれば、別に形は何でもいい。

もっと言うと、私は好きな人たちが心から楽しめる方法や場所で輝いているところをみたい。

(次でラストって言ったのにもう一個増やしちゃった☆)


以上、全7個の漫才アカペラなぞかけでした!

ご清聴ありがとうございました。


3.おわりに

ぜーーーんぶただの主観だし私は芸人さんでも今はアカペラーでもないけど、

たまに浮かんでは消える誰に言えばいいか分からないどうでもいいことを発信してみようと思い立って投稿しました。

またなんか書くかも~


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