短編小説② 荒城ヶ浜 第二節

 彼は悟郎というらしい。何度か会ううちに、少し話をするようになっていた。

 見たところ三十前後らしいこの男は、言葉の通りに月が替わる頃になると決まってこの浜に来て、札を餌に釣りをしていた。僕は家が近いこともあってもともとこの浜辺を散歩道にしていたが、あれ以来薬師堂に寄る度に浜の方を見遣るようになった。そうして竿を傾ける男を見つけると、浜の方に下りていくのである。

 海に金を投げること自体相当奇妙な行いではあるが――毎度毎度見物に来る学ランの若者を特に訝しむことなく、彼は淡々と竿を振り続けていた。初めの数回はこちらから話を振るばかりだったが、そのうちぽつりぽつりと向こうから話をし出すようになった。

 疑問の一つは躊躇なく金を捨て続けられるその財力についてであったが、もともと東京で仕事をしていて蓄えがあること、今は物書きで生計を立てているからそれなりの収入があると聞いて、僕は小さく嫉妬した。ただ最大の疑問、この奇妙な行いの理由については、何か思うところがあるようで、頑として口を開かなかった。初めは興味本位でそのようなことを訊いていたが、彼のその様子を見て、やがてそれが野暮な行いであったことを悟って、それ以降その話題を振ることはなかった。

 今日は珍しく煙草を咥えていた。それ以前に煙草をふかしていることはなかったので、物珍しく理由を尋ねてみた。今日は特別な日だから、とボソッと答えて、あとはただ夕焼空に煙を漂わせていた。先日墓参りに行ったとき、線香の煙がこんな風にたなびいていたことを思い出した。見えないはずのものが見えているような気がして、恐ろしくも美しいその光景に身震いしていた。

 ピピピとアラームが鳴った。今日は携帯電話だった。彼は六時になると竿を片付けて帰り支度を始める。相変わらずバケツもクーラーボックスもない。竿を折りたたんで袋にしまう。帳簿をつけ終わると、それじゃ、とだけ言って歩き始めた。帰り際に一声かけられることで、それまで僕の中にあった、実は邪魔なのではという疑念は瞬く間に消え去った。あの一言以来、夜の海がどうにも怖くなった僕は、彼の後に続いて家路につこうとしたが――丁度その時、彼が踵を返したのである。

 何か忘れ物でもしたのかと様子を窺っていたが、浜には何もない。彼は先ほど座っていた辺りにしゃがみ込むと、上着のポケットをごそごそと漁り、何かを地面に置いた。そうしてそのまま、今度は僕に何も声をかけずに、もとの道を歩いて行ったのである。

 何を置いたのかと近寄ってみると、それは煙草の箱と百円ライターだった。中にはまだ十本ほど入っている。

 振り返ってみると、彼はその速足でだいぶ遠くまで行っていた。見ていないことを確認し、箱から一本取り出す。年齢故に吸ってはいけないという自制心と、ちょっとした好奇心がせめぎ合ってしばらくそうしていたが、ふとそこに、何故彼が煙草をそこに置いたのか――その理由が頭をよぎって、箱を取り落とした。

 不確定ながら、そこに煙草を置いた意味、そして金を延々海に投げ続けるその行いの意図、それらがつながったような気がした。カチリ、と何かが嵌った感覚がしたと同時に、僕は猛烈な恐怖心に駆られて、海に背を向けて駆け出した。もしかすると途中で彼を追い越していたのかもしれないが、全く気付かずに家の玄関に辿り着いた。全力疾走の疲れから肩を上下させていた時、ようやくその確信を言葉にすることができた。

 ――あれは、お供えだったのだ。

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人類学専攻の大学生。身辺雑記を中心に随筆を主に書いています。
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