Z句(ズィーク)

《 Z句(ズィーク)・Z(ズィー)筆(ヒツ)のプレゼンテーション 》

自分の娘や息子がミュージシャンを目指し作品を次々と書いている。少し羨ましいと思った。
十数年ほど前、中国の工業製品の台頭により、日本の工業界は大打撃を受けた。僕の職場も荒波を避けるため閉鎖することになり、五六才にして人生初とも言える試練を経験する事になった。ハローワークの紹介による仕事に就けたのは何カ月か経っていた。仕事環境がすっかり変ってしまった中、なんとか年末まで頑張り続けた。そして故郷で年越しそばを食べながら新年を元気に迎える事の出来たこの感動を書き残したいと思った。

文学や読書にまったく興味が無く、理系一筋に過ごして来た僕が、この時初めて何かを書き残したいと思った。
 「突き抜ける 年越しそばの さびうれし」
その年の自分を表現出来たと思う。

文学のことをまったく知らない僕は、敷居の高さや怖さも知らずに、短く五七五で書くのがやり易いんじゃないかと単純に考えた。その後日記のつもりで感動したことを書くようになった。周りからは俳句になっていない、などと言われるので、自分勝手なルールを作り新しい名称をZ句と名付けた。難しい決めごとは全く無く、五七五のリズムに乗せて自分の気持ちが表現出来たかどうかだけだ。
自分にも表現出来るんだ。この感動をZ句・Z筆という切り口で、ド素人の僕でも楽しんでいる。日記を書く気軽さで作品になっていく。あの時なにを考え、想っていたのか今さら言えないことも、身近なひとに伝えられるかもしれない。

僕の作り方は理系の素人手法だ。書きたい言葉をすべてメモする。通勤の電車の中で、切り捨てるものと伝えたい言葉を選ぶ。別の表現方法を考える。パズルを解くかのように並べ方を考える。楽しい時間だ。満員電車も関係なし、表現しきれない時は七・七・追加して短歌にしてしまえばよい。これに解説が必要なら、その後A4サイズ1枚で随筆風に書く。Z筆だ。
文章や俳句を勉強していない普通の人は自分の作品をなかなか書けない。書いたとしても人前にさらされるのは恥ずかしい。そんな普通の人にも、僕も含めてこのZ句・Z筆と云う土俵の上では、自由に書ける。書けそうな気がする。書かなかった日記を手繰り寄せて見ませんか。あの時が鮮明に蘇ります。 そんな切っ掛けになって貰えると嬉しい。
         
   平成二十五年 九月

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