僕らはいつか、"自殺"しなきゃいけない。

こちらのツイートをきっかけに、人生初めてのアフタヌーンティーをしてきました。

ご一緒させていただいた三宅諒さんは、フェンシングの選手でロンドンオリンピック男子団体銀メダリスト。トップアスリートです。僕はスポーツとの縁がぷっつり切れたインドア派のボードゲームデザイナーですが、西原さんから繋がり始めた不思議なご縁で最近知り合って、ボードゲームをご一緒しました。

ツイートをみかけて、前にお会いした時はゲームをたっぷり遊んでしまってお話をほとんどしなかったことを思い出して、名乗りを上げたのでした。あと、アフタヌーンティーに一度は行ってみたかったというのもありました。

当日、待ち合わせたカフェは思いのほか込み合っていて、アフタヌーンティー初心者たる僕はその人気に驚きました。予約をしておいたほうがいいやつでした。名前をリストに書いてもらって席に座るまで、20分くらい待機。そしてティーにありつきます。

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運ばれてきたお茶とお菓子にテンションを上げる三宅さん。向かい側で僕も「あ~よく見るアフタヌーンティーのやつだ~」などと言いながら写真を撮っています。男二人で来ているのは僕らだけでした。

三宅さんがアフタヌーンティーに行きたくなり始めたのは、飲み会に行くのをやめたからだそうです。同じくらいのお金を払うなら、ゆっくり話ができて、時間の流れを楽しめるほうがいいじゃんとのこと。

本当にその通りで、ゆったりとたくさんのお話ができました。フェンシングのこと、ゲームのこと、最近盛り上がっているラグビーワールドカップのこと、などなど…中でも一番印象深かったのはスポーツ選手のキャリアのことです。そしてそれは、全然他人事じゃなかったのでした。

人生を懸けたものを、自分の意志で捨てるときがくる

三宅さんは、プロスポーツ選手はいつか自殺をしなきゃいけない、と言いました。

自分の選手生命の終わりを、自分で決めなければいけない。いつか、自分の人生を懸けてきたものを、自分の意志で捨てるときがくる。その瞬間を指して自殺と呼んだのです。

思わぬケガなどで引退を余儀なくされることもあるかもしれませんが、よほどでない限りスポーツ自体が全くできなくなることはありません。たとえば走れなくても「サッカーをすること」はできるし、だから「サッカー選手であること」も可能です。

だけど、それはプロのスポーツ選手としてあるべき姿なのか。あろうとするべきなのか。だから、すべきときを見極めて“自殺”しないといけないのです。それはとてつもなく、つらい決断です。

僕はいままでしてきたスポーツは中高生のときの部活動くらいで、始まりは入学で、終わりは卒業と連動していました。そこに自分の明確な意思はありません。だから"自殺"する気持ちを実感してはいません。

でもこれって、スポーツ以外の仕事にも同じことが言えると思いました。ぼくは今はボードゲームデザイナーとして活動できています。でもいつかもしかしたら、どうしてもアイデアが出なくなったり、最新の動向をキャッチアップするのが難しくなったりして、思うように活動できなくなってしまうかもしれません。

でもその時点で過去に作ってきたゲームがあるし、ボードゲームデザイナーとして名乗り続けることは可能なんだと思います。でも、そうしていることに意味は、価値はあるんでしょうか。どこかで、"自殺"すべきなんじゃないでしょうか。絶対の正解はありません。その意味では“転職”だって、一種の自殺たりえるでしょう。

つまり結局は誰もがぶち当たることなのですが、スポーツ選手はそれが一般的な職業人よりも早いのです。だからキャリアについて真剣に考えるべきだと。

三宅さんは、その結果を左右するのが、人生の上にスポーツがあるか、スポーツの上に人生があるかだと言いました。崩れてしまう人はたいてい、スポーツの上に人生を乗っけてしまっていた人だとのこと。仕事で言えば、定年後になんにもすることがなくなってしまっている人みたいな感じですね。

僕もつい、会社をつくったりフリーランスっぽく活動していると、仕事の上に人生を乗っけてしまいがちです。このお話を聞いて、「そういえば、今どうなってる?」と立ち止まるきっかけをいただけました。大混雑にともなって90分限定の席だったのですが、最近最も密度が高い90分だった気がします。ありがとうございました。

ちなみに三宅さんは、まだまだアフタヌーンティーのお相手を募集されているようです。三宅さんとのお話も、アフタヌーンティーも、すっごくいい時間になりますよ。


ナイスプレー!