ヒトとして生まれる意味と目的【才能の言語化】

こんにちは。
僕らはヒトとして生まれてきたが、
なにをするために生まれてきたのか?

そういうことをお伝えするのが、今回の投稿になります。
その前にひとつ、「命」について。

「ヒトの命の"重さ"は平等ではあったが、命の"価値"は平等ではなかった。
ダイヤモンドは1g:約1,400万円だが、鉄は1g:0.06円というように。
このように重さは同じ1gでも、価値が違うと。
たぶん命の価値というものは、
生きていく過程で上げていくものであり、
この「命」は心臓のことを指すのではなく、"魂"であると思う」

あなたの価値を上げるには、なにをすればいいか?
仏教の要素も入ってくる、確信をついた内容になります。
心して以下を読むと、身になりますよ。

〇私たちは何のために生まれてきたのか? #12

①多様性の時代で考える「生」と「死」

「風の時代」「個が尊重される時代」
いろんな意味で、「~しなければならない」という
固定観念・概念が崩れていく、そんなことを感じている
今日この頃となってきました。

少し漢字のお勉強をしましょう。
あなたは「生」という一文字の漢字から、
何種類の読み方ができるのかを
知っておられますか?

実は、158種類あると言われています。
生きていることは多様性がそもそも備わっており、
つまり人それぞれ違うことは当たり前のことなんです。

逆に「死」という漢字は、「し」の1種類の読み方しかできません。

僕がこのことから考えることは、
ヒトは生まれながら自由に多様的に生きることを許されているが、
いずれにしても生きていく道のりは結果、
終着点の「死」に向かっていっている。

だからこそ、この道のりの中でいち早く
己の役割を見つけて生きていくことが、
魂のレベルを上げるひとつの要素なのではないかと
そう思うわけです。
※個人の意見です

②魂と肉体

僕らは、「魂」と「肉体」の2つで動いている。
「肉体」は借り物で、
「魂」が本当の自分自身であると考えるわけです。

ただ、ここで問題が発生する。
「肉体」があることで自由に移動ができない。
「魂」だけであるならば、
ひょいといろんなところに行けるのではないかと。

例えば、ニューヨークに行きたいとする。
「肉体」があると、その場所まで運ぶのに
お金も時間もかかる。

「肉体」は身動きを取りにくくしているのではないか?と。

だが、実はそうじゃない。
実は「魂」は、単体では移動ができない。

なぜなら、「魂」は意識であり、
意識は肉体がないと移動することができないのです。

もっと深堀りします。

夏が近づいてきたのでそろそろといった感じですが、
心霊番組ってありますよね。

信じる信じないは別として、
霊媒師が憑りついた霊に対して、語りかけるシーンってありますよね。

その霊媒師に向かって、憑りついた霊が
「私はこんな思いをした、あんな思いをした」と。

この「魂」という意識は、
"未練"や"執着"があるとその場から消えることができず、
離れたくても離れることができない。

逆に「肉体」を持っている私たちは、
"未練"や"執着"があっても、「肉体」ごと移動することができる。

上記のことから、
実は「肉体」があるから不自由なのではなく、

「肉体」があるからこそ
どんどん違う環境を求めて、移動することができたりする。

それから「時間」という感覚は、
私たちは「肉体」を持っているから
"眠い"、"お腹がすいた"などの信号から、
時間の経過を感じれる。

しかし、この「肉体」を持っていない「魂」は、
時間の経過が感じれなくなるので、

「わたしはここで〇された」と言うけれども、
それは何十年、何百年前だったりする。

意識しかない「魂」の時間を感じれない特性を
テレビも把握していたなら、正しい理論の元、
モノ作りをしているなとそう思うのです。

このことから私たちは肉体を通して、
時間を感じたり、様々な思いを育むことができている。

③魂のランク

「魂」は現実世界と同様に、
高い魂から低い魂までものすごく細かく、
ランクの住みわけがされています。

なぜかというと、
「魂」は意識したところに根付くから。

そうすると、「魂」は波長が合うところを好むので、
意識レベルの高い「魂」は高いところにいるし、
低い「魂」は低いところにいます。

現実の世界でも同じことがいえます。
経済力によって住む場所が、
大体住み分けされている。

ロサンゼルスの高級住宅街に住んでいる人、
アフリカのスラム街に住んでいる人。
その人の経済力から住む場所が決まっている。

「魂」の世界では、
その「魂」の質・レベルで厳密にいる場所が違うんです。

その観点から、意識レベルの高い「魂」は
周りにそういう人たちしかいない。
例えば、愛に溢れ、本当に気配りができてという
「魂」しか周りにいないんです。

反対に意識レベルが低い「魂」にとっても同じことが言え、
例えば周りに嫌な奴しかいなかったりする。

意識レベルの高い「魂」からしたら、
本当に愛に溢れた人ばかりだから、居心地はいいんだけれども
同時に学びも気づきもない。

これは現実世界でも同じことが言えます。
仕事だから付き合っているけれども、
仕事でなかったら絶対に付き合わない。

ヒトは気心しれた人とだけなら、
居心地が良いし、そこにいたい。
けど、そこに意味や「魂」の成長はない。

自分とは違う異質の「魂」と触れ合うからこそ、
自らの「魂」を成長させることができる。

プライベートで居心地が良い人と一緒にいても、
それは「魂」の世界で行っていたことを
こちらの世界で同じことをやっているに過ぎないのです。

しかし、「肉体」を持つことによって
意識レベルの高い「魂」、低い「魂」が
同じ次元で出会う機会が生まれた。

「魂」の世界ではまず出会うことのない、
異質の「魂」と。

また、意図的に意識レベルの高い「魂」は
オギャーと生まれてきてから
障害を持って生まれてきたり、親が異常者であったりとか、
そういう場を選ぶんです。

反対に、意識レベルの低い「魂」は
何もしなくても生きられる環境や裕福な環境を選ぶ。
※上記はひとつの例で、一概にそうとはいえないこともあります。

「魂」の世界であれば、
嫌な「魂」しかいなかったのに、

全然違う次元の異質の「魂」と出会えると
こんな凄い人もいるんだと気づき、
触発されてその「魂」に近づこうとする。

ところが、「魂」の世界では
そのきっかけすら生まれない。

「肉体」を通してしか、私たちは成長できない。
そうやって生まれ変わりを繰り返している。

④魂の価値観

③魂のランクで記載したように
私たちは「肉体」を通しているからこそ
時間の経過というものを感じることができている。

その為、「肉体」を持っていない「魂」は
肉体を通して手に入れられるもの全てを、
手に入れることができない。

例えば、私たちは「肉体」を通してしか
"情"を育めない、"愛"を育めないのです。

つまり、「魂」の世界では
残念ながら、"愛"は育めないのです。

私たちはやがて、
人生を終える時が来ます。

その時、「肉体」から「魂」が離れ、
「魂」は元いた「魂」の世界へと戻ります。

すると、時間が経つにつれ、
どんどんヒトとして生きてきた時の
記憶が薄れていき、

同時に生きてきた時の価値観が、
「魂」の価値観へと変わっていく。

例えるなら、
海外に移り住んでいくと英語ばかり話すので、
段々使わなくなっていく
日本語が下手になっていき、
最終的にはイントネーションまで
わからなくなっていくという風に。

「魂」の世界にいくと、
人間界で過ごしてきた時の価値観が薄れていき、
それらが「魂」の価値観へとすり替わっていく。

人間界は、物質的な世界であるから

"お金が欲しい"
"豊かになりたい"

という価値観が中心ですが、
「魂」の世界では"愛"や"情"を求める。

つまり、「魂」でいる時間が長くなればなるほど、
人間界でいう"お金が欲しい"と求めるものが、
「魂」では"愛や情が欲しい"というものを求める。

しかしながら、「魂」の世界では"愛や情"が育めない。
「肉体」を通してしか育めないのです。

ところが、「魂」になったばかりでは気づかない。
それでも求める。
求めるけど、手に入れられない。

その繰り返しで、"愛"に飢える。

やがて時が巡って、
再びこの人間界に「肉体」を持って、
生まれてくるチャンスがやってくる。

その時、愉快で楽しいだけでは
"愛"を育めないのを知っている私たちは
生まれた後の自分はなんでこんな人生なんだと
嘆く環境を選び、"オギャー"とこの世に生まれる。

"オギャー"とこの世に生まれた瞬間に、
「魂」の世界での記憶を全て消す。

なんで記憶を消すのかというと、
記憶が残っていたら、意味が無くなるのです。

"辛い"ということがどういう理屈で
"辛くなるか"をわかっていたら、
実は人間は"辛く"ならないんです。

「なんで?」「私だけ?」
「どうしてこんな想いをしなきゃいけないの?」

そんな中で、豊かな様々な"情"が育める。

最初からわかっていたら、
織り込み済みになるので、
"情"が育めないのです。

だから一旦、リセットする。

⑤魂の道しるべ

一旦リセットする。

だけど、リセットしたことで
道に迷ってしまったら全部パーになってしまうので、

自分が産まれた後、道に迷わないように、
道しるべというものを皆用意しているんです。

道しるべとはなにかというと、
例として山登りで説明いたします。

山登りを経験された方ならわかるかと思いますが、
道のところどころになにかテープが貼られている木の棒や
岩に白いチョークでなにかしら書かれていたりします。

和気あいあいと登る人もいれば、
ストイックに登る人もいるでしょう。

初めての山登りは、道がよくわからず
「こっちで本当にあっているのか?」という
不安心も出てくる。

そうやって頂上を目指して、登っていくうちに
自分のいる場所がわからなくなってくる。

そんな時にこういう造作もない木の棒や
岩への落書きにも見えるチョークの目印が
あなたの道しるべになってくれたりするわけです。

そして、頂上に到達したときに
「ああ、あの木の棒や岩が私をここに導いてくれたんだ」と。

これは私たちの人生にも同じことが言えると思うのです。

目標やゴールといった、"頂上"を目指した
人生の歩み方をして中で
「これは偶然か?」と思えるようなことが重なっていくと
ひとつひとつに意味があるなと感じるようになる。

そして、「こっちの方に行け」と
自分は守られている、導かれているという感覚に至る。

逆に頂上を目指していない生き方は、
山登りのように例えて言うなら、
「麓で昆虫採集をしている感じ」なので

たまたま、偶然で終わってしまうんです。

多くの人が生まれる前に、
生まれた後に道に迷わないようにと
用意した道しるべに気づかず終わってしまう。

道しるべに気づくためには、
人生の"頂上"を目指さないといけないんです。

⑥幸せとは

その人生における"頂上"には、『幸せ』がある。

『幸せ』とは突き詰めると、
自分を"愛する"ことです。

自分を愛することが、
最終的にできるようになれば、
その頂上に立てるようになると言われている。

ただ、自分を愛するためには
辛いことも悲しいことも経験したことないことも
いろんなものを経験しなければならない。

結局、本当の"愛"は
自分が幸せであるときにしか育めない。

そしてこの幸せになるための要素、
"喜怒哀楽"全ては上に上がろうとする
努力の最中でほとんどすべて手に入れられる。

⑦あとがき

以上、僕たちがヒトに生まれてきた意味でした。

仏教ベースのお話を主流にお伝えしてきましたが、

ヒトは、生まれた瞬間から
早かれ遅かれ、"死"に向かっています。

"死"へと向かう片道切符で、
あなたはなにを目指して向かっていくのか?

せっかくなら、共に人生の"頂上"を目指しませんか?

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