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狂想曲。

2020年のオリンピックのチケット購入のニュースをみていて、ふとあることを思い出した。2002年の日本開催のサッカーW杯のチケット購入のことを。

キャプテン翼世代で、一番大好きなサッカー選手が来るかもしれないので、W杯を楽しみにしていた。その選手はベルギーのシーフォ、1986年にメキシコで開催されたW杯で彼のプレイを観て虜になった。
メキシコW杯はマラドーナのための大会と言われているけれど、20歳のシーフォの完成されたプレイは圧巻だった。フランスの将軍プラティニが20世紀最後のゲームメーカーと言うぐらいの選手だった。

結局シーフォは日本に来なかったけれど、代表復帰して来日するかもしれないとの噂を聞いていたので、彼のプレイが見たくてチケットを買うために必死になっていた。

毎日深夜に、ネットと格闘を続けていた。当時のネット環境は電話回線で信じられないくらい遅く、回線が集中しすぎて全然取れない。ネット以外に電話販売もあって、日中の13時半か14時ぐらいには電話を掛けまくっていた。

当然勤務時間中だったけれど、私とA先輩の二人はその時間ひたすら電話をかけ続けていた。周りは一生に一度からだと思ってくれたのか、呆れていたのか、何も言わずにリダイヤルし続けている二人をみていた。
電話問合せがあっても、「今(電話が)忙しいから、後で(仕事の)連絡はすると伝えて」と頼んでいた。

ネット予約のヒント集を調べては、周りの知人に伝えて何人かはそれで見事取れたらしい。しかし、私は取れなかった。行きたいとの思いが強く、B先輩から欲しいチケットを譲ってもらった。

C先輩はネットでチケットを取れたけれど、試合会場はまさかの新潟。何も考えずに、応募したらしい。相談されて、「今日も明日も来月もやってくる仕事か、もう二度と見れない試合か、どっちが今大切ですか?」と答えた。C先輩は夜行バスで試合日だけ休み、奈良から0泊3日の弾丸観戦に行った。

バブルのような祭りの時代だった。チケットを取るために、試合を観たいために、誰もが弾けていた。バブルの使い方は違うけれど、本当にバブルのようにワクワク、ふわふわしていた。

実際、試合会場もお祭りだった。私は、大阪の長居でのイングランドv.s.ナイジェリア戦を観に行った。楽しみにしていたのに、やる気のないオコチャにがっかりはしたが、ワクワクした時間だった。

D先輩夫婦は、私が伝えたヒントでチケットを手に入れて観に行った。彼は遠い昔、日本で開催されたワールドユースの決勝戦(マラドーナが出場していた)を石川から観に行っていて、試合終了のホイッスルの後にグランドに乱入したらしい。
サッカーが好きで、お祭りが好きな彼は、観に行った試合会場でもお祭り騒ぎをしていた。アフリカのチームの応援団と意気投合して、試合会場から駅まで肩を組み合って一緒に騒いでいたらしい。奥さんは呆れていたらしい。

本当にあの数ヶ月は、狂想曲の調べの中に確かに私は居た。

当時は、純粋にサッカーが好きな人たちが、サッカーを楽しみ、騒いでいた。一部のただ騒ぎたい人たちもいて、問題を起こしもしたが。

さて、2020年はどうなることだろう。
スポーツを楽しんで騒ぐのか、ただお祭りとして騒ぎたいのか。

2020年のオリンピックの狂想曲は、調べには乗らずに、外で聴くつもり。狂想曲は、BGMとしてか、ノイズとしてか、果たしてどっちになるのだろう。できれば、もう一つの協奏曲だったらうれしい。

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