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音楽と一緒 〜ピアニストになりたかった〜

音楽の話を中心に半生を振り返るシリーズ、
「音楽と一緒」

昨日は一番古い音楽の記憶を振り返りました。

今日は、幼少期から中学一年ぐらいまで続けていたピアノの話をします。

ピアノを始めたのは4、5才頃だったと思います。
ピアノを始めた理由は覚えていないですが、確か「エリーゼのために」が弾けるようになりたいと思っていたような気がします。

地元のピアノ教室に通いながら、それほど強い情熱を持つでもなく、のんびりとやっていたと記憶しています。ある時までは。

僕が小学校高学年の時、テレビでとある番組が放送されました。
フジコ・ヘミングさんのドキュメント番組
「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」です。
フジコさんはこの番組でブレイク、その後発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は大ヒットしました。
フジコさんがこの番組で弾いた、
リストの「ラ・カンパネラ」は、多くの人にインパクトと感動を与えました。「ラ・カンパネラ」はフジコさんの代名詞となりました。

当時の僕もその一人で、
僕はこう思いました。
「ラ・カンパネラを弾けるようになりたい。」
さらには、「ピアニストになりたい!」と思うようになりました。
ピアニストを目指すにはいささか遅すぎたとは思いますが、
僕は地元のピアノ教室を辞め、音大の先生が開いてるピアノ教室に通うようになりました。

しかし、志は高かったのですが、ピアノは中学一年ぐらいには挫折してしまいました… 笑
なんか、先走って「ラ・カンパネラ」をはじめ、ショパンの「英雄」、コルサコフの「熊蜂の飛行」など、難しい曲の楽譜を買っていた記憶があります 笑
エリーゼのためには弾けるようになりましたが、もちろん「ラ・カンパネラ」は無理でした。

ピアノの事で覚えている事。

まずはフジコさんのコンサートに行った事です。
当時チケットを買うといえば、電話が主流でした。
テレビの影響もあって、フジコさんのチケットは倍率が高かったと思いますが、父親がチケット会社に何回も電話して、何とか買うことができました。
そのコンサートでは、なんとフジコさんの楽屋で直接会う機会に恵まれました。確かスタッフの方に、フジコさんにプレゼントで買ったぬいぐるみを渡してほしいと頼んだら、スタッフの方がフジコさんにその事を話して、直接渡すという流れになったんだと思います。
フジコさんと何を話したかは忘れてしまいましたが、笑顔で出迎えてくれて、キスマーク付きのサインまでくれたのを覚えています。
ちなみにそのサインはまだ手元に残っています。

また、20代前半に約10年振りにフジコさんのコンサートに行く機会がありました。その時改めてフジコさんのピアノはすごいと感じました。
深く、こちらを呑み込むような力強さ。
むしろ子供の時よりも感動しました。
2年前に公開された映画
「フジコ・ヘミングの時間」も観ました。
エネルギーが全く衰えていなくて驚きました。


ピアニストの映画を観ていた事も覚えています。

「シャイン」

映画のモデルとなったピアニスト、
デイヴィッド・ヘルフゴットさんのコンサートにも行きました。

「海の上のピアニスト」

海の上のピアニストは楽譜も買いましたね…
やはり難しくて、弾けるようにはなれませんでした 笑

家ではフジコさんや、デイヴィッド・ヘルフゴットさんはもちろん、
2000年のショパンコンクールで優勝した、ユンディ・リさんの
CDもよく聴いていました。
後は、サティも親がよくかけていたと思いますが、
当時はあんまり心に響いてなかったと思います 笑

今ではピアノは全然弾けなくなってしまいましたが、今でも弾いてみたいと思う事がたまにあります。後、家にアップライトピアノがあるのは憧れますね。

明日は僕がポップスを聴き始めた頃の話をします。
90年代後半〜00年代前半の頃の話です。




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毎日更新挑戦中!思っている事、考えている事、感じている事、本の紹介などを主に書いています。 人生のテーマソングは「Friday I'm In Love」と「Andromeda Heights」です。
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