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天狗坂

ふと顔を上げた時に、美しい景色が流れていると嬉しい。電車は大きな川を渡っている途中で、曇り空の低いところの裏に大きな夕陽。電車の音は記憶に残らなかった。

商業施設が連なる駅前を抜けて、小さな川を渡り、鬱蒼とした住宅街に入っていく。坂をのぼる途中で、横に長い白いマンションが見えた。一つ前の時代を感じる。マンションと道は2メートルぐらいある植木で仕切られ、その上の奥の方、木と木の間からオレンジ色の光が漏れている。他のどの部屋も灯りがついていなかったが、その部屋だけが灯っていた。

腕に雨が落ちるのを感じた。目的地とは違うけど、あの部屋を訪ねようかしら。
ふと背後を見たら、塀の上で黒猫が僕を見ていた。肩、首筋、鼻、頭の上に雨が落ちる。猫の尻尾が塀から垂れる。坂の向こうから金髪が自転車でやってくる。僕を通り過ぎ、坂を駆け降りていく。その背中を追いかけるように、風が吹いてきた。金髪の背中が点になっても風は吹いていた。
ふと猫がいた塀の上を見たら、そこには天狗がいた。天狗は大きな葉っぱを両手に持っていた。そしてそのうちの一枚を僕に差し出した。僕はその大きな葉っぱを右手で受け取り、坂道の途中でゆらゆらと踊った。風はどんどん強くなり、もっと踊れと囃し立てた。雨が横から体中に吹きつける。マンションの部屋から眼差しを感じた。もう行かなくては。友達の舞踏公演が始まってしまう。それでも風は囃し立てることをやめない。しかしあまりにも強い風が一瞬吹き手に持った葉っぱが飛ばされてしまった。風は諦めたように、少し悲しげに、そよ風に変わった。雨も諦めたように、降るのをやめていた。
ふと塀の上を見たら、黒猫がいた。塀から垂れた尻尾をたどると、その下には羽が一枚落ちていた。その羽は、じっとりとアスファルトに広がった雨に捕まり、とても重そうだった。金髪が自転車でゆっくりと坂を登っていき、僕を通り過ぎた。

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