まとめサイト構文の合理性
こと10年代にネットの情報網(といってんも本邦限定だろうが)をズッタズタにしたまとめサイトだが、当時私は中身は転載だらけでパッチワークな文章で何の足しにもならないこれらのサイト群はノイズ以外の何物でもなかった。
それはそうだ、自身が経験したわけでもないことを「一見破綻のない文章」にまとめているだけなのだから。
言ってしまえば丸写しの学生レポートよりはマシな水準の内容だ。
しかし、内容はともかくこの「構文」そのものに一定の合理性がある…というのが今回の本題だ。
法学部の教え。一文は40文字を目安に。
これは在学中の話だが法学部というのは設問が1問か2問で論述というのが常で、一科目で900~1200字程度の内容を回答とする。
そのような試験のレトリックとして「一文は40文字程度」というものがある。程度…とブレさせるのは専門用語(例えば判例や用語の羅列だけで10文字とか消費するのでそれ)を例外とするためで、それ以外の部分で40文字を超えるようなら内容を理解していないか現代文からやり直せということになる。
それはそれでごもっともな論なのだが一般(この場合学外を対象とした文章)なら「あんまり長い文は目が滑る」という話になる。
さて、まとめサイト構文に話を戻そう。
「いかかがでしたでしょうか」これは全く無駄な文章である共通項だが、本構文(普通は一回目でこの注釈入れる)の特徴を見よう。
・頻繁な改行
・頻繁な見出し
・折返し前に文章を終わらせる
これ、見事に先の項の「一文を40文字」の条件に収めるための手法として合理的なのです。
仕事で応用した例。
私は生業として説明書や仕様書、社内文書の作成をしているが、私が着手する前のこれら書類はペラ一枚に文章びっちりで読む気も失せるものだった。
客先に見せる仕様書にしても細かい解説やエンジニア特有の説明したがりな表現が続き、折返しが幾たびも続いた。
それとの因果関係の証明は結果論でしかできないが、仕様書を読んでいないことに起因するクレームが多かった。そりゃそうだ。電話片手に読んでる俺だってかったるい。
こうした経緯で私は表裏一枚、徹底して短文の連続(加えて深い解説はしない)に徹した。その効果があったかは確かめようがないが…
話のオチ。
結局のところ「意味のある読まれない文章」よりも「最低限の内容の読まれる文章」のほうが圧倒的に意味があった。文章を公開した側にはクレームが来ないし、読んだ側はとりあえずモノは扱えた(気に)なったし。
実際のところまとめサイトの内容なんかプレビューが稼げて、読者が「なるほどなァ(理解してない)」となれば双方winwinなので現代のインターネット界に沿ったものと言えよう。
検索のノイズなのは間違いなく粛清されたまとめサイトだが、その精神(構文)は多くのブログや動画に受け継がれているあたり有用さは不動だ。
もし、私の記事が読みやすい。そう思ったならこの記事の意味もご納得頂けただろう。
いかがだったでしょうかw
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?