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#1.脳腫瘍~闘病の始まり~

普通は普通だし、普通が当たり前。普通に生活していたんだけどな。ガンの宣告を受けた人や家族はふとした時にそう思う人が多いと思う。

妻が発病したのは忘れもしない2018年8月24日金曜日。いや発病したとは正確ではなく脳腫瘍による水頭症で嘔吐、意識混濁状態になった時だ。

今思えば確かにおかしいと思う場面は多々あった。寝起きに頭痛がするといい、物忘れも多かった気がする。妻が発病する3ヶ月前に2人目である長女が産まれ、本人も育児に対する疲れやホルモンバランスの変化で頭痛などがあるんではないかと言っていた。それもそうかと私は納得し大して気にもしていなかった。ただ頭痛がするなら病院へ行った方がいいと勧め、近所の頭痛クリニックへ行かせた。ただ具体的な診断内容はなく「疲れによるものでしょう」と言われ、頭痛薬(ロキソニン)の処方のみだった。私はなんとも思っていなかった。

ただその症状が長く続いた為、8月23日に最初に行ったクリニックを再度診断させた。その際にはCT検査を依頼した。そしてそのクリニックの医者から言われた事は「脳内に影が見える。総合病院を紹介するので、精密検査を受けてください」と言われ、紹介状を書いてもらった。

その夜に内容を妻から聞くも、どこか現実味がなかった。翌日8月24日に私も妻へ連れ添い自宅近くの総合病院で精密検査を受けさせた。検査内容を踏まえ医者からは「脳内に腫瘍の影が見えますね。ただ良性に見えるからは手術すれば治るよ。大学病院に後輩の医者がいるから紹介状を書くね」との話。私は「そうですか」と何かボーッとした思いで、ただその時の医者が言った「治るよ」の言葉だけ受け入れていた。

時間が経つに連れて妻の嘔吐が激しくなり、すぐに車で大学病院へ向かった。その時には妻の水頭症が悪化していて、意識が朦朧としていた。病院へ到着し、すぐに紹介状を渡し診察してもらった。その時に医者に言われた事は「今から手術しましょう。かなり頭に水がたまっており危険な状態です」。その日は金曜日ということもあり、今から手術をやらなければ次は月曜日になると言われ私に選択の余地はなかった。

私の気持ちは何か現実味がなく、どこかフワフワした気持ちだった。3歳の長男と産まれたばかりの0歳の長女は親戚に預けた。それから何時間の手術だっただろう。職場に電話したり、子供たちのことを考えたりして何時間の手術だったかは覚えていない。

手術は水頭症に伴う第三脳室開窓術と腫瘍の診断(生検)が目的だった。手術は無事に終了。ただその後の家族への説明で私は更に現実味のない話を聞いた。

診断名は「悪性脳腫瘍」、どこか他人事な感じがした。



記事を通じて、少しでも誰かのお役に立てればと思っています。