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「家族になる」とは 何ぞや?

お盆も過ぎて、8月もそろそろ終わりですね。
無職なのであんまりピンと来ないんですけど。お盆休みって何?

まあ、そんなこんなで帰省シーズンだったわけです。
で、先々週に山梨、今週に群馬と、各一泊ずつですが旅行してまいりました。

この旅行の主な目的は、

・自分の父親・父方の祖父母に彼氏を紹介(to 山梨/私の父親の地元)
・彼氏のご両親・お祖母様にご挨拶(to 群馬/彼氏の地元)

でした。顔合わせというやつですね。

結果としては、互いに無事、平和に挨拶を済ませることができました

まだ顔合わせしていない親族はいるのですが、とりあえず一区切りついたところで、「親族に挨拶する」というイベントによって、「家族になる」ことの意味について自分の中で考えることがあったので、備忘録としてまとめておこう、という次第です。

”パートナー”のすらいむ君

過去記事をご覧になってくださっている方には繰り返しの説明になってしまうのですが、現在、私は二人暮らしをしております。

同居人である彼のことはすらいむ君と呼ぶことにします。
彼は大学1年の頃からの知人で、かれこれ付き合い自体は7年?8年?ほどになる、いわゆるパートナー的な存在です。

彼氏というより「寝食とスプラトゥーン2を共にする仲」がより正しい。

彼と私は、もともと結婚願望がなく、「一緒に住めてそれぞれ好きなことできてればいいよね」「なんかあったときに助け合えればいいよね」という感じで、あまり「籍をいれる」という発想がありませんでした

とはいえ、「”パートナー”としてお付き合いしていくのならば、互いの両親に顔見せはしておきたい」ということで、私の不安障害がマシになった頃合いを狙って、それぞれの地元へ挨拶に行こう、ということになりました。

緊張の初顔合わせ

私の父方の実家が山梨、すらいむ君の実家が群馬、ということで、まず山梨で私がすらいむ君を自分の親族(父方)に紹介、そして今度は群馬ですらいむ君が私を彼の親族に紹介、という流れで行くことに。

まあ、それぞれの旅路について詳細を書いてもしょうがないので、かいつまんで書きますと、私の父は「彼氏のこと一発殴っていい?」「お前が会社やめた原因になった上司教えろ、殴り込みに行ってやる」などと冗談を交えつつ、祖父母と共になんだかんだ歓迎してくれました。(ほんと勘弁してほしい)

なかなか過激な性格をしている祖父と父と会った後、すらいむ君から「君の”常になぜか喧嘩腰”な性格のルーツを見た気がする」と感想をもらいました。うーん、血筋!

一方、群馬でのすらいむ君のご両親との顔合わせはいたって平和でした。

「無職で病気の女が相手だなんて!」とか反対されたらどうすっかな〜とかちょっとドキドキしてたのですが、まっったくそんなことはなく、とても暖かく歓迎していただきました。

すらいむ君が実家だとどういう感じなのか、ご両親にどんなふうに大切にされているのかがわかって、なんともほっこりする旅行になりました。あと群馬の焼きまんじゅうめっちゃおいしい。

まあそういうわけで、顔合わせ旅行は無事に終わり、まだ籍はいれてなくとも、「”親族”になるかもしれない相手」という関係が作られたのではないかな、と思います。

ほんとのことをいうと・・・

ここまでのイイハナシっぽさをぶち壊す感じになっちゃうんですけども、実は、私は、親戚というものが非常に苦手です

より正確に言うと、親戚づきあいが苦手、です。

自分にとって、両親は、家族です。家族とは、普通に付き合えます。
ですが、年に数度会うか会わないかの叔父や叔母、祖父母というのは、感覚としては、他人なのです。

血がつながっているとはいえ、ピンとこない。なのに、「親戚」であるというだけで、正月などのイベントで集まって、”他人”と話をしなければならない。

私は人付き合いがあまり得意でないのもあって、子供の頃、「親戚とのイベント」がメチャクチャ嫌いでした。できることなら参加したくない、行きたくない、挨拶したくない。
年の近い従兄弟と遊ぶのは好きでしたが、それ以外の親類(いわゆる叔父、叔母など)のことはとにかく苦手でした。

「親戚だから」というそれだけの理由で、自分にとって苦手な相手であっても、他人にしか感じられない人であっても、家族のように振る舞わねばならない、という感覚が、子供心にすごくイヤだったのです。

親戚というネットワーク

そんな感じで、できるだけ親戚づきあいから逃げようとしていた私でしたが、成人した頃あたりから、段々と親戚と話すことに、抵抗を感じなくなっていきました

おそらく、成人して大人扱いされるようになり、無理に家族のように接するのではなく、一対一で大人同士の対話ができるようになって、適度な距離感を保てるようになったためだと思います。

また、自分自身の認識が変わったのも感じます。
幼い頃は「知らない人からやたら親しげに接される」という感覚だったのが、大人になったことで、「ほとんど会わない人だけれど、この人はこういう血縁関係で、他人とはちょっと違うんだ」と認識できるようになり、恐怖心がなくなったのです。

そして、親戚の「何かあったら助け合おう」という感覚、親族というネットワークも、祖父母の死、従兄弟の結婚、自分の病気などを通じて、段々と理解できるようになっていきました。

ただし、あくまでも”抵抗がなくなってきた”、”理解できるようになってきた”というだけで、未だ、「親戚づきあいが苦手」という感覚は、なくなってはいません。

パートナーによる新しい”つながり”

私はすらいむ君のご両親、お祖母様とお会いしたことで、まだ正式ではない(籍とかいれてない)ですが、親族のネットワークを広げることになりました。新しいつながりができたわけです。

ところが、先述したとおり、私の「親戚づきあいが苦手」という感覚は、なくなってはいません。あくまで”昔よりは対応できるようになった”だけで、どちらかといえば「しなくて済むならしたくない」という気持ちです。

今回、私が「すらいむ君のご両親に挨拶せねば」と思ったのは、

・「いつも彼にはお世話になっています」という感謝を伝えること
・「今後ともお付き合いさせていただきたいです」という意思表示をすること

が目的で、「仲良くしてください!」というのとはちょっと違います
(もちろん、仲良くさせてもらえるにこしたことはないのですけども)

ちょっと冷たい言い方ですが、私にとっては「すらいむ君は家族だけれど、すらいむ君の家族は私の家族ではない」のです。そして、彼にとっても、おそらく私の家族は、彼の家族とは思えないでしょう。

ですが、もし彼の家族に何かがあったとき、彼が崩れたら、その時は私が支えたいと思います。そして、逆もしかりです。そういう意味では、家族ではないけれど、つながった存在になる、と思っています。

「親戚だからこうじゃないといけない」という縛りは、私は苦手、というか嫌いです。もし「正月は毎年絶対来てくれ」と言われても、行きません。

ですが、単純に個人と個人のやりとりとして、パートナーのご両親や親戚の方々と、いいお付き合いができればなあ、と考えています。

「家族だからこうしなきゃ」「親戚だからこうしなきゃ」という固定観念は取り去って、ただ人と人とのコミュニケーションをとっていきたい。今回の旅行で、改めてそういうふうに感じました。

まあ色々言っといて今更ですけど、ご両親とのお話はめっちゃ楽しかったです!ご飯もメチャメチャおいしかった・・・。

次は観光で行きたいぞ。ダム行きたいぞダム!矢木沢ダム!!!

少し大人のイベントをこなして、少し疲れた泥水でした。

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