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言葉と時代と慣習の壁

「全てのエンターテイメントを、心の底から楽しむことはできるか?」

これが今回のテーマです。

議論記事というか「あまねく全てのエンターテイメントを心の底から楽しめるようになりてえ!!」「でもオラ頭わりいから、どうすればいいのかわからねえ!!」という喚き散らし文です。よろしければお付き合いください。

立ち塞がる「言語」という壁

こういうことを考えたきっかけは、最近私がプレイを始めた「Fran Bow」というホラーゲームです。

このゲームは、両親を殺され、恐ろしいモンスターが見えるようになって精神病院に隔離させられた主人公のFranが、愛猫のMr.Midnightと共に、叔母のいる家へ帰ろうと奮闘する、といった感じのストーリーです。多分。

なんでストーリー説明のあとに「多分」とつけたかというと、このゲーム、日本語版がないんです。なので、探り探りで自分なりに訳しながらやってます

幸いそこまで難しい英語ではないので、なんとか話を追ってはいるのですが、とあるキャラクターの日記で「fifth reality」とか独自の単語っぽいものが出てきたあたりで「これ、私、ちゃんとストーリー追えるのか!?」と不安になってきまして

これ、日本語に訳すとしたらどう訳すんだろう・・・と。
まだ全然序盤なので、これから謎を解いていくのだとは思うのですが。

私、ちゃんと心ゆくまで楽しめるのか?理解できるのか?

そう思ったときに、ふと、「そういえばこういう感覚、前にもあったな」と思い出したので、そのへんを書き起こそうと思います。

「古典作品」「海外作品」というコンテンツ

例えば、シェイクスピア
世においては絶賛されている劇作家、読書人なら読んでいて当然みたいな知名度。私も全作品とまではいけませんが、『マクベス』『ヴェニスの商人』『真夏の夜の夢』は一応読みました。
個人的な感想としては「普通」。読み物としては面白いけど、「ここのくだり意味ある?」みたいな感じを受けたり、「なんでそこまで絶賛されてるの?」という気持ちになりました。

または歌舞伎
最近は『ONE PIECE歌舞伎』や劇団☆新感線の『いのうえ歌舞伎』など新しいカタチの歌舞伎も増え、バリバリ現代語で話してくれたり、かなりとっつきやすくなりましたが、やはり古典歌舞伎はどうにもわかりにくい。少なくとも私はイヤホンガイドなしでは楽しめません・・・というか話の筋すら理解できないことがほとんどです。

でも、一定数の絶賛している人がいる、評価している人がいる

ということは、何らかの形でそれらは「面白い」ということでしょう。
特に、”古典”とされるような昔から存在するもので、今でも残って「評価されている」ものは、その場の一発ウケで残った文化ではないはず

でも、読んでみても、観てみても、いまいちわからない、その「面白さ」が見えてこない。いや別に無理やり楽しむ必要があるわけじゃないし、面白がれと強要されてるもんでもないので、スルーしてもいいんですけど、「何故自分は楽しめないのか」がわからないとモヤモヤする

普通に作品に触れてみて「趣味じゃないや」とやめるのはいいけど、何も理解できないまま「わからないや」と放棄するのは、なんだかとてももったいない・・・と私は思っていました。

「楽しめないのは当たり前!」

そんなときに見つけたのがこのコラムでした。

シミルボン:シェイクスピア入門せずベッドルームを覗いたら普段おとなしい彼が…!? 著:ヴォンボさん

noteで引用していいのかわからないんですが正しい引用方法がわからなかったのでリンクを引っ張ってきました。問題があればご指摘願います。

このヴォンボさんという方の記事、とにかく全部面白いんですけど、特にこの中で自分に刺さったのが「貴方は16世紀のロンドン市民ではないから、シェイクスピアの面白さがわからないのは当然」という結論です。

なるほど。その時代背景とか国の文化とか全然知らなきゃ面白いものも面白くない・・・確かに!!通りで!!!そりゃそうだわ!!!!

しかもシェイクスピア、そもそも日本語作品じゃないんですよね。翻訳によってどうとでも変わっちゃうわけですし、綺麗に韻をふんだ文章も、原語で読まないとそりゃわからない

歌舞伎も同じようなことです。いや、歌舞伎はかろうじて日本語ですけども、古語ってほぼ外国語じゃないですか。古典の授業で習ったありおりはべりいまそかり〜とか、ああいうの、もう完全に別の言語だと思うんですよ。現代語じゃない。

しかも武士の世界のしきたりとかって今は残っていないですし、歴史の授業の記憶がない私には余計にチンプンカンプン。なのでイヤホンガイドで「ここで武士として○○はこういう行動に出ます、これは立派な行為なのです」とご丁寧に説明いただかないと感動ポイントすら見逃してしまうのです。

「説明」はいらない、「知識」が欲しい

しかし、「ハイ、ここ!ここ注目!ここはこういう意味で、こういうふうに悲しいんですよ〜!」と露骨に説明を受けてしまうと、それはそれで萎えてしまう
お涙ちょうだいをモロに押し出されると泣けないタイプなもので。ラスト、この愛にきっとあなたは涙する・・・とかそういうの、見る気を失うやつ。

なので、あくまで「自分の脳で解釈できる程度の 最低限の知識をもって作品に臨む」のが一番いいんじゃないか、と私は思い至りました。

つまり、結論としては「知識を身につければ良い」ということです。

なんでもかんでも全部極めるのは難しいでしょうけど、その時代を描いた作品とか、できれば原著で読むとか、そういうふうに「作品をできるだけ自分からナマで触っていく」と、より楽しめるのかな、と思った次第です。

また、先人達の解釈を読むのも手っ取り早く、かつ確実な方法だと思います。いろいろな人の様々な解釈を読み漁ることで、自分なりの考察を深められれば、多分なにか自分なりの「楽しみ」が見つかることでしょう。

ということで、自分も色々と「作品を楽しむための術」を身に着けて、自分なりに噛み砕いたものを考察として残せるようになれたら、と思います。

そうなるとまず英語を身につけるところからかなー、海外の宗教観とかを学ぶかなあ、歴史勉強しなおすかな・・・とムクムク色々と湧いてくるものがあります。やっぱレベルをあげて知識で殴るのが一番やな!

逆に知識とか全くナシでも脳みそを揺さぶってくるタイプの作品は、それはそれですごいと思います。『MADMAX 怒りのデスロード』とかそういう感じでした。噂だと『HiGH and LOW』とかもそういうタイプっぽいですね。

知識があればあるほど楽しめる世界というのは、「楽しもうと思えば延々と楽しめる」深さがあると思っています。落語なんかはまさしくそんな感じでした。

趣味の範囲だけでなく、深さも求めたい。泥水でした。

ところで、ドラクエⅪが終わって一息ついたと思ったらポケモン新作に歴代悪ボスが出て来ると知ってひっくり返ってます。
もう出て来るゲーム全部プレイしきれる自信ねえぞ!まだ『Fran Bow』も3章までしか進められてないのに!!!

今度こそ筆を置きます。ゲームはほどほどに楽しもうね!

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