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ひかげのたいよう #18

 大学を卒業して六年後、色んなアルバイトや派遣の仕事を経てオペレーターの仕事に就き、派遣社員として気持ちを新たに出発していた。複雑な研修を乗り切ったものの、仕事に追われるようになると心が再び悲鳴を上げ始めた。生活保護の申請が受理されず、市の制度にも見放されたと感じた私は、この頃既に心療内科へ通うことも辞めてしまっていた。一、二年は自力で生きていけたけれど、それにも限界を感じ新たなメンタルクリニックへ通院することにした。苦渋の決断だった。しつこいようだけれど、診断自体が間違っているのだ。時間とお金ばかり失って、何の成果も得られない。そんな間違いに気づきもしない私は、とにかく何かに縋りついて生きてゆくことしかできなかった。みんなと同じ’普通’にはなれないという現実に立ち向かうことすら諦めていた。大したことのない日々を送り、大したことのない終わりを迎えると決めつけて、人生をも諦めかけた。するとこうした場面で決まって私を引き留めようとする存在が、いつもの様に私に問いかけた。
『本当にそれでいいの?それがあなたの求めた幸せなの?』
 いい訳がない。私が求める幸せは、もっとちゃんと別の場所にある。けれどどれだけ頑張っても辿り着けなかった。心はずたずたに引き裂かれ、生きる意味も奪われて、それでも生きていく以外の選択肢はない。私を引き留めようとする誰かは、そんな私にまだ諦めるなと言う。ちっとも治療の成果が出ず、頑張り疲れた人に向かって随分な物言いだなと思った。
『あなたには叶えたい夢があったでしょう?必死に護った奇麗な心があったでしょう?忘れちゃったの?忘れないでよ。あなたにとって一番大切なものでしょう?思い出して。どうか、お願い。』
 自分の内側から聞こえるその声は、涙ながらに訴えた。そこまで言うなら、とその声に身を委ねて必死に幸せを追い求めた。現実世界で上手くいかないならば、私を受け入れてくれる世界を探すまでだ。これで私の内側で訴える誰かも黙るだろうと、SNSの世界に夢中になった。表面だけを見せあう世界で、なにも上手くいっていない部分を曝け出す必要はない。そう思い毎日のように投稿を続けるうちに、そもそもの考えが甘かったことを思い知る。年齢が三十代に突入している私が目にするのは、結婚や妊娠・出産の報告や、人生上手くいってますと言わんばかりに幸せいっぱいの投稿ばかりだった。それを朝昼晩と目にするたびに落ち込むのだった。この気持ちは妬みなんかじゃないんだと、悔しさから本心と向き合いもせず、空や花の写真を撮っては
「私も人生楽しんでます!」
と自分を取り繕った。SNS(このせかい)でも上手くいかなければ、私に行き場はない。だからこそ必死に投稿を続けたのだけれど、そんな偽物の姿では長くは続かなかった。どこへ行っても生きづらさを感じざるをえず、そのうち全てに諦めの気持ちを向けるようになった。
ーほら、やっぱりどんなに頑張っても私の居場所はどこにもないんだよ。
 私に大切なものを思い出させようと必死に訴えていたあの声は、もう聞こえてこなかった。誰かの輝いている姿を目にして落ち込むのであれば、見なければいい。会わなければいい。数日後に控えている懐かしい友達とのご飯会が終わったら、外部との接触を絶とうと決めていた。一人になればきっと傷つくことも焦ることもなくなるだろうと、思い描いた輝く未来はもう見ないことにした。過去にも同じようなことをやって失敗しているにも係わらず、ちっとも学習しない私の足りない頭では、このくらいのことを思いつくのがやっとだった。けれどやはりここでも、諦めようとしている私を引き留めようと必死になる存在の思惑通りに事は進んでゆく。最後にしようと決めていたご飯会で再会した友達と、話が弾んだ。終電までだらだらとくだらない話をして、握手をして別れた。誰かと話すことが苦痛だった当時の私の話を、いとも簡単に笑い話に変えてしまう不思議な人だった。この時の友達こそが、後に夫となり、私を苦しめる闇と共に闘う同志となるのだった。
ーあの時返事をしなかったのは、こんなことを企んでいたからなのか。
 その声に踊らされている自分に少し腹は立ったけれど、私はどんな時でも自分の直感を大事にしていた。久しぶりの再会から頻繁に会うようになった私たちは、付き合ってから二ヶ月後には夫婦となっていた。周囲からはスピード婚だと驚かれた。いきさつを知っていた友達は心から祝ってくれたが、そうではない人からは、そんなに急いで結婚して大丈夫かと心配されることもあった。そんな心配をよそに私たち夫婦は今年で結婚九周年を迎える。まだまだ新米夫婦ではあるけれど、上手くいくかどうかに時間はあまり関係ないのだと証明できているような気がしている。
 誰もが羨む神夫と愛しい娘、それに念願のマイホーム。幸せが着実に私に向かっていた。しかしここで想定外の事実が明らかになる。愛を知らない私には、愛に溢れた暮らしがなんだか居心地悪かった。幸せや愛といった温もりに触れようとすると、何故かいつも感じる違和感。
『ここは私の居場所じゃない。私は求められていない。』
 呪文のように繰り返し聞こえる誰かの声を聞くことで、私の心は落ち着きを取り戻していった。自ら願ってようやく手にした幸せなのに、それを望まなかった“あの人”の顔が常に頭の片隅にちらつく。夢のように楽しい時間を過ごす私を、いつだって恐怖と言う名の監獄に引きずり込もうとする。“あの人”は離れて暮らす今もなお私を苦しめるのだ。そのせいで何の邪魔も入らない幸せな日々を、息苦しく感じるようになっていた。幸せが落ち着かない。“行き場のない私”には、いつの間にかわざと自分を不幸へ導こうとする癖がついていた。
ーどうせ私は役立たずだ。望まれなかった子なんだ。
 そうやって不安の闇に閉じこもった。闇の中の方が不思議と心が落ち着く。
『ねぇ、もっと私を見てよ。どうして一人で幸せになろうとするの?置いてかないでよ。私を一人にしないで。』
 傷だらけになりながらもここまで生きてきたもう一人の私が、“今の私”一人で幸せになるのを拒んだことで招いた負のループだった。幸せになることがこんなにもしんどいとは想像もしていなかった。

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