爱不释手ーー「万人向け」である程、代替されやすい
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【爱不释手】
ピンイン:ài bù shì shǒu
意味:ある物が好きすぎて、片時も手を離さない様。
『「万人向け」である程、代替されやすい』
行きつけのカフェがある。
自宅から徒歩20分以上。ピンポイントで行けるバスも無いというアクセスがやや不便な場所にあるのにも関わらず、ゆったりと時間が取れる日は、必ずと言って良いほどそこに通っている。
閑静な住宅街に潜むそのカフェは、一見「荒っぽい」イメージを持つ。
天井はむき出しのコンクリート。
壁は白一面にベタ塗りされているだけのもので、荒削りの黄土色が床一面に広がっている。
テーブルも木の板に釘を打っただけの、簡単に組み立てられたようなものばかりで、どかどかと大きく距離をあけて配置されている。
その傍らにちょこんと、食器やら器具やらでがちゃがちゃとしているカウンターが並んでいる。
それ故、最初この店に入った時は、「何か殺風景だなぁ」と思ったほどである。
だが、通えば通う程、長居したくなる。
ずっとこのまま、身を委ねてボーッと座っていたい気持ちになる。
室内を感じさせない広々とした空間。
「殺風景」と思っていたシンプルなインテリアは、ノイズを最大限に減らし、ひたすら食事と読書に集中させてくれる。
思考を途切らせない、ジャストボリュームな音楽。
カウンターから聞こえてくる、アットホームな調理音。
気持ち落ち着かせるコーヒー豆の甘い香り、暖かい料理の湯気。
これら全てが絶妙なバランスで絡み合って、まるで自宅のリビングにいるかのような心地よさを醸し出している。
そしてじっくりと観察してみると、壁にドライフラワーのリースが飾っていたり、窓枠がシックなブルーで色付けられていたり、所々に小さなプランターが置かれていたりと、実に趣に溢れている。
余計なものなど一つない。最高のレイアウトだ。
こうして定期的に足を運ぶようになったのも、あの独特な空間を享受する為と言っても過言ではない。
食事後も一杯、暖かいコーヒーをお供にラストオーダー時間までゆっくりとくつろいでいる。
実を言うと、このカフェのメニューはかなり良いお値段をしていて、簡単に注文しただけでも千円以上になってしまう。
価格面だけみると、決して節約志向の私が行きたがるような店ではない。
それでも私は喜んで財布の紐を緩めている。
なぜなら、私はこの店の「客」ではなく、「ファン」だからだ。
冒頭で話したように、このカフェのアクセス状況は良好ではない。
その上メニューも割高なのだから、「客」であれば普通、「なぜあんな遠くて高い店に……」と別の店を探すだろう。
だが「ファン」は違う。
此処が本当に大好きでお気に入りで、他に代わりになるものが無く、かけがえのないものだと思っているからだ。
お金を払うのも、ただ商品やサービスを得る為ではなく、「これからもよろしくお願いします」の気持ちを込めているから。
だから一度「ファン」になってしまえば、人は簡単には離れない。
あるサービスや商品が誰かにとって唯一無二の存在になると、その人はファンとなる。
これは特別に優秀なサービスや商品でなければならない、ということではない。
「まるで自分の為にデザインされたようだ」と感じ心を揺さぶられたから、応援したいと思えるようになるのだ。
よって、「万人向けサービス」にファンは生じにくい。
全員に気に入ってもらおうと努めるほど、簡単に代替されやすいものになってしまう。
例のカフェもそうで、もしオーナーさんが「あの人にもこの人にも来て欲しい」と欲を張って様々な要素をごちゃごちゃと詰め過ぎてしまったら、結局統一感の無い、誰も魅力的だと思わない店になってしまったに違いない。
そこで敢えて「最大限シンプルに!」と極めたからこそ、余分な飾りを嫌い、機能美を重視した客層を惹きつけたのではないか。
全ての人に愛されなくても、「これだ」と決めたペルソナ(製品やサービスを利用する架空のユーザー像)に絞ったサービスをひたむきに提供していれば、少人数だとしても熱狂的なファンが生まれ、リピーターもどんどん増える。
これは人間関係においても同じ。
みんなに好かれようと苦労する人ほど、かえってどうでも良い存在になりがちなのだ。
本当に「愛されたい」と思うのなら、決して八方美人になってはいけない。
幸い、人間はどんなタイプでも必ずそれに惹かれる「ペルソナ」が存在する。
だからありのままでいて、それを極めるだけで、いつの間にか熱く愛してくれる人が寄ってくるようになるのだ。
📚「誰かの特別」になろう!
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