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「男気」というナルシシズムと引き換えの呪縛について

先日、同僚である自称体育会系で男社会で生きてきたというアラフィフ男性と話し合いの機会を持った。そしてびっくりするほど噛み合わず、議論も全く深まらなかった。

だけど代わりに、男気というナルシシズムと呪縛について感じた事があったので、言語化しておこうと思う。

✳︎ 男女で真逆の捉え方の、「あるフレーズ」✳︎


これまでの人生でを振り返って見ても、男性は割と頻繁に言うけど、女性は滅多に言わないフレーズに気づいた。

それは

「どうせ全て俺が悪いんだ。それで良いんだろ!終了!」

こういう幕引きの仕方を「俺が全部の責任を取ってやった!ドヤァ!」「自分の気持ちも考えも全て一人で我慢して飲み込むって宣言した俺、男らしくて格好いい✨😎」「男気見せてやった!」みたいに思っている人にしばしば出くわす。(政治家にもよくいる(苦笑))

✳︎その時女子の私はこう思う✳︎

私としては過程も重視したいので、そう言う風に言われても「何それ、逆ギレかい😂」「その無意味な自己犠牲、なに?」「何一人で格好つけて背負い込んでるの?意地?」「いやいや、そんな感情論じゃなくて論理的に話し合おうよ」「誰かを犠牲として仕立てて無理矢理幕引きしたところで根本的に解決してない。寧ろモヤモヤするから、これ以上話を複雑にするのはやめて」「誰か一人に丸投げしてそれに従うんじゃなくて、チームとしてみんなで考えませんか?って提案してるのに、どうして理解できないんだろう?」「チームとして共に対応するっていう概念は一体どこに飛んでいった?」「十分に協議して、精査して、全員ある程度納得できる形で着地しようや」「何これ?もー、この人、切腹していた時代の武士にでも憧れてるの?(呆れ)」「話し合う気が無いのかな?」的な気持ちになる。

結局途中で社長も加わり、3人で2時間話し合ったけれど、結局お互いの考え方の違いが明確になって、溝が広がっただけで終わってしまった。私の中に残ったのは「もー、アラフィフにもなって、その自己陶酔的な白黒思考は一体何やねん(涙)」っていう徒労感と泥のような疲労。

✳︎結果を重視する男性、過程を重視する女性✳︎

話し合いの中でその男性から繰り返し出てきた言葉は出てきたのは、「結果さえ、綺麗に見えればそれでいいじゃないか!本当は色々思ってるけど全て飲み込んで俺が全て犠牲になってやる。俺が全て悪いって結論づけて終わりにする。結論が出たんだからこれ以上話し合う必要は無いだろう」「俺が辞めるか、お前が辞めるか」

これらの発言は、私から見てとにかく結論を早く出すことにこだわっていることと白黒思考になって極端に視野が狭くなっているな、という印象を受けた。

そして、この「全て俺が悪い」という結論は、結論が出たから「終わりにしましょう」と言う言葉を引き出す為のダミーの結論であって、その同僚が心からそう思っているわけでは無いし、この問題について掘り下げる気もない。その事の方が私としては寧ろ問題だ、と感じた。

✳︎決裂した話し合いで露呈した「男気」の背景✳︎

一方途中から参加してきた社長も含めた自称体育会系の男性2人は
・「重要視される物は『話の内容』よりも『誰が言うか』」
・「格下の人は自分の気持ちや考えや事情など、全てに蓋をして自己犠牲になる事が正義」
・「序列は基本的に『男性であること』『年齢が年上』」
・これらは老若男女、社会における共通の常識

と考えており、その視点から見ると、格下である私が、自分の気持ちや考えや事情など、全てに蓋をして自己犠牲になろうとせずに、自分の考えを言語化する事自体が、攻撃的で反抗的に見え、私がその男性を傷つけている、とのこと。

そうかぁ、そう見え、そう解釈するんだ・・・。
もはや話し合うことすら、許されないんだ・・・(呆然)

そしてそういう風に私を見ている時点で、「自分達が私を傷つけているということに気づいていない、或いは格下の誰かを傷つける事も含め当たり前の事なので当然許される」という認識。

「年下や女子はなど格下の者は自分の意見も思いも都合も全てに蓋をして自己犠牲することが社会における老若男女共通の常識」という私にとっては前時代すぎる価値観を当然のように強制される事、その2点に私は大きなショックを受けた。

話し合うことすら許されず、一方的に言いなりになる関係。果たしてそこに人間としての尊厳はあるとも思えず、それは同僚と言えるのだろうか?むしろ奴隷じゃないの?そんな気持ちになる。

そしたらもう、私としても物理的に距離を置くなり、心に蓋をする以外やりようが無い。

✳︎結局「男気」は誰得なのか?✳︎

私はその会社から離れるしか選択肢は無いのかもしれない、とその時私は感じた。

だから個人的には別にもう、どうだって良い。でもこういう「男気」という、基本一番格下の人が気持ちや事情や都合などを全て押し殺し自己犠牲になる事を無言で強制し、全てをその1人に押し付けて、過程をブラックボックスに封印し、解決したと無理やり結論づけ幕引きをはかるという問題の解決方法。

私には非合理的としか思えない。なぜなら毎回常に「自己犠牲となる人(基本的に年下や女性など、マウントを取りやすい相手)」を必要とする上、問題をブラックボックスに無理やり押し込んだだけで、全く精査されていないので、今後も引き続き同じ問題が起こる可能性を持ち続ける対処療法でしかないから。

そして結局誰かが傷付くだけで問題を先送りしているとしか私には思えない。だけど、それでもその対処療法のみで人生を歩んできて、これからもそういう生き方をしたいのなら、同じ考えを持つ人同士で集まって、常に誰かが自己犠牲になりながら問題を先送りにして傷つき続ければ良い。どうぞお好きに、私は嫌なので逃げます、というのが、私の捉え方。

実際、政治家の周りを見ても政治家の周りにいる官僚が自殺したり、電車に飛び込んだり、違和感のある死に方をする事は珍しくない。男気という対処方法は、常にそういう危険性をはらんでいる。

それでもなぜ,尚男性たちは「男気」にこだわるのか。私にはこんな手段を取る人は問題解決能力の低さの表れにしか見えないし、女の私からすると「私を巻き込まずに勝手にやっといてください」って感じだけど、そういう「ナルシシズム」という麻薬。男気には女性には理解できない麻薬的な何かがあるのかもしれない。知らんけど。

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