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ヒロシマの高校生が描いた原爆絵画展ーー地域のスーパーで開催中です

 原爆を開発したオッペンハイマーはドイツからのユダヤ系移民の子どもでした。ユダヤ人虐殺を行うドイツが他国より先に新型爆弾を完成させることを恐れて、アメリカでの原子爆弾の開発を急いだとのことです。終戦間際に完成した原子爆弾はすでに降伏したドイツではなく日本に落とされました。オッペンハイマーは戦後、被ばくした方々を前に「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を流しあやまったそうです。
 8月6日広島、8月9日長崎への原爆投下から79年。1発の原爆で人間の姿で死ぬこともかなわなかった人たち、受け入れがたい苦痛の中、多くの人々の命が奪われました。
 直接の被ばく者は高齢となり、あの日、あの、きのこ雲の下で何が起こったのか? 事実を知る人々は少なくなっています。   
 原爆の実相を後世にも伝え続けるために、広島市立基町高校の学生が、被ばく者から直接聞き取り、絵に描いて残していこうと取り組みが始まりました。高校生は、直接見たこともない情景を、被ばく者の方から繰り返しお聞きして絵を描きあげました。そこには、写真では残っていない市井の暮らし、原爆投下直後の様子が克明に刻まれています。
 この夏、『高校生の描く原爆の絵』の展示会が県内のあちこちで開催されます。ぜひ足を運んで見てください。知ってください。

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