役立たずの影

 遠い昔には名前で呼ばれていた時期もあったのかもしれない。
 しかし、今は誰も名前で呼ばない。家に帰れば「この出来損ないの穀潰し」と叩かれるし、学校に行けば「役立たずのどてかぼちゃ」と囃される。
 何をやっても叱られるか、笑われるだけだった。だからと言って何もしないでいると、叩かれて家から追い出される。

――ねぇ君、毎日が嫌にならない?
「そりゃ、嫌だよ。痛いし怖いし」
――痛いのは嫌? 怖いのも嫌?
「当たり前だよ。誰も僕を知らないところに行けたらいいのに」
――本当に? 君は君じゃなくなっても構わないの?
「ああ嫌だね、こんな人生終わってしまってもいいんだ」
――じゃあ交換しようよ、ボクと君。いいでしょ?
「ところで君は誰なの? 僕に何の用なの?」
――ボクは誰でもないよ。誰もボクを傷つけないし、痛みも感じないよ。
「それなら、君になってもいいよ。君は僕になって何が楽しいの?」
――知らないの? 誰かに傷つけられるのは、とっても楽しいんだよ。

 夢を見ていたようだ。いや、まだ夢を見ているのかもしれない。
 だって、目の前に僕がいるのだから。

「しかし僕は本当に醜いね、眼なんかぎょろぎょろだし鼻は丸くて豚みたいだし、おまけに太ってるときた」
――き、君は一体誰なんだ!?
 僕の声は声にならなかった。声だけでなく、手も足も見えなかった。
「望みどおり、君は『誰でもない何か』になったんだよ、おめでとう」
 目の前のボクはニヤリとおぞましい笑みを浮かべた。
 こいつは僕じゃない、僕以外の『何か』なんだ。
「『何か』は死なない。誰にも見えないし聞こえない。君みたいに『何か』になりたがってる人を見つける以外はね」
――ぼ、僕はこんなことを望んだわけじゃないぞ!
 力の限り叫んだつもりだったが、無駄だった。
「君みたいなグズじゃないから、ボクはもっとうまく生きていくけどね。じゃあさようなら、役立たずさん」
――待て!
 手を伸ばしたつもりだったが、何も掴めなかった。
 僕でなくなったボクは、僕が掴めなかった何かをしっかりと捕まえてしまった。

 あれから僕は誰にもいじめられなくなった。お腹もすかないし、痛みももちろんない。
 でも、僕は僕であることが証明できなくなってしまった。ここにいるのに、誰も僕に気がつかない。
 ボクは相変わらず虐げられているが、その度に下品な笑みを浮かべるのだ。
 でも、誰も僕がボクになったことに気がついていなかった。

「ジャック! 本当にお前はどうしようもない奴だな!」

 ボクが先生に怒られていた。でも僕には関係なかった。
 本当の役立たずになったのに、消えることもできない。
 やっぱり僕は、本当にいらない子だったんだ。



≪この話は過去に「小説家になろう」に投稿したものです≫

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