ユーロビートを追いかけて

どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

この1年ぐらい色んな人に「生きて」とよく言われる。親からの冷ややかな目と元上司に死ねと言われたのを根に持って生きている人間にかける言葉としては恐らく『正しい』のだろうけど、余りにも心の奥底まで届かない言葉。
自分の周りの人達は自分のことを本気で心配して言ってることは理解している。頭ではわかる。心だって自分が存在していてもいいのだと言われた気になる。僕に声をかけてくれる彼等にとって人間は生きていて当然なのだろう。

常日頃、自分の生きている意味、価値と向き合う夜を過ごしている。
自分はどの程度生きていられるのか。他人の記憶の中にどれだけ染み付いているのか。誰かに呪いを残せるか。

僕は死に行く人間を止められない。誰かに請われれば、それに応えたくなる程度には人間性だってあるけど、死ぬやつに対して自分が出来ることは記憶することぐらいしかない。これは思い出して悲しむとかしてやるわけでもない。ただただ生きていた証を刻まれることが救済だと思っている。
自分の死に対しても同様であるはず。他人の記憶に住み着く、他人の世界を破壊する。破壊こそが存在意義で死人が唯一他人に関わる方法だ。

しかし、自分の自己肯定感の低さがこれを邪魔する。
価値のない自分自身の死にも価値を見いだせない。自分が死んでも他人の世界は壊れず回る。

もう僕の人生は欠落している。自分の人生を振り返れる年齢になった頃からずっと離れない。
欠落した人間に敗者復活はない。他人に優しくされ存在を肯定されお膳立てしてもらって人としての道に戻れそうになってもこの価値観が全てを台無しにする。
今まで惰性で進んできた人生、一度止まってしまった人生をまた歩き始めようとしても自分の中で価値観が大きな鎖となって身体に巻きついていて身動きが取れない。

これは甘えとか弱さとか色々言われるであろうことなんだろうが、僕はそんな弱い自分が好きだ。弱い自分ごと好きになってしまったのだから批判されたとしても矯正できないところまで来てしまっている。

僕の周りにいる人は本当に優しい。優しく頼もしい。僕は彼等が大好きだ、だけど根底に抱く感情が『生まれてきてごめんなさい』これなんだ。本当に申し訳ないが、どうしようもない。

良い夜を

ユーロビートを追いかけて/禁断の多数決

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