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その発言はほんとにキレなきゃいけない話なの?みたいな話

どうも、ゼロファジです。


普段暮らしていると他人の何気ない発言にイラっとしてしまうことあるじゃないですか?

悪意があるものなら明確な攻撃として対抗すればいいですけど、悪意ないものも結構あって。これがなかなかたちが悪い。
悪意がないからね。敵、じゃない。
ついつい、すぐ敵にしちゃう人多いけど。

ツイッターなんかを眺めていると、そういう悪気はないけどイライラさせられる系のツイートに出会すことが少なくない。価値観の違う人の発言に触れられることはとても大切なこと。それはわかっているんだけど、イライラさせられるツイートはどうしても目ざわりに感じられて。かといってミュートしたらなんか度量が狭いみたいでなんかなあ。みたいな。

で、たまに思うのが、

それっていちいちイライラしなきゃいけない話なのか?って考えることが大事だなあと。

一番多いのが、十分な知識や経験を持たない人が当てずっぽうで言ってることを真に受けてしまうパターン。そんなの本気で相手する価値なくない?と思うんですよ。

話者が信頼できる人ならば、「そういう人がいうんならそうなんだろう」と相手の権威性を信頼することもできる。しかし、そうでないならまともに受け止めるに値しないとしてきっぱりスルーしてもよくはないかな?と。

たとえば、

自分はファジアーノ岡山というJリーグのクラブを応援していますが、他所のサポーターさんが事情をよく知らないまま不勉強な発言することに対してはイライラしないしするに値しないと思っています。だって、他所のサポーターより明らかに自分の方が情報を持っていて、内容が不適切だとすぐにわかるから。よその人に当事者である自分以上に的確なことはわかるはずない、くらいに構えてます。
逆に自分が他所のクラブについて言及するときもまた同じで、所詮門外漢の自分に真芯をとらえたことを指摘するのは難しいだろうと思っています。それくらい当事者と部外者には物理的にも心理的にも大きな開きがあるんじゃないかなと。つまり、どの立場の人が話すか?がとても大事。

このように相手の立場を考慮せずに、ある意味"発言者はみんな正解を言ってくるもの"みたいな想定でいると、「なんでそんな見当違いなこと言うんだよ!」「事情を知りもしないで失礼な!」みたいなことになる。それは発言者のことを信じすぎなんじゃなかろうか?と思うんですよ。

たとえば、満員電車でギュウギュウ詰めのとき何かの拍子で足を踏まれたりするかもしれないじゃないですか?
痛い!でも、悪気はない。
イラっとするかもしれないけれど、相手も踏みたくて踏んでるわけじゃないことはわかる。そうつまり、相手の立場が見えるわけですよ。


というように、相手の立場や事情によってはまともに取り合うな必要のない発言は間違いなくある。イラつく必要のないことまで、わざわざイラつく必要はないってことかなと。まあ、当たり前なんだけど笑

そんなお話でした。



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