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共同でゲームを作るということ


あまり友達に愚痴を言わないので、元ゲームクリエイターとして一つ吐き出し、共有したいこと。ゲーム制作についてこうあって欲しいという話。

↑のリンクで語られていることからフラバしたので。ちなみにマンガは1コマも読んでない。一瞬で不愉快の予感がしたからw


自己紹介

ボクは非アート系のデザイナー、いわゆるゲームプランナー、ディレクターをしていた。以下、キャラクターなどの素材を作るデザイナーと混同を避けるため、昨今ではゲームデザイナーと呼ばれる企画マンをプランナーと呼ぼう。大好きなゲームを作った尊敬する諸先輩のいうことを頑張って吸収し、とりあえずゲーム開発のことを一通りは分かった気になって、先輩たちから離れてゲーム制作を行うようになったのだ。

ディレクターとは

ディレクターというのはつまり、ゲーム制作おける決裁者とも言える。小さなチームならプランナーを兼任して、要するに俺の考えたゲームを俺の考えた仕様で作れという立場だ。おそらく↑の漫画で示されている問題のクリエイターと同じ立場だろう。ゲームに限らず共同で制作を行う時、つまり仕様策定者と実制作者が異なり、ドキュメントやコミュニケーションの質が問われる。

我が仕様書のスタイル

尊敬するプランナー先輩方に得た教えを自分なりに咀嚼し身につけ公約数化すると、つまり「コンセプトの策定」こそ最も肝要だった。逆に言うと、細かい事をドキュメント上で決めきるなということ。実務をこなす上でそれが効率である実感もあった。

ゲームの面白さというのは――狙いとなる打算こそあれど――実際にプレイまで絶対に分からない。だから、コンセプトや狙いとなる体験、その根拠と方法を示して、あとはデザイナーやプログラマーに決めさせよう、というものだ。どんなトーンにすべきか、どんな変数を使いデータデースを構築するべきか、彼らのほうがよっぽど詳しいのだから。

しかしこれは当然、仕様としての具体性をある程度欠くということだ。実際にどの程度のディティールが必要とされるかは、作業者や根底となる作品のコンセプトの理解度による。社風によって醸成された「加減」が存在するだろうが、会社の規模によって多くは共通しているものと感じている。

そこでボクは会社が変わってから「相手の要求に常に合わせる」というスタンスで仕事を進めてきた。「ああ、分かったからもういいよ」という加減を探っていき、作業者個々人に合わせた仕様を作っていく。小さなチームなら椅子を集めて説明会をやっていけば、「加減」はそれほど差がないものになっていく。

愚痴本編

会社を移って、こういう具合にいくつかチームを渡り歩いて企画や仕様を練ってきたのだが、ごく数回「もっと具体的に指示/仕様が欲しい」というクレームをプログラマーやデザイナーからいただいたことがある。そのうち半分は確かに納期を急いだ拙速なものだったが、半分はそうでなかった。それに対する愚痴を述べたい。

まず、具体的な指示がないものについては、実現のためのアイディアを現に求めていることを書いている。それができないからといって「SNSでよく告発されるふんわり指示かよ~」みたいな喚きを、なんとか宥めて制作を進めるストレスは過大だった。

もう一つは、その制作について主導をできて当然のポスト(チーフ)と給料(をチームのために意見してきた)があるのに、なぜ主導しないのだという憤りだ。これまでの人生で1,2回ほどだけ説教をしたのは、これを感じたときだった。コンセプトも目的も伝えているのに指示がないと動けない「社内の」アートディレクターに一体なんの価値があるのか。流れてくるチケットをこなすだけの仕事をやるだけなら外注でやればいい。(というと外注のクオリティやコミュニケーションに難があるような言い方だが実態は千差万別。しかし前提として利便性を求めて社員として様々な便宜をお互いに図っているではないか、という話をした)

願い

もうボクはゲーム業界を離れており、長年の親友から支援を受けているものの、おそらく大々的には復活することは無いと思う。それでも、これを見かけた作業者の方には、「指示が糞」と瞬断する前に「必要以上に悪意を見出さない」ことを思い出してほしい。あなたに求められているものはあなたが想像している以上に大きなことかもしれない。それはプランナーのせいかもしれないし、座組を行ったプロデューサーがあなたの役割について説明不足だったのかもしれない。とにかく、ドキュメントについてケチをつけるよりもスキーム自体の前提について穏便に話し合うべきだろう。「ゲームのためにできること」を考えるのは、全員の仕事のはずだ。

ゲーム作りの情熱を永遠に保てるわけではないし「やりがい搾取」なんて以ての外だ。しかし一方で、情熱や楽しさなしに上質なゲームは決して誕生し得ないことも自明である。これはプランナーやディレクターこそが最も大きく担保すべき部分であると自負する。だがプログラマやデザイナの当事者意識が大きく完成度に寄与することも明らかだ。「ゲームが大規模化し大量のスタッフでゲームは機械的に作られている」なんて、知った顔で語る門外漢を黙らせよう。

一度しか無い自分の「ゲーム(業界)人生」をできるだけ良いものにして欲しい。「ゲームのためにこれしかできないのか」と誰かが思うことは悲しいことだ。しょうもないプランナーにこき使われ疲弊させられた過去があっても、それはいつか忘れてくれ。


あなたがシラーっと作ったゲームのヒットの影ではきっと、必死に面白くしようとした別の人がいる。あ、これはボクのゲームではないです。でも、そういうもんだと思います。




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