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ゼロベースランニングが生まれるまで(1)

はじめまして。

僕の名前は、高岡 尚司。今年で40歳になります。

「ゼロベースランニング」というメソッドを提唱する
ランニングコーチです。

もしかしたらあなたは
ゼロベースランニングというメソッドを
まだご存知ないかもしれません。

このノートでは
ゼロベースランニングについてお話しすることもそうですが
ランニングっていうアクティビティを
生涯楽しみたいと願うあなたをサポートできるような
内容をお届けしていきます。

まず今回から数回にかけて
僕がゼロベースランニングというメソッドを提唱するまでの
経緯をお話していこかと。


さて、僕は、自分で言うのもなんですけど
鳴り物入りで高校に入りました。
熊本の中学校でしたけど
福岡の陸上名門校に入学したんです。

中学時代は
記念すべき第一回全国中学駅伝の第1区3位で走りましたし
3,000メートルも8分40秒台では走っていましたので
熊本県ではほとんど敵なし状態でした。

もう僕自身はスーパーマリオのスターを取った気分で
イケイケどんどんな感じでしたね。
高校でも活躍するイメージしかわきませんでした。

だけど、まともに走れたのは高校入学して夏までの間くらいで
そこから卒業まではずっと故障を繰り返し
満足に走ることすらできなかったんです。

チームメイトが順調にタイムを伸ばしていくのを横目に
僕はどんどん卑屈になっていきました。

ここまでは、僕の著書や、雑誌なんかでもお話ししています。
けど、この最悪の高校時代にとったある行動の事は
あまり公にはしてません(僕のメルマガでは以前書きましたけど)。

知っているのは、家族と中学の恩師
それと高校の陸上部の関係者くらいだと思います。
(あと、メルマガの読者さんくらいか・・・)

その行動とは・・・

脱走。

下宿していた高校の監督宅に戻らなかったんです。

あれは、高校2年の3月だったと記憶してます。

これまでの自分の不甲斐なさや
思い通りにならない自分
故障してると監督から棒なんかで叩かれる
故障してると親のことまでディスられる
そんな毎日が耐えられなくなり
親に電話してしまったんです。
「もう無理」って。

午前中の練習に出る前、公衆電話から。
携帯電話なんてありませんでしたからね(笑)。
その情景は今でも鮮明に覚えています。

公衆電話で泣きじゃくって、
もうこれ以上ここでは続けられない、と。

そのまま午前中の練習出て、練習が終わって
いつもはすぐに下宿に戻らなきゃいけないんですけど
その日はずっとグラウンドに残り
ボーッとサッカー部の練習を眺めてました。

「ああ、何でサッカー続けなかったんだろう・・・」

そんなことをずっと考えてました。

ってのも僕、中学の時はサッカー部でキーパーやってて
県の中学選抜にも選ばれてたんです。
だから、サッカーで高校に進学するっていう選択肢も、実はあったんです。

だけど、キーパーって基本、受け身のポジションじゃないですか?
ゲームをゼロで抑えれば負けはしないけど
引き分けはあっても、絶対に勝つことはない。
だって少なくとも1点は入れないと勝てないじゃないですか?

それがどうにも我慢できなくなって。
で、長距離走るのは速かったし、勧誘もいただいてたので
だったら、自分で勝ち負けを決められる、陸上競技にチャレンジしてみたい、と。

でも、いざ陸上をはじめてみたら、この有様・・・。
情けなくって。後悔ばっかりでした。

そうやって、ボーッとサッカー部の練習を眺めてたら
何といきなり両親が現れたんです。

まあ、親の立場になったら僕でもそうするでしょうね。
今までそんな泣き言ひとつ言わずにやってきた息子から
あんな電話もらったら、心配にもなりますよ。

両親の姿を見て、また自分が情けないっていうか
恥ずかしいっていうか、でも何か嬉しいっいうか・・・
複雑な感情と一緒に涙が止まらなくなって
そのまましばらく僕の話を聞いてくれました。

「もう少しあと1年だから頑張れ」とは言われませんでした。
ただ、じっくり考えろとだけ。

両親と別れた後すぐ、驚いたことに今度は中学の恩師が
熊本からわざわざ来てくれたんです。
恩師も、じっくりと僕の話を聞いてくれて
僕が前向きになるように説得してくれました。

脱走って言っても、結局両親や恩師に説得され
その日のうちに下宿に戻ることにしました。

ただ、下宿に戻れば、鬼のような監督がいるわけで…
スゲー怒られるんだろうなって、覚悟してたんですけど
そこの記憶はあまりないんですよね・・・
それよりも、監督の奥さんと話したのはよく覚えてます。

その時に言われたのが
「無理はしなくていいから、辛抱して続けてみなさい」
そんな感じのことでした。

そこから結局、いつも通りの生活に戻ったわけですけど
「なんでこの高校に入ったんだろう・・・」
「熊本の高校に行ってたら、こんなことなかったかもしれないのに・・・」
なんてことばっかり考えてて。

そんなんで、まともに走れるわけもなく。
足の故障っていうのよりも、精神の故障。

体に力が入らない。っていうか、力を入れる気にもならない。

そんな状態で、何の生産性もない1年間を過ごし
何とか卒業を迎えました。

この卒業式の日の解放感は今でも覚えてます。

これでやっと自由になれる。

幸い、大学浪人したんです。
一応現役の時に東京農大受けたんですけど、落ちちゃって。

でも、落ちてよかった。
その時の僕には、一年間、じっくり自分と向き合う時間が必要でした。

自分と向き合う、つまり「今を生きる」っていうスキルを
高校生活で見失ってしまった。
それを再構築する時間、機会が必要でした。

高校を卒業してからすぐに僕は
中学の恩師に連絡を入れ
浪人してる間、中学生と一緒に練習させていただきたい旨を相談し
快諾いただきました。

中学時代は、走るのがすごく楽しかったんです。
もちろん、活躍できてたからっていうのもあると思うんですけど
それだけじゃない「何か」があったんです。

その「何か」を、この先生が知ってるんじゃないか?
その先生の近くにいたら、その「何か」の正体がわかるんじゃないか?

高校の卒後式が終わって1週間もたたないうちに
中学生の練習に合流しました。

そこから、不思議な経験をすることになります・・・

ちょっと長くなっちゃったんで
続きはまた次回ということで。

高校時代は結局
自分で自分の首を絞めてました。

被害者意識。これにつきます。

これによって僕は、僕自身によって
最悪のパフォーマンスをもたらしてたんですね。

被害者意識は「今、ここ」にいることを阻みます。

そんな高校時代から一転
中学生と練習しはじめたことで
大きな変化が起きました。

その件は、次回またお話ししますね。

#ランニング #マラソン #ゼロベース #ジョギング #トレイル


高岡 尚司(たかおか しょうじ) ゼロベースランニングクラブ・オーガナイザー 熊本国府高校陸上競技部長距離ブロックコーチ 鍼灸マッサージ師 ランニング足袋・開発アドバイザー ALTRA JAPAN アンバサダー 合同会社エフエイト・代表社員