Cthulhu Mythリレー小説「A Last New Year」第一回

 何処からか聞こえて来る鐘の音は、三十を超えた処で判らなく成ってしまった。浴槽に浸かりながら藤助(とうすけ)は窓に指を這わせてみた。今の今迄、体温を超える湯に浸っていた指先が、それだけで凍えて来る。
鐘が、又、鳴る。静寂な響きの一つ一つが、透明な夜気に染み渡って行く。人の居る町ならば、鼠栗々々(そろそろ)初詣に向かう人々の足音が聞こえて来る処だ。倂(しか)し、此処には住む者が限られている。大体、自分たちとて、日頃住んでいる者ではない。そう想った時、藤助は長湯し過ぎたと感じて慌てて浴槽を出た。浴槽は今時珍しい木製で、年経てあちこち黑ずんでいる。
 手早く服を纏って台所に行くと、下迄、買い出しに行って来た宗次(そうじ)と孝一(こういち)が麻績子(おみこ)と一緒に話をしている処だった。麻績子のラジオからは「ゆく年くる年」が聞こえており、アナウンサーが「平成最後の・・・」と喋っている。孝一がちらりと藤助に視線を移し僅かに微笑むと、藤助も笑みを返した。
 「呀(あ)、阿島(あじま)クン、出たんだ。じゃあわたし入って来るね」遅く成って済みませんと詫びる藤助に、麻績子は大丈夫、大丈夫と笑顔で足早に浴室へ向かう。年が改まる迄に手早く入浴を済ませようと云うのだろう。此処に来て最初に入浴の順番を決めた時、「わたし、女だし時間掛かるから最後で良いよ」と云っていた麻績子だが、いざ、蓋を開けてみれば、麻績子が一番入浴時間が短かった。フィールドリサーチを能くするフリーライターである麻績子は、入浴や化粧は手早く済ませる習慣だった。
ひとしきり宗次が町の様子を語った後、「で、初詣はどちらにする?」藤助がそう口にすると「どちらも朝には人がやって来るらしいんですよ」と蕎麦を茹でていた孝一が云う。
 この近くには神社が二つ在った。白旗(しろはた)神社と六合廷(くにがてい)神社だ。どちらも普段は無人だが三ヶ日の晝(ひる)には人が居る。神主ではなく背広を着た人たちだが、本殿を開け放って、その中で御神体の前で拝める様にしており、参拝後は御神酒も振る舞われる。だったら、その時を狙って行こうかと云う話に成り、どちらか本殿が先に開く方にしようと云う話だったのだ。だが、嘗ての駅前のアーケード街唯一の生き残りである古本屋で孝一が聞いて来たと云う話では、どちらが先に開くか甲乙付け難いらしい。
 二つの神社の内、六合廷神社は近くの連山で二番目に高い山の頂(いただき)近くに在り、白旗神社は下の方、此処からだとアーケード街の先に在る駅の痕を通り過ぎて少し行った所に成る。此処からの直線距離だと六合廷神社の方が近いのだが、道が大きく迂回している山道の事、歩く距離としては断然、白旗神社の方が近いのだ。此処からだと丁度町との中間地点と云った処で、家を出て十五分もぶらぶらと歩けば行く事が出来た。ついでに云うと白旗神社は直ぐ近く迄、普通に轂(くるま)で行く事が出来るが、六合廷神社は余程この道に慣れているか高度な運転技術の持ち主以外は途中、上り道に成ってから歩いて行くしかなかった。
 「だったら近い方にするか」そう藤助が云った時だった。 
 「六合廷神社にしましょう」と後ろから声がした。麻績子だった。最早(もう)、風呂から上がったらしい。「滅びた都を建設した一族を拝んでも詰まらないわ」と、ハキハキした口調で云う。白旗神社は源頼朝を始めとした源氏の一族が禩(まつ)られているが、頼朝が築いた鎌倉は滅び、その後、明治に入って横須賀が軍港に成った事から鎌倉は軍人たちの住む町として復活したものの、幕府の在った正確な位置ですら確認出来てはおらぬ状態だ。それでも源頼朝なる人物は、未(いま)だ鎌倉のシンボルであり、それを示すかの如く頼朝の像が源氏山公園の上から見下ろしてはいたが。
「多海(たみ)さん、じゃあ六合廷神社って何をお禩りしているかご存知なんですか?」と孝一が問うと、麻績子は少しばかり眉根を寄せて「判らなかったのよ、わたしが編集者だった頃には」と口にした。
 多海麻績子は今でこそフリーのオカルトライターとしてそこそこ名前が知られているが、彼女のキャリアのスタートは《レムリア》と云うオカルト雑誌の編集者としての仕事だった。大卒で就職浪人に成り掛けて転がり込んだ彼女と編集長の二人しか編集部には居らず、編集長自ら記事を書き編集をする職場だった。勢い麻績子も記事を書く様に成って行った。最初に麻績子が名前を挙げたのは真言立川流のウソをテーマにした記事だった。立川流は実在していたらしいものの実態はまるで不明で、性の儀式を実践する妖しげな流派と云うのは誤って、或いは意識的に拡められた虚構であり、その一方、流派に関わらず性儀式を行う寺などが時に存在しており、そうしたものが一括りに真言立川流とされたり、時には単なるフィクションも取り込まれ、今日の所謂(いわゆる)真言立川流が出来上がったらしいのだ。性儀式を行う立川流と云うのはフィクションに過ぎぬと云うのは、専門とする研究家の間では周知の事実であったらしく、そうした研究家の間を渡り歩いて麻績子が聞き書きしたものを纏めただけのものだったのだが、これが好評だったのだ。
 その彼女が取材して何も掴めなかったのが、贋鎌倉とも呼ばれる鎌浦の社が有名な六合廷神社の謎めいた神についてだったのだ。実は六合廷神社は神社本庁には包括されておらぬ神社なのだそうで、鎌浦の水流山(つるがやま)六合廷神社の宮司はもとより意見を聞きに行った民俗学者にも、禩(まつ)られている神々が何であるのか名前以外、まるで不明だったのだ。
勿論、麻績子とてこの地の六合廷様に行った処で答が得られるとは想ってはおらず、只、本殿を開けにどの様な人物がやって来るのか、己の眼で確認し話を直に聞きたいのだと云う。
 「阿島君はどう想う?」麻績子に行き成り話を振られ、藤助は慌てた。もっとも藤助が何を云おうとも、何も答えずとも麻績子は気にせぬ筈だった。麻績子がこう云う時は話を打ち切る時なのだ。倂し孝一は藤助に代わってマジメに答え始めていた。曰く六合廷様は必ず母である女神と共に禩られている事から、一説にはイエス・キリストと聖母マリアもそうであると、或いは日本の八幡信仰もそうであると云われているタンムーズ神の系統なのではないか、死して復活する男神と、その妻もしくは母である女神の組み合わせの系統なのではないか等々。倂し、それらは既に麻績子の知識の範囲内だと、藤助は知っていた。
 この中では藤助が麻績子との付き合いは一番長い。それは藤助がミスカトニック大学日本校の《UFO、UMA、超古代&超常現象研究会》、通称《U超研》の今の会長である事と関わっていた。先々代の会長の頃から《U超研》は《レムリア》の編集部にも出入りする様に成っていた。そこで幾人かのオカルトライターの知己を得、その内の一人が麻績子だったのだ。藤助はその時からの会員で、現役最古参メンバーであり、現会長であるのもそれが理由だった。
 孝一は、昨年、偶々(たまたま)学内のカフェで藤助と相席に成り親しく成った処、藤助と同じ学年で宗教学が専門だと云い、《U超研》に宗教班が有ると聞いて入って来たのだ。そして宗次は・・・。
 孝一も宗次も初詣の場所についてはどちらでも良い風で、麻績子の意見が通り、みなで大皿に盛った蕎麦を啜った。

 山の間に太陽が見えていた。平成最後の元旦か。そう想い藤助が隣の部屋を見ると既に孝一と宗次が雑煮を作っている処だった。藤助が起きたのに気付いて孝一が笑みを浮かべる。それを見ているだけで、自然と藤助にも笑みが浮かんで来た。
 藤助たちが使わせて囉(もら)っている家は、一階が居間と台所と風呂にトイレ、それに台所に隣接している広めの納戸に成っており、男三人は納戸に布団を入れて寝ていた。二階には階段を上がった左右に夫々似た様な間取りの部屋が在り、片方を荷物置き場、片方を唯一の女性である麻績子の寝る部屋にしていた。麻績子自身は、みなと一緒でも良いと云っていたのだが、男三人が頑強に抵抗したのだ。
 さて、藤助が助勢しようとする前に、孝一と宗次は大根、蕪、牛蒡、里芋、それに皮を剥いた鶏肉などを、何時でも澄まし汁に投入可能にしていた。麻績子は煙草を喫煙(す)いに出ていると云う。だったらと藤助が真空パックから出した餅を切り分けていた処で麻績子が戻り、下のコンビニで昨日受け取っていた御節をみなで容器…百円ショップのプラスチック製だが見た眼だけは立派なもの…に移し、屠蘇散を浸した清酒を飲み、孝一がドヴォルザークの交響曲第九番『新世界より』…一部のメロディーに日本語の歌詞を付けたもの迄有る程、日本では知られている曲…を掛けて食事が始まる。
食事の時に音楽が欲しいと云い出したのは宗次で、みな音楽データを持参しており、朝一番最初に起床したものがその日の食事時の曲を決める事に成っていた。
 この家にみなが顔を揃えたのは二十八日の事で、二十九日も矢張り孝一が朝はカリンニコフの交響曲第二番、昼はベートーヴェンの交響曲第六番『田園』、夜にはモーツァルトの小夜曲(セレナーデ)十三番『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を流した。宗次が何でベートーヴェンの交響曲第九番が入っておらぬのかと問うた処、孝一はきょとんとしており、藤助が歳末に演奏される印象(イメージ)が有るだろうと云っても判らぬ様子で、麻績子が元は歳末のボーナス費用捻出の為にとある楽団が歳末にコンサートを行った際に一番人気の有る交響曲として選ばれた演目だったのが定着したのだと語り、漸く判った様子だった。

 御節を抓(つま)む食事は流石に時間が掛かり、孝一は第九番に続けて同じドヴォルザークの交響曲第一番を流した。食後に麻績子がラジオを点ける。この家に在ったテレヴィは既に藤助の義理の兄の所に行ってしまっており、インターネットは少し下の地域迄しか来ておらず、携帯も巧く繋がらぬこの場所ではラジオが唯一の情報源と成る。午前零時過ぎにに竹下通りで事件が起き、テロの疑いも有るとアナウンサーが喋っていて、宗次が「物騒だな」と呟く。併しそれ以外では各地の正月模様や暇そうなタレントの馬鹿話が流れていて、概ね平和な正月の様だった。
 みなで初詣に出たのは、もう昼に成ってからだった。道を聞いて来ていた孝一が先導役を買って出ていたが、途中で麻績子が彼を止めた。その先にカルトの集会場所が在り、渠(かれ)らは正月にそこに集まっているらしいと云って。みなが驚いて何のカルトだと問うと、麻績子は《イドラ講》だと答えた。六合廷神社の在る山と反対に位置する山に天道宗系の寺が在り、無人の寺だったのだが、何処からかイドラ様の木像を抱えた尼僧がやって来て《イドラ講》を始めたのだと云う。イドラは仏教のパンテオンを構成する存在の中で最も正体の判らぬものだと云われていた。天(デーヴァ)部に配置される場合と夜叉部に配置される場合とが有るが、如来部と菩薩部では七倶胝仏母(しちくていぶつも)と准胝(じゅんてい)観音であるが如くに、乃至は七福神の中に時折り弁財天の代わりに配置されている事が有る仁愚羅(にぐら)天が菩薩としては黒山羊観音であるが如くに尊格に依って名称が変わるものと違い、精々、天部に配置された時に下に「天」が付いてイドラ天と成るくらいだった。ちなみに漢字での表記は三人称代名詞を示す漢字の一つ『伊』に大地の『土』もしくは石弓の一種の『弩』を書く場合が有ると云う。伊土羅の像容としては、身体の線が判然(はっきり)している、美しいと云うよりは可愛いらしい娘の姿で、天の場合、腕は二本から六本、夜叉の場合、腕は二本。いずれの場合でも常に一本の腕には花を持ち、夜叉の場合は剣か円輪か槍、天の場合は腕の数にも依るが、円輪、剣か槍、弦楽器、筆、穀類の穂などを持っていると云う。七福神にも入っている事が有り、夜叉を出自とした戦神の場合、毘沙門の代わりに花と剣を手にして配置されている事が有り、神を出自としている場合は弁財天の代わりに花と弦楽器を手にして配置されていると云う。天道宗系の寺は伊土羅の像を置く事が多いが、《イドラ講》の連中は天道宗はおろか仏教とも異なるカルトだと云う。嘗て日本を震撼させた毒ガステロを実行したカルトは仏教系のカルトだったが、《イドラ講》には仏教の教義は受け継がれておらず、『黑きスートラ』と云う何語から訳されたものかも判らぬ経典にのみ頼っていると云う。或いは仏教の女神としての姿より、仏教に取り込まれる以前の姿に近いのかも知れぬと麻績子は語った。ちなみに昨夜の除夜の鐘も《イドラ講》の連中が勝手に鳴らしたものらしい。
 下手なカルトには関わらぬ方が良いと、みなは麻績子の指示に従って廻り道をした。孝一はそれでは遠廻りに成ると独り反対していたが、いざ足を運んでみると意外と時間は掛からずに六合廷神社に到着した。
 辺りの連山の中で二番目に高い山の頂上近くに築かれた神社では、背広を着た何処となく官僚的な二人の壮年の男性が「どうぞ上がってお参り下さい」と云い、本殿に上がると如何にも溶岩の組成物と云った石に載せられた鏡が置かれている。この社のご神体、即ち六合廷在有矛(くにがていざうむ)神様だ。みな、拝んだ後、お神酒を飲み、更に本殿の裏に在る階段を上ってその上の社にもお参りした。禩られているのは六合廷在有矛神の母である素芭酉苦楼楼(すはとりくるる)大神(おおみかみ)だ。この二神の名前の漢字は社ごとに異同が有り、明治の頃に今の表記に統一されたらしい。
 麻績子が参拝客に挨拶していた男性二人に声を掛けると二人は宗教法人六合廷神社の職員で、明日に成れば他所(よそ)から神社本庁などで云う禰宜に当たる人物がやって来て、祝詞を上げるのだそうだ。
 次いで麻績子はそれとなく話を近くの寺社の事に移して行った。すると寺の話に成った時、二人の表情が微妙に強張ったのが藤助にも判った。併しそれ以上、これと云った話は聞き出せず四人は山を降った。
 借りている家に戻った処で、今日の料理当番の麻績子が冷蔵庫を開けて「あれ?」と声を上げた。野菜がないのだそうだ。すると孝一と宗次が残りを全部使ったと云う。二十八日の晝頃に来た事もあって晝食は外食か中食(なかしょく)とし、料理当番は夕食と翌朝食を担当する事に決まったのだが、二十八日に冷蔵庫に入りきらぬ程、大量の野菜を持ち込んでいたのを料理当番だった藤助が大量のカレーを拵(こしら)えその時点で半分以上を消費してしまっていた。生姜と大蒜、クミンとコリアンダーに玉葱の微塵切りをベースにした印度風で、それにミックススパイスのガラムマサラ、ジューサーで潰したトマトと鬱金(うこん)に醍(ヨーグルト)やら野菜やら肉やらを加えたものだ。結局、これは大晦日の夕飯の時に漸く片付いたのだった。そして今朝、料理当番の宗次が孝一に手伝わせて作った雑煮で残りの野菜を使い果たしてしまったのだ。
 下のコンビニなら野菜も結構置いている筈なので買い出しに行こうと云う話に成った。宗次は孝一を誘ったが孝一は散歩に行って来ると云って独りで出て行った。散歩好きで山道を歩いたりするのが好きだと云う孝一は、此処に来てから日課の散歩を欠かさぬ毎日だった。又、本好きな事もあって下の旧アーケード街で唯一生存している古本屋にも日参しているとは本人の弁だった。
 コンビニに行く途中で麻績子が一寸、白旗神社にも寄って行きましょうよ、と云うので寄り道する事に成った。人がまだ多く住んでいる所からも歩いて来られる範囲に在る為、結構混んでいた。巫女姿のバイトと思しき娘たちがお札や破魔矢を売っている。訊けば午前零時から本殿を開放し、その繼ずっと開け放していて参拝客も多少途絶えがちではあるものの、夜から続き、晝頃から俄然混み出したのだと云う。もっとも地元の人たちに云わせると例年の事で、中には午前零時の頃に一度来て、又、出直して来たのだと云う人も少なからず居り、どうやら此処で近所の人たちと顔を合わせるのも正月の熙(たの)しみの一つであるらしい。藤助は孝一が古本屋で聞き込んで来た話と違うなと想いながらも、兎に角此処もお参りしようと想った。だが結構な行列で時間が掛かりそうなので三人ともお参りせず、宗次はお札と破魔矢に興味を示したが、そう云うものはお参りした人が買って行くものよ、と麻績子に云われ、午前中が空(す)いていると云うので明日にでも出直そうと云う話に成った。
 下の方に行くとコンビニは開いており、轂で乗り付けて買い物をしている人の姿もちらほらと見えた。見ていると弁当やおにぎりや麺麭(パン)、杯(カップ)麵、サラダ等の他、魚や肉や野菜と云った生鮮食品を買って行く人の姿も在った。年賀用の菓子類なども置いており訊いてみるとカタログを出してくれたので、少し離れたこの辺りの文化の中心とも云える地域で老舗で通っている菓子屋の霰餅(あられ)を頼むと奥から持って来てくれた。そんな物、どうするんだ、と宗次に訊かれて地主に挨拶に行く積りだと藤助は答えた。
 四人が今居る家はあの界隈に残る空き家の一つだった。この辺りは大正から昭和に掛けて鉱山で開けた所だった。幾種類かの鉱石を採掘していたらしいが、主要なものは錳(マンガン)と鎳(ニッケル)と銅であり、抑(そもそも)は明治の頃にこの地域で銀鉱扖(さが)しの試掘を行っていたお雇い外国人が硒(セレン)銀鉱を見付けた事に依る。錳は菱錳鉱(ロードクロサイト)として産出されたので見眼の良いものはインカローズとして、又、銅山から副次的に掘り出される緑青色(ろくしょういろ)の銅鉱は孔雀石(マラカイト)として装飾品に使われ、この地域の土産物屋で販売されていた時代も有ったらしい。
 現在《イドラ講》の連中が陣取っている寺は幕末の頃に出来たもので、その時も寺には大きな伊土羅像が、右手に花を左手に琵琶の如きものを手にして何かに嫋(しな)だれ掛かるが如き放恣な姿の、丸顔に可愛いらしい顔立ちで肉感的な肢体の像が置かれていたと云う。何処から来たのか近所に移り住んで寺の掃除などをしている娘が、寺に置かれた伊土羅像にそっくりだと評判を取っていた事も有ったらしい。人々の間ではこの寺が出来てから土地が肥沃に成ったと云われており、様々な鉱山の発見もその延長で語られていたと云う。廃仏毀釈の影響を受けなかったこの寺も、戦時中、本尊とも云うべき伊土羅像を婬らなものとして当局が接収し叩き壊してから衰退の一途を辿り、戦後、この地に一時滞在する進駐軍に宿舎代わりに明け渡され、その後再び天道宗の手に戻り一時は山務員の数も十人を超えた時が有ったものの、最後は無人の寺に成ってしまい、それでも地元の人々が居る間は手入れが行き届いていたと云う。又、不思議な事に伊土羅像が叩き壊された直後から全ての鉱山の産出量が眼に見えて低下し、土地も見る見る痩せて行って作物の収穫量も一気に減少し小作農の時代から代を重ねて来ていた家々も立ち退き、それも有って人が居なく成ってしまったのだと云う。
 ちなみに、連山に穿たれて行った鉱山の内、一番下の辺りにはその昔、浄地(じょうち)宗系の寺が在ったらしい。鉱山を掘っていて遺構が出土したものの、当時はそんな役にも立たぬ古いものより産業が優先であると云う考えから捨て置かれてしまったと云う。処が何処で聞き付けたか県内に在った浄地宗本山の一つ得霊山(とくれいざん)聖谷寺(しょうこくじ)が、鎌倉時代から室町時代に掛けて存在した清南山(せいなんざん)妙地寺(みょうちじ)なる寺の記録を見付けその寺を麓に再建し、嘗てその寺に置かれていたと云う穣手二十七面(じょうじゅにじゅうしちめん)観音、この世の八方向と上方世界の八方向と下方世界の八方向、それに真上、真下、本地の二十七方向を夫々向いた面と一穣(一京の一兆倍)と云う数多(あまた)の腕で救済する観音を禩ったのだ。この観音は阿坐堵洲(あざとす)如来の横に置かれる事が多いのだが、何故か聖谷寺の本堂には阿坐堵洲如来の後方に十六夜(いざよい)観音、朧月(ろうげつ)観音、幻月(げんげつ)観音、不知火観音、夜行(やぎょう)菩薩、火光(かぎろい)菩薩、と云った像が並びはしていたものの穣手二十七面観音の像は置かれておらぬのだった。
 併し平安時代の書物で本堂には阿坐堵洲如来と穣手二十七面観音が置かれていると有り、妙地寺は聖谷寺の僧侶を招いて開いたと有る事から、妙地寺へ移る時に像も持って行ったのだろうと云うのが、研究者たちの推測だった。
 そこそこ知られたこの地方の名物の一つで半生菓子の『観音焼き』は、元は妙地寺の何代目かの住持が想い付き、僧侶たちに受け継がれ寺で販売されていた穣手二十七面観音の上半身を表面に焼き付けた瓦煎餅が元に成っていると云う。門前町の菓子屋が、寺の許可を受けて柔らかい穣手二十七面観音の瓦煎餅を売りに出したのが抑(そもそも)の始まりだったのだと云われている。
 さて、鉱山の産出量の低下に話を戻すと、その為に閉山する所も出始め、鉱山労働者の数も一気に減って行ったのは至極当然の事で、最初にその呷(あお)りを喰らったのは鉄道だった。一番奥の鉱山迄、単線だが鉄道が通っていたのだ。奥の方の終点も含めた三駅は、主に採掘した鉱石を運ぶ為の貨物兼用の駅で、鉱山労働者とその家族も住んでおり、そこそこ人口密度は高かったらしい。それが一気に減った。元々戦争で人数を或る程度取られていた事もあって、戦時下で稼動していたのは鎳鉱山と錳鉱山だけと成り、元々商業としての採算が取れていなかった鎳鉱山の方は敗戦と共に終了していた。そして細々と錳鉱山だけが活動していたが、バブル崩壊を生き延びたもののドル安の時代に錳の輸入枠が一気に拡大した結果、閉山と成った。忽ち終点を含む三駅の周辺、元々人が住んでいなかった所からは人々がまるで居なく成ってしまったのだ。
 四人が今居る所も鉱山の始まりに依って開発され、鉱山の終わりに依って幕を閉じた地域だった。当時は斜面に沿って畑が拡がっていて、最初は畑の下側に在る岩だらけの土地を削って鉱山の幹部たちの住宅街が作られその下に駅が作られた。駅と住居の近くに商店街や学校、映画館やパチンコ、ビリヤード場にボウリング場と云った娯楽施設などが揃い、そこで働く人々の為に、今度は畑の上側の斜面に沿って家々が整備された。四人が今居る家も、そうした人が住んでいた家だ。全盛期には駅前に出来たアーケード街に、呉服屋に洋品店、金具屋、草履屋に靴屋、煙草屋、三味線屋に太鼓屋、本屋、レコード屋、貸本屋、畳屋、桶屋、新聞屋、家具屋、肉屋に魚屋に八百屋に豆腐屋、鞄屋、仏具屋、石屋、葬儀屋、飴屋、煎餅屋、米屋、菓子屋、甘納豆屋、心太(ところてん)屋に蕎麦屋、洋食店や洋菓子屋、店主がフライパンで煎った豆で珈琲を淹れ汉堡包(ハンバーガー)と熱狗(ホットトッグ)と肉丁蓋飯(ハヤシライス)を喰わせる喫茶店、時計屋、花屋、牛乳屋、麺麭屋と様々な店が軒を並べていたと云う。路線の擦れ違い駅から続く商店街であり、沿線でも特に開けて賑やかな場所の一つだったそうだ。駅の向こう側にも燃料屋とか材木屋などが在り、地元の信用金庫の支店も在ったと云う。鉱山が閉鎖されアーケード街に店仕舞いする所が増えてもそれらの店は暫くは残っていたらしい。併し廃線に伴い信用金庫は撤退し跡地にはATMだけが残され、そのATMも今は亡くなってしまっているのだと云う。又、全盛期には駅のすぐ手前と、藤助たちが今居る嘗ての住宅地の入り口に洒落た建築の交番が在ったものの今はどちらも撤去されている。
 今日、人口の減少が著しき地域で空き家ばかりが増え行政も手を拱(こまね)いてばかりと云うケースが多々有るが、それも所有者が死亡し相続する者が顯(あら)われぬからで、この地域ではその問題は生ぜぬ。全て借地であり、家の建立の為に借りた者が死亡した場合、契約を引き継ぐ者が居らず家も含めてその土地に遺された物を相続する者が十年経っても顯われなければ、土地に遺された物は全て地主に帰属する契約に成っていた。行政は十年待って、地主に危険だからあの空き家を取り壊してくれと云えば良いのだ。そうすると地主は家の中のものを売り払い、その金で家の取り壊しを業者に依頼するのだ。斯くして四人の居る辺りは空き家ならぬ空き地が多いのだった。
 ちなみに四人が借りている家に住んでいた人は若い頃は玩具屋を経営していたらしい。或る日、本人から一一九番に電話が入り、麓の病院に運ばれ一ヶ月程入院した後、亡くなっていた。妻子も含め家族親戚は既に亡く、唯一生存していた係累が藤助の姉の夫だった。夫の既に故人である父が、この家の住人の唯一の甥だったのだ。家の中の整理を藤助も手伝わされる事に成り、それでどうせなら休みの間、そこに住んでみてはどうかと云う話が、抑の始まりだった。
 そして、この辺りの地主の一人、山のこの辺りの斜面の持ち主が、アーケード街で営業を存続している唯一の店で古本屋なのだった。オカルト関係の品揃え豊富な店で、こんな所へ客が来るのかと想っていたら、通販が主体だそうで、二十八日に藤助が挨拶に行った時も宅配業者に台車一杯の包みを渡している最中だった。
 麻績子も店の名を知っており、それどころか幾度か注文した事も有ると云う。藤助たちは駐車し放題のアーケード街入り口に車を停めると、菓子を手に薄暗いアーケードの中に入り、駅の方に向かって暫し進んだ。間もなくアーケードも終わりと云う頃に成って右手に顯れた『慧依梵堂』と云う看板の前で足を止める。硝子戸を開けて「明けましておめでとうございます!」と云いながら入ると、店の奥に座っている老婆がヒ、ヒ、ヒ、と笑いながら「おめでとう」と答える。老婆は藤助の事を憶えていた。「名山(なやま)さんの親戚だったね。家ン中の整理は捗っとるかい?」「まあ、ぼちぼちです」藤助は言葉を濁した。最初に挨拶に来た時、「おや、整理に来てくれたのかい、ご苦労さん」と云われて、つい肯定してしまったのだ。
 「それにしても元旦から開けているんですね」と藤助が云うと「別に店をやっとる訳じゃないよ、そこが唯一の出入り口なのさ、何、限られたもンしか来ないから鍵なんか掛けた事ないのさ」と謐(ぼや)くが如くに老婆は云う。老婆の手前には平積みにされたカタログが置かれていた。受け取った顧客が中を見て注文するのだろう。ちなみにホームページこそないものの、注文はメールでも受け付けているらしい。このアーケードの中はWi-Fiが使えると、孝一も云っていた。
 菓子を受け取りながら老婆が「初詣にはもう行ったのかい?」と訊くので六合廷様に行って来ましたと云うと、下の白旗神社だったら暗い内から賑やかなのにと云われ、想わず「孝一が聞いた話だと六合廷様も白旗様も明るく成ってから開放されると云う事だったのですが」と云うと、「だったら、その孝一ってのが嘘でも云われたのかね」と老婆は云う。藤助が、いや、それを孝一に教えたのは貴女だったのでは、と云おうとした処で「何処でそう云った話を教えられたのか後で訊いてみます」と麻績子が後を引き取ってしまった。すると老婆は「或いはその孝一ってのが嘘付きだったか、だね」と云った。

 轂に乗ろうとした処で宗次が、藤助の耳元で囁くが如くに云った。「孝一には気を付けた方が良いぞ。あいつ裏表が有る」その云い方がつい気に障って藤助は云ってしまった。「お前、孝一に云い寄ってフラれたのか」途端に宗次の表情が強張り黙ってしまった。しまった!と藤助は想った。図星を突き過ぎたかと想ったが、最早(もう)遅い。藤助は以前は宗次と付き合っていた。宗次がU超研に入ったのは藤助と付き合っていたからだった。併し或る日突然に藤助は宗次にフラれてしまった。相手は同じU超研の先輩で女性だった。宗次はバイセクシャルだったのだ。それから宗次はU超研に顔を出さなく成った。翌年、宗次を寐取った先輩は卒業して行き、孝一が入って来た。そして藤助と孝一は付き合い始めた。少々世間知らずかと想えば妙に世慣れた一面も有り、意外な方面に博識な孝一とは話も合い、直ぐに二人は親密に成って行った。時折り孝一が己よりもずっと年長に見える事も有ったが、そんな時、藤助は構わず孝一に甘えていた。藤助にとって、それは至福の時でもあった。
 そんな時だった。宗次が再びU超研に顔を出す様に成った。同時に卒業して行った先輩の良からぬ噂も聞こえて来ていた。ルックスの良い後輩たちを男女問わず摘み喰いしていたと云うもので、就職してからは自重する様に成り、今は女子高時代に運動部で一緒だった人と付き合っているとも云われていた。宗次は明らかに藤助と因りを戻したがっている様子だった。孝一と顔を会わせる迄は。
 今回、孝一を誘ったのは藤助だが、宗次は自分から参加させろと云って来ていた。孝一が狙いなのは直ぐに判ったが、要領の良い宗次は同行する麻績子に轂は自分が出すからと早々に話してしまい、断る理由を見付けられなかった藤助は渠の参加も認めざるを得なかった。抑、運転免許を持っているのも、宗次だけなのだった。
 轂の中で不意に麻績子が口を開いた。「嘉村君には、えいぼん堂に行った事は内緒にしておきましょう」そこで藤助は初めてあの古本屋の名前の読み方を知ったのだった。だが、それよりも「孝一に内緒って何です?」と、ついきつい口調で訊いてしまう。「真池(まち)さんが最後に云った事を憶えている?」真池と云うのはあの店の老婆の事だ。この辺りの地主の一族の姓でもある。幾人か居るこの辺りの地主たちは、みな真池だった。
 「孝一が嘘付きだって云うんですか?」「多分ね」麻績子はあっさり云い切った。そして何か云おうとする藤助の先手を打つが如くに「あの子、多分《イドラ講》の一員よ」と云う。「すると先刻は俺たちを《イドラ講》の集会場所に誘導して俺たちを哘(さそ)う積りだったって事なのか?」ハンドルを握る宗次が驚いた様子で問うと、「屹度ね」と麻績子は答える。「真逆(まさか)!」想わず藤助が口にすると「でも阿島君は《イドラ講》じゃないでしょ?それとも佐川君?」「俺、そんなのに入ってないぜ」慌てて宗次が答える。すると麻績子はU超研の中に《イドラ講》の人間が居り、正月に此処の集会所に来る事に成っていると聞いていると答えたのだ。
 誰から聞いたのです、と藤助が問うと《イドラ講》の幹部の所にそう云う電話が入ったのよ、と云う。それを誰が教えてくれたのかと問うと、勝手に、当人たちに知られぬ様に聞いただけだと答が返って来た。それ以上は訊かぬ方が良さそうだった。麻績子の今の調査対象は《イドラ講》だったのだ。だが、それで藤助には漸く麻績子の参加理由が判った。麻績子には平生(いつも)U超研の予定などを伝えていたのだが、今回、此処に来る話をすると行き成り、わたしも行くわと口にしたのだ。
 麻績子の話通りだとしたら、一体どの様な顔をして孝一に会えば良いのだろうか…不安な気持ちを抱えた繼、借りている家に戻った藤助は、併し心配する必要などまるでなかった事を知らされた。台所の卓(テーブル)に紙が置かれていた。

 下まで降りて実家へ新年の挨拶を入れたら、父が倒れたと云うので、直ぐ帰ります。行き成りで申し訳有りません。
                                孝一

 紙にはそう書かれていた。
 「本当かどうか判らないわね」みなを代表するが如くに麻績子が云う。
 何となくしっくり来ぬものを感じながら藤助は当番なので夕食の仕度に取り掛かった。孝一に食べさせてやろうと想っていた牛肉の白味噌煮焼きだ。他に玉葱と白菜を醤油で炒めてこれもご飯の御菜(おかず)だ。少々時間が掛かり遅めの夕食が出来上がる。宗次や麻績子にも手伝って囉えれば一層(もっと)手早く済ませられただろうが、生憎二人とも居なかったのだ。煙草と缶チューハイ二本を手に表へ出ていた麻績子については、どうせ食事だと呼ばれる迄は喫煙(す)いながら呑んでいる事だろうと藤助も承知していたのだが、そこそこ料理好きの宗次が荷物の所へ行ったきり中々降りて来なかった。藤助が呼びに行くと慌てた様子で何やら真剣な表情で見ていたノートブックを閉じると降りて来た。
 音楽は、孝一が居らぬので料理当番だった藤助が選曲した。三十日は麻績子が朝には《スター・ウォーズ》の曲などで知られるジョン・ウィリアムズのジャズ・ミュージシャン時代の名盤…ベツレヘム・レーベルと彼女は云っていた…を、昼はフォスターのショー用の歌曲…『草競馬』とか『おおスザンナ!』などを、夜にはラグタイムを何曲か流し、昨日は宗次が朝には《ARIA》と云う漫画原作のアニメの劇中曲…ブラジル音楽の一つショーロ専門のミュージシャンバンドの作曲だが、現地のショーロ程哀愁やメロディーの揺れ幅が強くなく癒し系とされている曲の数々…を、昼には軽快で心休まるケルトのハープ曲を、夜には小説が原作で《ドラキュラもよけて通る》と云われる女性警察官を主人公にしたコメディアクションアニメの曲を流していた。その間、藤助も流す曲を決めていながら朝が弱い事も有って、中々流せずに居たのだ。父親が好きで聞いていた為、藤助もいつしか好きに成った曲の幾つか、今井美樹の『頬に風』『オレンジの河』ドリームズ・カム・トゥルーの『うれしはずかし朝帰り』等々を流した。併し平生(いつも)は好きな筈のそれらの曲も、その時は何処か虚ろなものにしか感じられなかった。そう云えば小学校の時、クラスでドリカムの『うれしはずかし朝帰り』と云ってもドリカムはそんなの唄ってないよ、と皆に云われ、今井美樹に至っては誰も名前すら知らず、後日、お母さんが知っていたと云ってくれた子が一人二人居ただけだったな…と想いながら藤助は箸を進めた。気が付くと、子供の時の事ばかり考えていた。いや、そうではない。孝一の事を考えまいとしているだけなのだ。それで孝一とまるで関係ない方向に考えを向けようとしているのだ。
 翌朝、料理当番なのに藤助が一番遅く起きた。九時を廻っていた。実際の処、何かもやもやしていてよく眠れなかったのだ。宗次もよく眠れなかった様だった。二人が起きた時には、既に麻績子は煙草を喫煙(す)いがてら周辺を軽く散策して来た後だった。昨日の雑煮の材料が残っているので今度は白味噌仕立てで雑煮を作り、御節の残りで朝食にする。麻績子は軽快なデキシーランド・ジャズを流したが、それでも藤助には、何処か辺りの空気が重々しく感じられた。食後にラジオを点けると、丁度、一回目の一般参賀が終わった処らしく、天皇陛下が一般参賀で「年頭に当たり我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とのお言葉を…とか、予想を超える人々の多さに九時半の開門が十五分早められたとか、アナウンサーが喋り、次いで前日の竹下通りで事件を起こした犯人が、本当は明治神宮に飛び込んで火を点けようとしていたと供述しているとも喋っていた。宗次は落ち着かぬ様子で少し歩いて来ると云って出掛け、十五分程して戻って来た。
 食器を洗い終えると、三人は早々に白旗神社へ向かい、空いている内にお参りを済ませた。その後で麻績子はもう一度『慧依梵堂』に行ってみようと云う。行くと老婆は暇だったのか歓迎してくれる素振りを見せた。
 茶色の貓が一匹、老婆の相手をしていた。飼い貓かと想って藤助が名を訊ねると「さあね」と云う返事だった。野良らしい。こんな所にも野良が居るのかと想っていると、このアーケード街も店は閉めても暮らしている人は少数ながら居るのだそうだ。「一層(もっと)便利な下の方で暮らそうにも家を買う金がなかったり引っ越して見知らぬ地域で暮らす煩わしさを避けて、まだ此処で暮らしているのが居るんだよ。中にはあたしより歳喰った喰えない爺さんも居たりするよ」と云って老婆はヒ、ヒ、ヒ、と笑う。尚、『慧依梵堂』の左隣は風呂屋だが、ボイラーを売り払った後、住民が、そこの息子は家族も居て麓で暮らしており、老夫婦と妻の姉である未亡人とその娘の四人が、今も居るのだと云う。
 麻績子が店の棚に在った幾つかの本を抜き出して買いたいと云うと、老婆は、ほう、と云う顔に成った。そして代金を受け取りながら「何かこの辺りで調べたい事でも有るのかね」と云う。
 「伊土羅様の事です。戦前に像が置かれていた寺に、今、《イドラ講》の人たちが来ています。一体、伊土羅様とは何なのでしょう」と麻績子が云うと、「噫(ああ)、何だそっちかい」と老婆が云う。「六合廷様も気に成っています」「儂が知っとる事はあんたが今、買ってくれた本に出ている事くらいじゃよ」と老婆は云う。麻績子が買ったのは「知られざるスートラ」と云う本と「素芭酉苦楼楼大神信仰」と云う本だった。いずれも私家版で国会図書館にも納本されておらぬらしい。麻績子はこの手の本を読み慣れているらしく、要点を声に出して藤助たちにも判る様に拾い読みして行く。
 豊饒の女神たるイドラは地球そのものの命の化身とも云うべき存在で、地球に於けるあらゆる生物の能力を備え、それぞれの生き物の前にはその生物に対峙するにあたって最も相応しき姿を取るのだと云う。人に対しては人に最も好ましき姿を以って対峙すると云う。又、イドラは至る所に居り、夫々がイドラにしてイドラの一部。イドラの一部が知り得た事は全体としてのイドラが知る事に成る。幽体離脱して宇宙の彼方を旅して来た者と接触すれば宇宙の彼方の事を知り、人の心を読む事が出来る者と接触すれば人の心を読む事が出来る様に成る。演説で聴衆を意の繼に出来る者と接触すれば演説で人心を操り、如何なる人物をも演じられる役者と接触すればどの様な人物にも成りすます事が出来る様に成る。それがイドラなのだと。
 そして地球そのものの命を司るイドラは大地をも意の繼にし、土地を肥沃にし大地に眠る宝を人々の前に現出させる事も可能である。イドラの信徒と成った者はその土地に居るだけで多大なる富を得、不老長寿と成る。
 尚、その本にはイドラのスペルも書かれていた。Yidhraと成っていた。
 「何か良い事ばかりだな」宗次が云うと麻績子は首を振って「でも何か有りそうなのよね。富を得た者の内、出家した者は最後迄裕福な繼、而も不老長寿を得る。一方、家族の元に留まった者は没落し普通に年老いて死んでいる、結局、全身全霊でイドラに仕える必要が有るのかも知れないわね」と云う。
 その時、一冊の本が藤助の眼に留まった。「霧の中の豚人間」と云う書名で中は謄写版印刷の様だったが、発行元は出版社名に成っており、住所はこの界隈だった。戦後間もない頃の発行だった。
 「噫、そいつぁ、隣に在った本屋が出してたんだよ。色んな本を出していてね、何せこんな所じゃ、売れる本も限られてるからね。店仕舞した時に引き取ったんだよ。問屋から流れて来る本は返しゃ良いが、自分とこが出したもンだからね」中を見ると日記の体裁で書かれていた。ぱらぱらと捲っていて、ふと、藤助は、似た話をアメリカの話として読んだ事が在ると想った。だが、この本はその話をこの地元に置き換えて語られていた。翻案なのだな、と藤助は想った。すると老婆は「それは葉原(はばら)さん家(ち)の話だよ」と云う。え?と藤助が驚くと、藤助たちが泊まっている家の上、山の頂、詰まりこの連山で最も高い場所に建てられた家の話で、戦前からその辺りは奇妙な話が絶えぬ場所なのだと云う。人の身体に豚の頭で鋤や鍬や熊手などを手にした者を目撃した者の話も昔…鉱山が開発される前、畑しかなかった頃…から有って、軈、鉱山が開発されて葉原と云う支社長の一家の住む家が建てられる事に成り、大工たちの中にも目撃者は居たと云われているが、支社長とその家族は意に介さなかった。科学の世に迷信など入り込む余地はない、と云うのが信条だったのだ。
 その支社長の家族も、支社長本人も結局は目撃する事に成った。家から覗く窓の外に明らかに周囲とは異なる風景が、具体的にどの様なものか判らぬが植物相や動物相から見てこの世のものではないと支社長本人が日記に書き譜(しる)した光景が拡がり、そこを豚人間たちが歩いているのだ。併し、支社長とその家族は、これは科学的な現象であるとして、解明しようとした。支社長だった葉原氏は一線を退いた後もそこに住み続け、次の支社長は、一層(もっと)下の町中に住居を構えた。
 葉原氏に今日で云う痴呆症の気配が見え始めた或る日、霧が妙に濃かった日、本人は家の中で不意に行方不明と成り、それきり消息は判らぬと云う。ドアも窓も全て内側から錠が下ろされた繼だったとの事で全ては戦前の出来事だった。尚、此処で云われている霧とは、実は低く垂れ込めた雲であると云い、この連山名物として写真家なども時折り訪れると云うが、渠らの中に異世界や豚人間を目撃したと云う者は居なかった。
 その本は、戦後も家に住み続けた葉原氏の孫が譜したものだと云う。係累も居らず、一人で住み続けていたのだが、或る日、税金の督促に顯われた納税事務所の担当者が、空き家に成っているのを発見した。ドアには鍵が掛けられておらず家財道具も揃っていて、ベッドのシーツは乱れた繼で、野菜類は完全に萎びきっており、玄関前の敷石には埃が積もっていたそうだ。その家の在る辺りは葉原氏本人の土地で、支社長だった葉原氏本人が借地ではなく買い取りたいと当時の地主と交渉して得たものだと云うが、今も相続人不明の繼、空き家の状態で残っていると云う。渠の姿を最後に見たのは本屋で、原稿の校正を返しに来た時だった。そして出版し、指定の郵便口座に振り込んだのだが、その後、渠が訪ねて来る事もなく、再版などもされぬ為、本屋から連絡を取ろうともせず、納税事務所の担当者が渠の不在を発見して役所と警察が乗り出して来て漸くに、噫、そう云えばこの処見掛けなかったねえ、と云う話に成ったのだそうだ。
 「そう云えば、慧天寺(けいてんじ)の連中は最初からあそこは良くない処だと云ってたらしいねえ」と老婆は説明を続ける。ちなみに慧天寺と云うのが《イドラ講》の連中が居座っている寺の事だ。その《イドラ講》は、麻績子の話では、毎日寺から出てこの連山の要の場所で大地に良い炁(き)を送る儀式をしているのだそうだ。その場所が、孝一がみなを誘導しようとした先だったのだと云う。
 「そう云えば、何であの寺、無人なんです?」と藤助が問うと、無人に成ったのは、つい二十年前の事だと云う。寺の本堂に落雷が有った。いや、落雷なのかどうかは判らなかった。隕石が落ちたと云う者も居れば、いやダイナマイトの爆発だと云う者も居た。併し本堂には何の異常も見付からなかった。別に焼け落ちたり、と云う事もなかった。而もその時、本堂で経を唱えていた管主は何も感じなかったと云うのだ。慌てて駆け付けた人々の前で管主を始め山務員たる僧侶たちは普段と何も変わらず、寧ろ人々の反応を怪訝に感じている様子だった。だが、異変はその翌日から起きて行った。寺務所に居た経理担当と執事担当の上人二人が行方不明に成ってしまったのだ。その翌日は本堂の掃除をしていた筈のまだ若く上人に成っておらぬ山務員の僧侶が姿を消した。その翌日も…。 誰かが姿を消すのは決まって本堂か、そこから廊下で繋げられた寺務所の中でだった。
 慧天寺は最寄駅としては此処の隣駅だが、明治の終わりに建てられた本堂は、今は廃坑と成っている連山の奥、廃線と成った鉄道の終着駅正面の山に面しており、詰まりは鉱山を臨む場所に位置している寺だった。その鉱山が無人と成り、そこを臨む寺も無人と成った。最後の頃は下の方の寺から応援に来ていた僧侶たちも居り、渠らの中にも本堂か寺務所で行方不明に成る者が居たと云う。裏手の、こちら側に面した側で最初に建てられたと云う古い本堂と鐘突き堂、それに昭和に入ってから建てられた宿坊の辺りには何の異常も見られぬ様だったが、結局、みな気味悪がって慧天寺に行きたがらなく成り、何より管主と山務員の成り手が居らぬのだった。今や慧天寺は誰も近付かぬ寺だった。《イドラ講》の連中以外は。もっとも、その《イドラ講》の連中にしても本堂と寺務所の側には絶対に近寄らぬらしいと老婆は語った。何で《イドラ講》の連中の動向が判るのかと問われて老婆はヒ、ヒ、ヒ、と笑うと《イドラ講》の下っ端共が時々此処に来るのさ、と云う。漫画や性風俗方面の本も僅かながら置かれていて、それを買って行く者も居るらしい。
 藤助が此処には他にどんなお客さんが来ているのか訊ねると、老婆は麻績子を指して「《イドラ講》の連中以外だったら、そちらのお嬢さんが何ヶ月ぶりかのお客かの」と云う。それでも藤助は喰い下がって他には誰も来なかったのかと問うたが、此処数ヶ月では他には藤助くらいのものだと云う。「もっとも、あんたは店の客じゃなかったね」と云って老婆はヒ、ヒ、ヒ、と笑った。だが、それで充分だった。藤助にとって、それは最後の確認だった。孝一が此処には来ておらぬ事の。
 轂に戻った処で、麻績子は乗らずに煙草に火を点けると呟くが如くに「もし《イドラ講》の連中に追われたら本堂の方に逃げれば良いかも知れないわね」と云う。「そんなに危険な連中なのかよ」と宗次が問うと「カルト全部が危険な訳ではないわ。家人が財産を全て寄贈してしまい家族が路頭に迷うケースも、カルトには多かれ少なかれ付いて廻る。でも、《イドラ講》はそれだけじゃない。信者の行方不明が多いの。出家した信者が家族や友人に姿を見せなくなるだけではないわ。本当に一人で何処かに行ってしまうらしいの。信者たちですら姿を見なく成るのよ。修行の為と云う事らしいのだけど」と煙草を吹かしながら云う。
 「でも、それだけで危険と云うのは…」と後部座席のドアを開けながら藤助が云うと、麻績子は「嘉村君の事はどう想う?」と行き成り返して来た。藤助には直ぐには答えられぬ。
 「俺たちを勧誘する気だったって事ですか?」と宗次が云うと、麻績子はぷはぁっ、と煙を吐いて肯定した。そして穏当な手段に依らずの積りだったのだろうと答えた。「それでなければ、信者の皆さんが待ち受けている場所にわたしたちを誘導しようとはしないでしょう」途端に藤助の足元で、にゃあ、と云う声がして慌て視線を下げた藤助は、そこに先程の茶色の貓が居るのを見付けた。「お前、付いて来たのか?」すると振り向いた麻績子が「あら、貴方も同意してくれてるの?」と云いながら喫煙殻(すいがら)を携帯灰皿に押し込んで助手席に潜り込む。後ろから「あれ?」と云う藤助の声と共に、にゃあ、と云う声が聞こえて来る。「そいつ、一緒に来る積りなのか?」宗次が云うと「まあ、良いじゃない」と麻績子が云う。あの家、貓を入れても良いのだろうか、と藤助が逡巡している間に宗次は轂を発進(スタート)させていた。
 三人は轂を一旦家の前に停めると六合廷神社へ歩いて向かった。此処からだと五百メートルくらい坂道を降り、そこから隣の山へ向かって山道を上がって行くのだが道が狭過ぎるのだ。S字クランクの要領で蜿々(えんえん)上り続けなければ成らず、擦れ違いなどは先ず以って不可能で、タイヤを一つでも落としたら転落しかねぬ道なのだ。「俺、絶対転落する!自信有る!」と最初に来た日に宗次は主張していた。藤助にした処で嘗て恋人ではあったが今は恋敵候補である男に命を預ける積りはなかった。もっとも慎重居士の宗次が絶対に運転せぬ事は判っていた。調子こそ良いものの、宗次は石橋を叩いて叩いて叩き壊してしまう男なのだ。歩いていても赫信号で必ず止まるどころか、綠が点滅していても止まる男だった。小学校の時、地元の警察が募集した交通安全の標語で入賞し、今でも自慢げにその時の標語「あかしんごう、わたってみたら、あの世だった」を口にする男だった。
 ちなみに貓は轂の外へ出ると、此処で良いぞと云わんばかりに何処かへ行ってしまった。
 辿り着いた神社には、昨日のスーツ姿の男性たちの他に白い仮衣に青黒い袴の壮年の男性が居た。その男性は同じ県内の六合廷社の権宮司だと云う。麻績子は轂の中でも読み、この神社へ来る道々読んでいた「素芭酉苦楼楼大神信仰」片手に此処に禩られている神について訊ねてみた。すると荒神らしいとの答だった。町を滅ぼしてしまうかも知れぬ程の荒ぶる神なので母神の素芭酉苦楼楼大神様のお力で以って抑えんとして両神揃えて奉っているのだと云う。ちなみに本には素芭酉苦楼楼大神は、英語圏ではSfatlicllp(スファトリクルルプ)であると書かれていたが、その権宮司もそのスペルは知っていて、六合廷様についてもKnigathin Zhaum(クニガティン・ザウム)と云うスペルが存在しているとも教えてくれ、更に召喚祝詞なるものが存在しているとも語った。「Sfatlicllp様を召喚するものなのですか?」と麻績子が問うと、その権宮司はKnigathin Zhaum様を召喚する際に抑えとしてSfatlicllp様も併(あわ)せて召喚するものだと語った。但し、その権宮司自身も試した事はないと云う。「本当に神様って、呼べるのかよ?」と宗次が口にすると、その権宮司は、嘗て戦国の世に召喚祝詞を聞き出して行った者や時には実力で、最悪、社に焱(ほのお)を掛け神職の者たちを皆殺しにして持ち出して行った者も居ると語った。只、実際に召喚に及んだ、或いは召喚に成功したと想われる例は少なく、判然(はっきり)している例は一件だけで、幾つかの六合廷神社にその記録が遺されているのだと云う。尾張六合廷大社の禰宜が社の再建と引き換えに教えたとされ、教えられたのは織田信長、併(しか)して実践したのは蝶の比売と呼ばれる斉藤道三の娘で、場所は桶狭間であったと云う。
 だが、社の再建は果たされなかった。この時、再び件の禰宜の前に顯れた信長は眼に見えて動転しており、禰宜の前で召喚祝詞の書かれた紙を破り捨てると、こんなものを召喚(よ)び出すなど、二度と有っては成らぬと叫んで斬り掛かって来たと云う。併しその時の信長の剣筋は闇雲に振り廻す狂人のものでしかなく、六合廷流剣術の遣い手である禰宜は易々と逃げおおせたのだそうだ。實を云えば、禰宜は桶狭間の顛末を術に依り既に知り果(おお)せていたと云う。召喚(よ)び出されたKnigathin Zhaumが想いの繼暴れ廻った跡は猖獗を極め、その様(さま)を目(ま)の当たりにした蝶の比売は正気を失い座敷労に幽閉され、以後、死ぬ迄正気には戻らず見る物、聞く物、感じる物、この世の全ての物に対して嘲笑(わら)い続けていたと云う。そして信長は、神仏とは、只、禩られるだけのものであって召喚(よ)び出されて良いものではない、として、以後、神仏召喚の権能(ちから)を持ち得ていそうな寺社への排撃を行って行ったと云う。
 権宮司の話に藤助も麻績子も言葉がなかった。宗次だけが「ウソだろ…」と力なく呟いたきりだった。麻績子は素芭酉苦楼楼大神のお守りを買うとシャツの胸ポケットに差し込んでいた定期入れの中に挟み込んだ。帰り道、宗次だけが「俺は信じないぞ、信じないぞ…」と、囁き声の如きか細さで呟き続けていた。
 家に戻るともう一台轂が停まっていて、玄関の前に一人の女性が立っていた。小柄で丸顔の可愛いらしい女性だった。「嘉村孝一さんと云う方が、麓で轂に撥ねられて病院に運ばれました。お知り合いの方々がこちらに居られると云うのでお知らせに上がりました」と云う。女性は病院で事務をしている伊藤と云う者だと名乗った。彼女の轂に先導される形で三人の轂も山を降り始めた。だが、ふと麻績子が「変ね、この先に本当に病院なんか有るのかしら」と口にする。この繼行ったら慧天寺に行ってしまうと云うのだ。だが宗次は「なあに、イザと成ったら逃げりゃいいさ」と云い、そのハンドル捌きには一片の躊躇も見られなかった。藤助には宗次の考えが判る様な気がしていた。宗次は孝一の事だけを気にしているのに違いない。突然、藤助に宗次を信用出来ぬかも知れぬと云う気持ちが湧いた。宗次は孝一の為なら、自分たちを《イドラ講》に売るかも知れぬ。
 正面にコンクリートの建物が見えて来た。あれが病院か?だが、その向こうに鐘突き堂も見えて来る。轂は矢張り慧天寺に向かっていたのだ。併し、宗次は停まる気配がない。
 「止めなさい!」麻績子が云うが宗次はアクセルを踏み続ける。咄嗟の判断で麻績子が足を延ばしブレーキを踏む。だが、遅かった。轂の後ろの方には老若男女の人の浪(なみ)が出来ていた。
 「万事休すね、退路を断たれたわ」諦めたが如くに呟いて麻績子は外へ出ると煙草を咥えて焱(ひ)を点けた。藤助と宗次も外に出る。途端に宗次は前方へ走り出した。そこには孝一が居た。「孝一、朝、云われた通りにやったぜ、これで良(い)いんだな!」すると孝一は「能くやってくれました」と云って渠を抱き寄せる。矢張り宗次は孝一の為に藤助と麻績子を売っていたのだ。今想えば、宗次は朝食後に外に出た時に、そこで待ち構えていた孝一と会っていたのだろう。昨夜、下に降りずにノートを見ていた宗次は明らかに様子が可惜(おかし)く、そこには孝一が宗次に裏切りを唆すメッセージでも、翌朝会いに出て来る様に促すメッセージでも、書かれていたに違いない、慎重居士の宗次は中々決断出来ずにそれを眺めていたのだろうと、藤助は今にして漸く想い当たったが、全ては遅きに失していた。
 伊藤と名乗った女性は轂から降りて来ると、「皆さん、夫々優れた個性をお持ちの方と伺っております。Yidhra様の信者に相応しき方々として歓迎致しますわ。共にYidhra様を奉りましょう」と云う。
 「孝一、やっぱりお前…」藤助はそれ以上、言葉を邐(つづ)けられなかった。麻績子が後を引き取る。「貴男、《イドラ講》の一員だったのね。それも中心的な人物、万一(ひょっと)したらこの集団の教祖なんじゃなくて」
 「どうやら見破られた様ですね」孝一は笑いもせず無表情に云う。顔こそ若く肌には艶も張りも見えはするものの、その全身には老成した雰囲気が纏わり付いていた。麻績子は続ける。「《イドラ講》を創始したのは日露戦争の頃、嘉村と云う学生だったと云うわ。最初はもしかして貴男はその末裔か親戚筋とも想った。でも違った様ね。創始者の嘉村と云うのは貴男ね」え?藤助の思考は麻績子の語る内容に追い付いていなかった。
 「こっちよ!」行き成りそう云って麻績子が煙草を投げ捨てるや走り出した。己の思考を置き去りにしていた藤助は、云われるが繼に慌てて従う。二人は伊藤と云う女性のすぐ横を抜けて正面に走った。瞬間、伊藤と云う女性の身体に牴(ふ)れた藤助は、ぎくりと全身を強張らせた。何だ、これは?人の身体の感触ではなかった。一層(もっと)、生の肉か何かに牴れた感触だった。併し足が止まらなかったのは、その感触がもたらした恐怖のせいだった。「な、何だ、こいつは!」前方を走る麻績子が振り返らずに答える。「伊土羅よ、あいつはYidhra、伊土羅そのものなのよ」
 正面の宿坊方向には信者は少なかった。そして、その信者たちも咄嗟にどうして良いか判らず右往左往している。その間を縫うが如くに二人は裏へ向かった。追って来ようとする者も居たが、後方でYidhraの静止する声が聞こえていた。
 
 話の通りだとすると本堂は二十年以上誰も立ち入っておらぬ筈で、実際、中にも埃がうっすらと床に積もっている。不意に背後から、にゃあ、と呼び掛けられ振り向くとあの茶色の貓がそこに居た。何時の間に来たんだ?その貓は本堂の奥を何やら警戒している様子で、良く見れば巨大な天道上人の像の後ろに何やら光が見えている。そちらに近付いて像の後ろに廻ると奇妙なものが有った。宙に浮かぶ巨大な水晶球の如き物体だ。透明だが光の如きものが取り巻いている。〈Yekub(イェクゥブ)人たちの神だ〉不意にそんな考えが藤助の頭に浮かんだ。何だ?僕の考えじゃないぞ。
 その時、麻績子が慌てた様子で後退した。「光が先刻より強いわ。危険かも知れない!」二人は慌てて本堂を飛び出した。
 〈ヤツは帰ろうとしているだけだ。故郷宇宙で一気に力を奮い過ぎた為、時空が振動し此処に飛ばされて来たので、もう一度故郷宇宙へ時空を繋げ様としているのだが、接続が上手く行かず、その際の歪みに巻き込まれた人間が他の宇宙に飛ばされるなり、時空の歪みに押し潰されて消滅するなりしていただけだ〉又だ!テレパシーだな、一体、何者だ?だが、それ以上考えている時間はなかった。「こっちよ!」麻績子に云われて見るとあの茶色の貓が、まるでついて来いと云わんばかりにこちらを振り向いてから走り出す。真逆(まさか)、あの貓なのか?テレパシーの主は?
 二人はYidhraの信者たちの眼を掻い潜って何とか家迄戻って来る事が出来た。だが、此処は知られている。見廻すとあの茶色の貓は何処にも居らず、謎のテレパシーも来る気配はなかった。
 「六合廷神社に行ってみましょうか」と藤助は提案してみた。召喚祝詞で荒ぶる神を召喚(よ)べれば、と云う一縷の望みで口にしたのだが、麻績子は「Yidhraを遠ざける事が出来ても、わたしたちが命を落とす可能性が有るわ」と云う。そして下の方を見下ろして「どちらにせよ、行くのはムリね。降りられなく成ったわ」と云う。轂が何台か連なって上って来るのが藤助にも見えた。うち一台は伊藤を名乗っていたYidhraが運転していた轂だ。二人は已む無く道を上がって行った。幸か不幸か少し上がれば轂では行き来不可能な程の細い道に成る。併しその先は五分も歩けば行き止まりだ。葉原氏が建てた巨大な洋館が在るだけだ。その門の手前で振り返るとYidhraの信者どもが、雑路々々(ぞろぞろ)と歩いて来る処だった。渠らの様(さま)は、まるで意思のないゾンビの群の如き態で、その不気味さ異様さに想わず押される様にして二人は門の内側に入った。するとYidhraの信者どもの動きが停止した。何故かは判らぬ。併し二人は門から外を見て、呀(あ)っ!と声を上げた。門の外に熊手(フォーク)を手にした豚人間が二体、立っているのだ。何時から居たのだろう。門の外に居た時には見えず、門の内側に入って見る事が出来た。そしてYidhraの信者どもには見えている様子で、渠らの注意は藤助たちにではなく豚人間に向けられていた。
 〈此処は次元の断層に当たる場所の一つで、幾つもの世界が重なっておる。Yekub人たちの神が近くに落下したのも、それが原因だ〉又、あの思考が響く。にゃあ、と云う声に下を向くと又してもあの茶色の貓が居た。
 「やっぱり、先刻からのテレパシーは貴方だったのね」不意に麻績子が云う。あのテレパシーは麻績子にも向けられていたのだ。
 〈藤助とやら、お前だけ特別でなくて残念だったな〉テレパシーで嘲笑(わら)われて藤助は赫く成った。
 〈処で人間どもよ。吾が輩はUlthar(ウルタール)の貓である。名前はまだない〉Ulthar?藤助が首を捻(ひね)っていると〈この世界の人間の場合は、肉体から脱け出した魂だけが行く事が出来る世界だ。但し大抵の場合、こちらの世界での事は忘却し新たな人間と成ってしまうがな。吾が輩、うっかり次元の断層に引っかかってこちらに来てしまったのだ〉
 Yidhraの信者どもが諦めたかの如く引き上げ始める。Yidhraも異世界人相手に何かを仕掛けようと云う気は起こさぬらしい。すると異世界人である豚人間たちが、今度は藤助たちの方に向き直った。真逆、ヤツらはこちらに接触出来るのか?藤助は慌てて後退した。見ると麻績子も下がっている。〈お前たちに認識、観察が出来ている以上、ヤツらはお前たちを浚う事も殺す事も料理して喰らう事も出来る〉豚人間たちは近付いて来る。
 咄嗟に藤助は洋館のドアに飛び付いた。ドアは簡単に開いた。施錠されてはおらなかったのだ。〈咾(いかん)!已めろ!〉制止せんとする貓の思考を尻目に藤助は中へ飛び込んだ。麻績子も続く。貓はついて来なかった。
 玄関の直ぐ先は客間だった。客間の窓から外を見ると熊手を手にした豚人間たちが家を包囲していた。倂し入らんとする様子はなかった。
 「何故、入って来ようとしないの?」麻績子が不安げに呟く。「まるで何かを怖れて遠巻きにしているみたいだわ」「待ってくれ、じゃあ、此処にも何か居るってのか?」 幸い玄関近くのトイレや洗面所、それに客間には何物も潜んでいる様子はなく、藤助たちは暫くそこで凝っとしていた。時折り、壁の外から、がっつんばっつんと音がしており、豚人間たちが家を突っつき廻していると知れた。だが、物音は主に北と西の方からで東と南からは、何も音がしていなかった。そちらに何が有るのだろう?或いは本当に何物かが潜んでいるのだろうか。
 数時間が過ぎた。暗く成って来たので壁際のスイッチを入れると電気は来ているらしく灯りが点いた。麻績子は何本目かの煙草を喫煙(す)っていた。麻績子が腰のポーチから取り出したラジオでは、天皇皇后両陛下の最後の一般参賀は異例の七回目が行われたとアナウンサーが報じていた。例年なら五回の処、参賀に訪れた人々の数が多く、六回目の参賀が決定し、処がそれでも人の数が多く六回目に間に合わなかった人々が居た為、両陛下からのご提案で七回目の参賀が行われたのだとか。それが終わると、タレントが各地の初詣風景や地方毎の雑煮について語り出した。当たり障りのない話ばかりが続き、麻績子はラジオを止めてポーチに戻した。それから暫し沈黙が邐(つづ)いた。遂に辛抱出来なく成った藤助は南側を探検しようと云い出した。何が出て来た処でこれ以上悪くは成らぬだろうと云うのが、藤助の云い分で、麻績子も同意すると咥えていた煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
 客間を出ると階段が在り、その横を真っ直ぐ進んで正面の大きな扉を開き、藤助は想わず踏鞴(たたら)を踏んだ。そこは舞踏室か何かの様で室内は暗かった、いや、明るかった。黑みの有る赤紫色に。
 隅にはどうやら本当は白色と思しきグランドピアノが見えている。そして正面の天井近くには、ぼんやりと青く輝く輪の如きものが浮かび上がりその中から何かが覗いて見えていた。何かの先端…鼻?不意にそれが迫り出して来てその先が見えた!豚だ?それも巨大な豚の鼻面!
 「阿島君、奇抜社(きばつしゃ)の「怪奇な動物たち」の中に有った「幽霊発見人と魔界から来た邪豚」を憶えてる?」と麻績子に云われて藤助も想い出した。七面堂九斎(しちめんどう・きゅうさい)と云う変格探偵小説の書き手が牧逸馬の向こうを張って書いたもので、同じノンフィクションの体裁で有りながら、牧逸馬が固有名詞も海外の繼であるのに対しこちらは全て日本名に置き換わっている。例えばネス湖のネッシーは阿寒湖のアッシーに成っていて、後に屈斜路湖のクッシー騒ぎが起きた時、この作品を知る者の間では、この作品を元に誰かが捏造(でっち)上げたのではないかとの話が流れたそうだ。その中に幽霊発見人と称する夏阿夏来(かあ・なつき)と云う男を語り手とするものが幾つか有り、その中に語り手が魔界から出現した悪魔の豚『邪豚(やとん)』に遭遇する話が有ったのだ。併しあれは流石に只のフィクションだろうと藤助は、今の今迄想っていたのだ。
 「こいつが邪豚…なんですか…?」豚の爛々と輝く眼に危険なものを感じながらも魅入られたが如くに只の巨大な、それでいて剣呑な雰囲気を漂わせる豚の頭を藤助が見ていると中華の宴会料理の中心に居そうな頭がくわっと口を開いた。不意に巨大な豚の顔が飛び出して来る。「邪豚が・・・」だが藤助はそこで口籠った。邪豚じゃない!豚の頭の直ぐ後ろには蛇の肢体が邐(つづ)いていた。「出た方が良いわ!」と云って麻績子が身を翻す。二人は豚蛇から逃れるが如くに扉を閉めて階段の所へ出ていた。
 取り敢えず二階に上がり扉を開けると三つドアが並んでいたが、二人の足はそこで止まった。正面中央のドアが開かれて中が丸見えだったのだその部屋は下の豚の頭が突き出していた部屋程に広々としておりホールの如き造りに成っていて、奥に小さいながらも舞台らしきものが設(しつら)えてあった。その室内に奇妙な、明らかに生き物の如く見えるものどもが居た。それもどうやら二種類。
部屋の右側の方に居た透明な菱形のビニールとも見えるものが風に儛(ま)うが如く閃々(ひらひら)と宙に蠢いている。倂し此処には風はない。いや、僅かに空気の戦(そよ)ぎは感じられる。だがそれは、あの閃々としたものどもが動き廻る事で室内の空気が攪拌されているからだ。「こいつらを『微(そよ)風』とでも呼びましょうか」藤助が云うと「英語でZefer、Zephyros(ゼフィロス)を語源とする言葉ね、だったら生きて動いているみたいだから、Zephyrosで良いんじゃない」と麻績子が云った処で、今度は部屋の左側の方に居たもう一種類のものどもが出て来た。人間のシルエットを細(ほそ)く戯画化した様な感じで、そいつらが接近して来ると薔薇の如き臭いがして来た。「薔薇の臭いで人間ぽいから、Rosa(ローサ)とでも呼びましょうか」その中から一体だけ、ユラユラとユラめくが如きRosaが居て、藤助はそいつをユラRosaと名付けた。ユラRosaは、ふわりと浮き上がると舞台の上に飛び乗った。
舞台の上でユラRosaが廻り々々(くるりくるり)と回転すると、そこから礫の如きものが放出され二人を襲う。「何だ。これ?」「蠔(かき)だわ!」確かにそれは殻に入った蠔だった。併し只の蠔ではなかった。一つが藤助の手の甲に貼り付いた。途端に痛みが走り、藤助は慌ててその蠔を払い落とした。「こいつ嚙みます!」「吸血蠔かも知れないわね」麻績子はそう云いながら手や足で己に向かって飛んで来る蠔を全て弾き飛ばしていた。そうする内に何を間違ったか弾かれた蠔の一つが仲間の蠔に噛み付いた。何かが割れる音が、恐らく噛み付かれた蠔の殻が割れる音がして、ユラRosaが僅かに蹌踉(よろ)めいた。「そうか!この蠔、ユラRosaの一部か分身なんだわ!」一見、ユラRosaが舞台の上から蠔を撒いているが如き様子だが、實は己の触手を伸ばしているのやも知れなかった。
不意にユラRosaの前に一際大きな、人一人丸呑みに出来るくらいの大きさの蠔が出現し、二人に向かってぱっくりと口を開けた。
「まずいわ!」叫んで麻績子が走り出し藤助も後を追う。だが、そちらを遮るかの如くZephyrosどもが割り込んで来る。二人は閃々と宙に蠢く透明生物たちのど真ん中に飛び込んでしまった。振り向くと巨大な蠔は、Zephyrosどもの手前で動きを止めていた。まるで後はZephyrosどもに任せたと云わんばかりに。
そのZephyrosどもは、二人の接近に反応したのか閃々とした緩慢な動きが蜂鳥の羽搏(はばた)きの如き急激なものへと変化していた。瞬時にして突風とも暴風とも云える空気の奔流が二人を襲い押し流す。「Zephyrosじゃないわね」「とんだBoreas(ボレアース)ですね」二人がそんな事を云っていられるのも、廊下へ放り出され結果として当面の危機から離れる事が出来たからだった。
立ち上がりながら様子を伺っていると、Zephyrosどもも、ユラRosaも、部屋の外へ追って来る様子はなかった。「万一(ひょっと)して、僕らを追い払いたいだけだったのでしょうか?」「そうかも知れないけど、油断は禁物よ」
だが、二人はそれ以上、そちらに注意を向けてはいられなかった。東側の廊下の端には、先刻見た時には何もなかったのに、今は何かが見えていた。而もそれは動いていた。丸く大きな物体で、何処となく人の顔の如き形をしている。もっと云ってしまうと、ムンクの『叫び』に見える人の顔の如き形状だった。不意にそいつの口、果たして本当に口なのかどうかは判らぬが、それが開いた。Mの字を想わせる形に。
「Mahaaaa!!!」口が開いたのを見た瞬間その場に伏せた二人の頭上を正に『叫び』が通り越して行く。Zephyrosどもも、Rosaどもも、部屋の奥へと後退して行く。廊下や部屋のドアには異常は見られぬ。だが、二人を凄まじい疲労感が、それも精神的な疲労感が襲っていた。
「まずい、この階に居ない方が良いわ」「あいつ一体何でしょう?」「何かしらね」二人は階段迄後退した。屋根裏部屋、と云うより麤三階なのだが、そこへ上がる選択も有ったが麻績子が反対した。「上にも何か居たら、あのMahaaaaと云う『叫び』と挟み撃ちに成るわ。それより、この家から出ましょう」「判りました。でもMahaaaaと云う『叫び』は長いから、絶叫とか・・・」正にあれは絶叫、絶恐、絶狂だなと想いながら藤助が云うと、「だったら『Ma』で良いわ」
二人が階段を降り始めた時だった。東側で拍子木を打ち合わせた如き硬い音が響き渡る。かあぁん、かあぁん、かあぁん・・・反射的に顔を上げた藤助の眼に映ったMaは、併し動きを止め、先程は『叫び』の形に開いていた口も閉じられていた。何より、音は東側の天井の上からしていた。而も音は少しずつこちらの方へ移動して来ている。
「何か来るわ!」麻績子が叫んだ直後、何かが二人の前に、つい先程二人の居た所に落ちて来た。MaかRosaかZephyrosどもの仲間かと想ったが違った。樹の如き何物かだった。而も二つ。いや、二つではない。一つだ、と藤助は気付いた。良く見れば樹の如き何物か、まるで漢字の『木』を動物にしたかの様な形状の何物かが、横に二つ繋がった形状なのだ。『木』ではなく『林』だ、と藤助は想った。併しこれは正面なのか背後なのか、一体その『林』は藤助たちに向いているのかMaに対して向いているのか。 
「後ろ!」麻績子の声に振り向くと、階段の後ろ側、手擦りの向こうの回廊にもう一体『林』が出現していた。その時、藤助は前後の『林』の間が細い触手の如きもので繋がれているのに気が付いた。その触手が震え出すと振動で見えなく成って来る。不意に藤助は眩暈を覚えてその場にへたり込んだ。「振動のせいよ!」見ると麻績子も片膝を突いている。恐らく二体の『林』の間に張られた弦の如き触手が発する超高周波、或いは超低周波が、脳か三半規管に影響を及ぼしているのだと藤助も気付いていた。二人は転がり落ちぬ様、注意しながら階段を降り始めた。幸い少し降りた所で眩暈は治まって来た。
「あいつらの射程範囲から逸れたみたいですね」藤助が云うと「あの『林』みたいなの、併(あわ)せて一体なんじゃないかしら」「じゃあ、二ツ林とでも呼びましょうか」「向かい合った様な形だから、向(むか)イ林(ばやし)で良いんじゃない」
そんな話をしながら階段を降りる二人の頭上を今度は再び『叫び』が通り過ぎて行き、二人に疲労感が益々強くのし掛かる。それでも二人は何とか降りきった。
併し今度は上の方からびょおおおん、びょおおおん、びょひょびょひょおおん、と云う音がし始める。上の南側の方からだった。屋根裏部屋の南にも、矢張り何か居たのかと藤助が想う間もなく、何かが真上から落ちて来る。咄嗟に藤助は横へ飛んだ。既に麻績子が横へ飛んだ後だった。
ずぼりっ、と今し方二人が立っていた所に橙色の丸い物体が落ちて来た。「アンズ?」「まるでアンズみたいね」だが、それが本物のアンズでない証拠に下に大量にびっしりと生えている偽足を使って二人の方に這い寄って来るのだ。第一、アンズにしては巨大過ぎる。人よりも大きいくらいだ。
「肉食かしらね。『這い寄るアンズ』とでも云う処ね」不意に『這い寄るアンズ』の上部から頭足類の如き触手が数本延びて二人に向かって来る。床に転がるが如くに伏せた二人の頭上を何かが走った。触手の先端から何かが発射されたらしかった。東側のドアに命中し、ドアが吹き飛んだ。同時にその中から何か獣の如き存在が飛び出して来た。
「翼有る虎?いや、顔は日本猿の様な・・・」「鵺ね。もしかしたら源頼政は本当にこいつの同族に遭遇していたのかも知れないわね」
鵺の前足が行き成り鞭の如く延びる。麻績子を狙った様だったが、麻績子は何とか交わしていた。「これ本当に鵺なんですか?鵺にこんな能力が有るなんて聞いた事有りませんよ!」だが、そんな事を云っている場合ではなかった。鵺の背中の翼が不意に拡がり、藤助は進取的に伏せた。その背で、鵺が飛翔し玄関の扉を叩き壊して外へ飛び出して行く気配と派手な物音がし、それから静かに成った。
藤助が身を起こすと麻績子の姿が何処にも見えなかった。麻績子が鵺に浚われてしまった!
                         (第一回 終わり)