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男だけの青い春


私はステレオタイプを蔑視するステレオタイプです。

だからこのご時世に男だけとか、女だけとか、言ってしまうのを許してください。



……ここまで書いて、私はいったい何に謝っているのだろうと思ってしまいました。

でも今男女平等・人権意識という風潮の下、「女であることを活用せよ」とか誰も言えない。
男性は「私達のことをわかってくれない異性」として、女性は「同性で事情はわかるはずなのに風潮に逆らうことに自尊心を感じている奇人」として批判されるからです。


私は女性であり、同性の権利をより良くすることは非常に大切だと思っているし、仕事や電車の中で、女性の不憫や視線を投げかけられること、見た目で異性の態度が変わること、痴漢、TVショーでの男性によるやりとり、アダルトビデオなどで拷問のようなシーンが多数見られることは不快です。
「Thank God you're a men」という言葉とともにTPOに合わせて繊細に適合しなくてはいけない女性の窮屈さを感じる時もあります。
(参照: http://theinspirationroom.com/daily/2009/goldstar-thank-god-youre-a-man/)
性役割という言葉は嫌いです。

その人の得意なことが活かせる場所が提供されること・多様な意見を取り入れることは効率的に社会を向上させるためにも目に見えて重要であり、実力は認められるべきだからです。


でも。
どうしよもない性差というのがある。

例えば、体力の差。性器の凹凸。

(そもそも私はこの性器の凹凸も性別による性格の違いを形成してるのではないかと考えてもいます。)


ここで大好きな仏日比較研究家ulala france (@ulala_go)さんのツイートを思い出すのです。

「日本は逆に言えば女性らしくいられる国である。」

(参照のツイートが見当たりませんでした…)


あー、なるほどなぁ…とおもったんです。
日本の女性は日常からオシャレだというようなことも聞いたことがあります。
そう、女性らしくいられる。逆手に取れば、女性だから雇ってもらいやすい職種や少しでも目立つことをすれば崇められやすいケースもある。

去年フランスの高校生の臨時教師みたいなことを少しやっていたのですが、その時その子はホストファミリーを見ていて日本の専業主婦に否定的だった。当時、私はそれを見て「さすがフランス(西欧)だ。男女平等意識が進んでるんだなぁ…」と感心したものです。
しかし今前述のことをふまえると、「もし専業主婦をしていたら社会から冷たい目で見られることになる可能性があるのか」ということに気がついたのです。

責任や守るものが多い大人に代わって、
女子大生が今思うことを言います。

同じヒトが等しく扱われる社会をたゆまぬ努力で実現しましょう。

でも性差を配慮し続ける社会でもあり続けてほしい。

矛盾しているし、難しいことはわかってます。

でも矛盾だらけで曖昧なことばかりな日本ならそれが出来るはずです。

グローバル社会とはいえ、外野の「白黒はっきりさせろよ」という言葉だってたまには無視していいと思います。


私が今回これを思ったのは甲子園や高校野球に携わったことがきっかけです。

普通の男子高校生が野球をするということが第一戦からケーブルテレビが密着するなどここまで日本社会に浸透し、沢山の人を感動させられるのは何故なのだろうと思ったのです。

決勝戦を見て思いました。

女子高校生がスポーツを頑張ってもここまで集客できるのだろうか?


さらに、私の父が早死したのは前のnoteで書きました。

命日に合わせて父の元野球部の友人がお線香を上げに来て下さるんです。
父も私も非常に恵まれていますよね。

でも思いました。

私がもし早死したら私の部活の友人は七回忌まで線香を上げに家に来てくれるのだろうか?



そして悲しくなりました。

そこにはどうしようもない性差の溝が横たわっているのです。


そのもろさや悲しみを母に打ち明けると、「だから、、、。女は強いのよ。その次の世代でまた幸せや生きがいを得るのよ。」と夕焼けの中言っていました。かっこよかったです。

そうか、、、


でも、私はやっぱり悲しかった。
そして同時に「女性であることを逆手にとるべきだ」と気付きました。

これからも好きなメイクやファッションもしつつ、男女平等が叫ばれている故に、建前上企業が女性雇用を増やさなきゃいけない現代を自分の追い風と捉えてしまえ。と。

※今回の文章の意見は今後変わるかもしれないと思い、大学生の時に思ったことを書き留めておきました。将来(数年後)に自分のジェンダーの考え方を比較してみたいと思います。

※女子校育ちということもあり女性を主観的に論理的に捉えるのは長けている代わりに、客観的に情動的に捉えるのは慣れておらず、学生という身分上女性で困ったことが少ないことも考え方に影響を与えているであろうことは自負しています。


最後に。

他人を理解しようとするヒトは美しい。



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