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日本の名城

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日本各地の国宝や重用文化財の城や城址を掲載してます
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記事一覧

世界遺産の「姫路城」

姫路城は日本を代表する城で、国宝や世界遺産に選ばれています。現存12天守のひとつで、もっとも大きい現存天守です。黒田官兵衛が毛利攻めの拠点にするようにと羽柴秀吉に献上した城としても知られています。現在の天守は江戸時代に入ってから「西国将軍」と称された池田輝政によって建て直されたものです。 ■美しい日本の風景

世界遺産「元離宮二条城」

京都の二条城といえば、歴史の教科書でもおなじみの観光名所です。また世界遺産に登録されたことで、海外からも大勢の観光客が毎年訪れます。徳川将軍家ゆかりの城にふさわしく、城内には国宝や重要文化財クラスの建造物あるいは絵画などが数多く残り、見ごたえも抜群です。 ■東大手門 二条城の正門にあたり、現存の門は1662年頃の建築と考えられています。 ■唐門 二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。 ■二の丸御殿 東南から北西にかけて、遠侍

江戸城「皇居」

徳川家の居城として広く認知されており、徳川幕府の政治的拠点にもなっていた江戸城。別名・千代田城とも呼ばれています。大都市江戸と徳川将軍家の権力を象徴する唯一無二の建造物でしたが、築城後の度重なる火災によって、天守閣をはじめとする多くの建造物が焼失してしまいました。 ■皇居 皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋である。ただし正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられている。 ■皇居外苑 皇居外苑地区は、黒松の点在する大芝生広場

国宝の「犬山城」

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が、この地にあった砦を改修して築いた城です。現存12天守のひとつであり、さらに国宝5城のひとつでもあります。木曽川を押さえる、軍事上・経済上・交通上の重要拠点とされてきました。天守は全国の現存するもののなかでもっとも古いという説があります。 ■犬山橋からの天守 ■犬山城入り口 ■天守 ■天守閣からの展望 ■犬山城 城下街 犬山城下町は犬山城の創建に伴い、もともとあった町を整備して作られました。商人や職人の同業者を近くに住まわせて、

金のしゃちほこ「名古屋城」

慶長14年(1609)、徳川家康が天下統一の最後の布石として建てたのがこの名古屋城で、以来徳川御三家のひとつに数えられる尾張徳川家の居城とされてきた歴史を持っています。 ■正門 名古屋城の正門・旧榎多門です。本来の榎多門は明治24年の濃尾地震で大破したので、明治44年に旧江戸城の蓮池門が移築されて、その時に石垣も積み直されて現在の姿になったそうです。 ■名古屋城 西南隅櫓 未申隅櫓と呼ばれ、本丸の隅櫓は天守と同時期の慶長17年頃の完成とみられている。外観2重、内部3階建、

日本三名城「熊本城」

熊本城は、肥後国飽田郡熊本に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城」。 加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城だった。なお、写真は震災以前のものです。 ■天守閣 熊本城の天守閣の特徴は、四面に配した千鳥破風と最上階の南北につくられた唐破風と呼ばれる建築様式です。 ■東竹の丸 高石垣の上に建ち並ぶ櫓群は、往時の熊本城の姿を感じさせてくれます。平成28年熊本地震により、東十八間櫓・北十八間櫓・五間櫓・不開門は倒

国宝「松江城」

出雲・隠岐2カ国を所領した堀尾吉晴・忠氏によって、1607年より築城を開始した松江城。宍道湖を見下ろす見晴らしのよい丘に築かれ、完成まで4~5年の歳月がかかったそうです。松江城の見どころは、黒いボディがクールでカッコイイ四重五階の現存天守。また、松江城は2015年7月に「国宝」に指定されたばかりの話題のスポットでもあります! 城郭としては、じつに63年ぶり5城目となる指定となりました。 ■松江城の天守閣 天守の1階~5階には、狭間、隠し部屋、石落としなど戦うための装備が見ら

重要文化財の「松山城」

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めたお城です。門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われております。松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」

重要文化財の「高知城」

日本の現存12天守のひとつで、土佐藩初代藩主山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。4層6階の天守は、一豊の前任地である掛川城の天守を模したといわれています。ちなみに本丸内の本丸御殿がすべて残っているのは高知城だけです。 ■天守閣 現在残る天守は、一豊時代のものではない。享保12年城下の大火によって天守ほか多くの建築物が焼失。その2年後から普請を開始し、寛延元年、ほぼ同じ工法で再建されたものだ。高知城は、天守、書院、櫓、門など、完全に揃った形で現存しており、

会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」

難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。1384年葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。 ■鶴ヶ城天守閣からの風景 ◆飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ旅行記 ◆Adobe Stockで写真・動画を販売してます。 下記アドレスからご覧ください。

焼失前の世界遺産「首里城」

2019年10月31日午前2時40分ごろ、那覇市の世界遺産、首里城跡に建つ首里城正殿付近で煙が出ていると119番があった。沖縄県警や消防によると、木造3階建ての正殿から出火して北殿、南殿などに延焼、6棟約4200平方メートルをほぼ全焼し、約8時間後に鎮圧された。火災前に撮った首里城の写真です。 ■焼失前の首里城写真集 ■世界遺産の首里城 首里城は1429年から450年間存在した琉球王国の政治や外交、文化の中心地。太平洋戦争中の沖縄戦で焼失したが、沖縄の本土復帰後の92年に

米沢城本丸跡の「上杉神社」

米沢城本丸跡に建てれれた上杉謙信公を祀る上杉神社は、舞鶴橋の謙信公の軍旗「毘」「龍」の間を通る参道の奥にあります。敷地内には謙信公の遺品や直江兼続公の「愛」の前立て兜など、貴重な文化財を所蔵・展示する稽照殿があり、 謙信・景勝・兼続・鷹山などの人物像の銅像や「家訓十六条」や名言「なせばなる~~」などの石碑なども参道、散策路で見ることが出来ます。 ◆飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ旅行記 ◆Adobe Stockで写真・動画を販売してます。 下記アドレスからご覧ください。

大野城址

大野城址は、常滑市金山の伊勢湾を望む小高い丘陵にある城址。織田氏が新たに築いた大草城とは矢田川を挟んで南に位置する。 常滑市指定史跡。「宮山城」とも呼称される。織田信長の妹お市の末娘「小督(お江)の方」が城主佐治与九郎のもとへ嫁いだ。後に徳川三代将軍家光の母となる。 現在は城山公園として親しまれ、展望台からは伊勢湾の大パノラマが楽しめる。 所在地 :〒479-0003  愛知県常滑市金山字城山46外 MAP 交通アクセス :大野町駅から徒歩で15分 ■展望台からは、伊勢湾の

日本100名城「島原城」

1616年、大和五条から島原に移封した松倉豊後守重政は、1618年から7年余の歳月を費やして島原城を築きました。城は昔「四壁山」「森岳」などと呼ばれた小高い丘を利用して築かれたので、別名を森岳城とも言います。  島原城は、南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所ありました。内郭は堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が続きます。本丸には五層の天守閣をはじめ、3か所に三重櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城