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【ウルトラマントリガー】"ティガの衝撃の再現"は可能か?

ウルトラマントリガーの放送も三回目を終えた。
ヒロインとユザレの関係が明かされ、主要な登場人物が揃い本格始動した物語を前に、改めて放送直前のインタビュー記事を思い出す。

https://www.cinematoday.jp/news/N0124090

ウルトラマントリガーは、ティガのリメイクやリブートではない。
ウルトラマンティガが与えた衝撃の再現を目指した作品なのだ、という。

放送直前にこの記事を目にした私は、正直に言ってかなり安心した。
完結したティガ・ダイナの世界に手を付けるのは蛇足だと判断し、なおかつリメイクのような新規性に乏しい企画でもなく、"新しいウルトラマン"としての"令和版ティガ"を目指す、と明言してくれたからだ。

ティガの思い出やかつての物語との符合を楽しみつつ、ティガとは違う独自の物語が展開していく。その中でかつてティガに与えられた衝撃を、今度はまた別の形で目の当たりに出来る。
事前の情報ではどう楽しむべきか判然としなかったトリガーだが、そうした指標を与えられた事で、視聴への意欲がより強くなったのは確かだ。

ただ……この"ティガの衝撃を再現する"という目標は、とても曖昧かつ難しいものだ、とも感じている。

第三話現在。私はトリガーをどうにか楽しんではいる。
けれどその"衝撃"の兆しを、作中から感じられていない。

もちろん、物語は主要な人物が顔を見せ、動き始めたばかりだ。
トリガーがこれからどのような作品になって行くのかは分からない。
最終回の頃には、このような記事を書いた事を愚かしく思うくらいに"衝撃"を受け、打ちのめされているかもしれない。

けれど、分からないのだ。
そもそも、この作品が目指す先であるという"ティガの衝撃"とは、一体いかなるものなのだろうか?

そんな事を厳密に考え込まずとも、作品を楽しむことは出来るハズだ。
ただ、いちティガファンとしては、どうにも気にかかってしまう。
坂本浩一監督は、何を以て"ティガの衝撃"を再現しようと言うのだろう?

この記事では、今後のトリガーがどのようなアプローチを仕掛けてくるのかを想像していく。無論全ては一個人の想像であり、終わってみれば全く的外れな駄文と化しているかもしれないが、興味があれば付き合って戴きたい。

輝けるものたちへ

"ティガの衝撃"と聞き、真っ先に浮かぶのはやはり、ウルトラマンティガTVシリーズ最終回『輝けるものたちへ』のあのシーンだろう。

邪神ガタノゾーアに敗れ、石化してしまったティガ。
ティガ・ダイゴを助ける為、GUTSメンバーとこれまでに登場したゲストキャラクターが力を合わせ、ティガ復活作戦を実行する。
けれどあと一歩の所で力及ばず、人々が諦めようとしていたその時……
ティガを信じ、諦めず応援する子どもたちの心が光となり、ティガに降り注ぐ。そして世界中の子どもたちが、レナ隊員が、ダイゴが、ウルトラマンティガとなって力を合わせ、ガタノゾーアを打ち倒す。

戦いを終えたその時、変身アイテム・スパークレンスは砂となって消える。
「もうティガになれないね」と寂しげに言うレナに、「人間はみんな、自分自身の力で光になれるんだ」とダイゴは語った。

ウルトラマン=光の巨人と再定義したこのシリーズが、人間は誰でも光=ウルトラマンになることが出来ると結論付けたこの回が、ティガの中で最も強い"衝撃"を与えた回であると感じている。

ウルトラマンとは、決して手の届かない遠い存在ではない。
我々人間の延長線上にある、希望そのものなのだ。

平成以降のウルトラマンの根底には、ティガで培われたこのウルトラマン観が宿っている、と言っていいだろう。

遠い星の宇宙人であったウルトラマンが、光という概念にその定義を変え、人間そのものと接続する。ティガのウルトラマン観は当時のウルトラマンへの見方からすれば真新しく、抵抗もあっただろうが、多くのファンや子どもたちに指示された。

ウルトラマンという概念の再定義。
それによってウルトラマンに憧れた人々に与えられた希望こそが、『輝けるものたちへ』でティガ視聴者へ与えられた"衝撃"の正体かもしれない。

ではティガは最初からこの結論に達していたのか、というとそうではない。
ウルトラマンとは光である。当初決まっていたのはそれだけで、人間とウルトラマンの関係性に関しては、具体的には決められていなかった。

制作陣にも、様々な考え方があったようだ。
ウルトラマンは神であり、高次の手の届かない存在であるから良い……というもの。ウルトラマンが特別な誰かであっては意味がない、と思うもの。

主人公・ダイゴとティガの関係性にしてもそうだ。
ダイゴと作中のティガは同一の存在だが、ティガに変身した時、ダイゴの意識がどの程度ハッキリ残っているのかに関しては、それぞれ意見が分かれていたようだ。ティガに変身した時点で、ダイゴの意識は高次元のモノへと変化し、人間らしい感覚とは隔絶されるとするもの。或いは、ダイゴそのものだと思うもの。

それぞれの脚本家・監督が己の考え方を持ち、それを自分の担当回で積み重ねていく。ウルトラマンとは神か、救世主か、人か。問いかけと描写が蓄積した結果として、プロデューサーは「人間ウルトラマン」という一つの答えにたどり着く。それが最終回、『輝けるものたちへ』に繋がった。

あとからインタビューなどを読むと、かなり綱渡りな部分があったのではないか、と思わせるところもある。けれどそれが上手く運んだのは、関係者たちの多くが「自分たちの、新しいウルトラマン」を作ろうという熱意を持っていたからだろう、と感じる。

言い換えれば、ティガは「自問自答の作品」と呼べるかもしれない。
関係者の多くがそれぞれのウルトラマン観を持ちながら進む。それによって生まれた個々のストーリーの質感は、物語の縦軸がしっかりした平成以降のウルトラマンとはまた違った味をもたらしている、と私は思う。

そして、『輝けるものたちへ』がウルトラマンという存在への自問自答によって導き出された答えだ、とするなら。
"ティガの衝撃"とは、ウルトラマン観を再度捉え直してこそ生まれるものなのではないだろうか?

ウルトラマン観の自問自答

ただ、"ティガ"がウルトラマン観を再定義出来たのは、当時の環境によるものが大きい。ウルトラマンTVシリーズは『ウルトラマン80』以降16年間音沙汰がなく、子どもたちがウルトラマンに触れるには、レンタルビデオで過去の作品や海外作品のパワード・グレートを観るしかない、という状況。

この断絶から復活する今こそが、ウルトラマンを捉え直す絶好の機会だ、と制作陣は考えたようだ。ティガに至るまでに出されたアイディアの中には、全身に鎧を纏ったウルトラマンといったものや、猿のような姿で野性味に溢れた『原始ウルトラマン』のような、今にしてみても突飛なものがある。

結局のところ、ティガで採用されたのはM78星雲とは関係の無い超古代のウルトラマン、という設定と、3タイプチェンジという新たな要素だけで、姿形や防衛隊の存在を見れば、今までのウルトラマンと大きく変わるものではない。が、そのウルトラマン観の新しさは、前項でも述べた通りだ。

ウルトラマン以外でも、仮面ライダーシリーズも似たような状況で自身の再定義を行っている。改造人間と悪の組織という軛から離れた『仮面ライダークウガ』がそうだ。

それでは、『ウルトラマントリガー』はどうだろうか?
新時代のティガを自ら名乗る本作は、そういう状況にあるか?
……否、である。

現行のウルトラマンTVシリーズは、かつてないほどに連続して製作が行われている。2013年の『ウルトラマンギンガ』に始まる現在のシリーズは、「ニュージェネレーションヒーローズ」として括られ、毎年のように前年のウルトラマンとの共演が行われている。

ニュージェネレーションシリーズの概念は、『ニュージェネクライマックス』と題した映画を行った『ウルトラマンタイガ』で一旦区切られたものとも思われていたが、次作『ウルトラマンZ』もニュージェネとして扱われ、トリガーも『ニュージェネレーションティガ』を自ら名乗っている。

シリーズが毎年継続し、かつ前作との共演などを積極的に行っている昨今、ウルトラマンというヒーローを捉え直し、その形を大きく変えることは難しいだろう。実際、『ウルトラマントリガー』の設定はウルトラマンティガの超古代設定を焼き直したものであり、新規性と呼べる部分は(今のところ)見当たらない。

とはいえ、設定面ばかりが"ウルトラマン観"の表れとは言えないだろう。
事実、ティガも光という設定でこれまでのウルトラマンと大きく趣を変えたが、注目すべきはそうした設定よりも、光として定義されたウルトラマンが神なのか、人なのか、といった観念の部分にあるはずだ。

そうした観点から見ると、興味深いのは前作『ウルトラマンZ』だろう。
ウルトラマンZは従来のような光の国から来たウルトラマンであり、戦闘中は昭和ウルトラマンと同じく多くを語らない。けれど心の内では一体化したハルキとわちゃわちゃと話し込んだりするなど、ニュージェネレーションウルトラマンらしい一面を持つ。

こういった従来のウルトラマンとニュージェネウルトラマンの良点を併せ持ったウルトラマンZには、特空機と呼ばれる、人間が操るロボット怪獣たちが存在する。

セブンガー、ウィンダム、キングジョー。
姿かたちは過去に登場した機械(的な)怪獣だが、その中身は人間が作った兵器として再設定され、作中に登場する防衛組織・ストレイジの隊員は、これに搭乗して怪獣と戦う。

状況だけ見れば、それは既存の防衛部隊と大きく変わりはない。
怪獣の出現に際し出撃し、時に怪獣を撃退するも、番組の描写としては怪獣たちの反撃を受け、ウルトラマンにバトンを渡す。或いは、ウルトラマンを援護することもある。

注目すべきは、その描写にある。
特空機に乗ったストレイジの隊員は、ウルトラマンと同じく巨大な体と目線を手に入れることが出来る、と言える。第一話において、主人公のハルキは未熟なウルトラマンゼットと並び、呼吸を合わせて共に強敵と戦った。

その戦いで、ウルトラマンゼットとハルキは共に命を失い、同化する。
未熟なウルトラマンと未熟なパイロットは、全く同じ立場・目線で戦い、敗北し、守るべきもののために手を取り合う事を決めた。

こういった描写は、人間がウルトラマンと並び立つ存在になったのだ、と暗に告げてもいると思える。巨大な体と誰かを守る諦めない心を持ったハルキは、既にウルトラマンと変わらない存在なのだ。

人間は誰でも、自分の力で光になれる。
その言葉から24年後、人間と遠い星の(未熟な)ウルトラマンとが、全く同じ目線に立った。それは長い時間を経て変化した、"新しいウルトラマン観"の一つと言えないだろうか?

トリガーにおける"ウルトラマン観"

三話現在、『ウルトラマントリガー』本編内において、新しいと思えるウルトラマン観は描写されていない……ようにも、見える。

ただ、今までと大きく異なる点が一つ存在する。
「最初から主人公がウルトラマンであると知っているものがいる」ことだ。

『ウルトラマンメビウス』もそうなのだが、『ウルトラマントリガー』におけるそれは、メビウスのものとは多少状況が異なる。

火星に住む、恐らく自分では自分を普通の人間と理解していたであろう主人公・マナカケンゴが、ある時突然にウルトラマンの力に目覚める。
地球平和連盟TPUの創設者であるシズマミツクニは、力に目覚めた彼に可能性を感じ、同組織のエキスパート部隊であるGUTS-SELECTに、彼を入隊させた。GUTS-SELECTにはもう一人、ミツクニに協力する科学者・ヒジリアキトがおり、彼もまた、ケンゴがウルトラマンであると知っている。

第三話では、ケンゴ=トリガーであるという情報が、GUTS-SELECTはおろかTPUの上層部にも伝えられてないのでは、と思わせる描写があった。人類の側では、あくまでミツクニとアキトのみがケンゴの正体を知っている状況。その意図はまだ読めないが、ケンゴの挙動には注目すべき点がある。

それは、マナカケンゴが自身をウルトラマンであると考えていることだ。

単に変身が出来る、という意味ではなく。
ケンゴは自身のウルトラマンの力を(ミツクニに)求められ、ウルトラマンの力が人々を救い笑顔をもたらすのだ、と考えている節がある。

第二話の冒頭で、ケンゴはミツクニに対し無邪気にも「ウルトラマンとして頑張ります」と言いかける。同話では、隊長に与えられた避難誘導の仕事を放りだし、まだ仲間が十分に戦っている状態でウルトラマンに変身。怪獣に馬乗りになり、ダメージを追いながらも無理やり撃破するという描写を見せた。

主人公が防衛隊の仕事よりもウルトラマンになることを優先する場合は、これまでもあった。しかし第二話での描写は、ウルトラマンとしての意識が先走るあまりにGUTSとしての任務を疎かにしているように見える。誘導を続ける同僚を放置したことや、ガッツファルコンがピンチに陥る前の変身だった故にだろう。もし誘導を終えた後なら。ガッツファルコンが落とされそうになっている状況なら。同じ感想は抱かなかっただろう。

これが狙っての描写であればどうなるだろう。
人間ウルトラマンという考え方を生み出したティガに対し、トリガーは人間がウルトラマンという救世主になろうとしている姿を描いている、とも取れる。

第四話の予告では、怪獣の出現に際し、「ボクが戦わなくっちゃ」「ボクはみんなを笑顔にしたいんだ!」と決意する台詞が描かれている。やはりその台詞の中に、GUTS隊員としての感覚は見受けられない。彼はここでもウルトラマンとして怪獣と戦い、人々に笑顔をもたらそうとしている。

人の笑顔を尊ぶ感性は、暖かで優しいものだ。
けれどケンゴのそれは「そこにある笑顔を守る」という旨の発言ではない。
「笑顔にしたい」。笑っていない人間を笑わせたいという欲求は、お笑い芸人や花屋などであればまだ納得できるが、ウルトラマンとしてみると一抹の危うさを覚える。

トリガー第一話の感想において、私はケンゴに過度な幼さを感じ、それを受け入れられずにいた。現在もその感覚は変わっていない。甘やかされて育ち現実を知らない、年にそぐわない低い精神年齢の持ち主。そんな歪さをケンゴの態度に感じてしまっている。

ただ……ケンゴの中に、一種の救世主願望とでも呼べるものがあればどうだろう。笑顔という救いをもたらすためになら、無断で遺跡にも入る。怪我人の救護を手伝うべき状況でも、それよりも大きな笑顔をもたらす方法を夢想している。目の前の現実よりも笑顔が大切、という彼に、その夢想を現実にし得る強大な力が与えられた。対闇の巨人用兵器として密かに利用されることになった彼は、その力を以て人々を笑顔にしようとする。

……自分で書いておきながら、いささか悪趣味なものの見方にも思う。
ただ、「ルルイエ」と名付けられた「笑顔をもたらすことを期待された花」の存在もあり、笑顔というワードが悲劇の引き金に反転する場面はあるのではないか、と想像してしまうのは、無理からぬことではないだろうか。

"誰かを救いたい"という意志が逆に悲劇をもたらしてしまった時。

その時こそが、ウルトラマントリガーに秘められた"ウルトラマン観"の一端が解き放たれる瞬間なのではないだろうか。

今はゆっくりと、その時を待ちたい。

ティガの魅力

ところで、本記事では"ティガの衝撃"を最終回のそれと仮定して話を進めた。けれど実際の所、ティガの魅力がそれだけに留まらないのは、ティガ視聴者であれば知っていることだろう。

一つは、多様な怪獣の登場。
ウルトラマンティガに登場する怪獣は様々だ。
ゴルザ、メルバはもちろんのこと、二体いたというストーリー運びで視聴者を楽しませるガクマや、ここでは紹介しきれない魅力を持つキリエロイド。独特なねじれた姿が印象的なレギュラン星人に、等身大戦闘で大活躍したレイビーク星人。スタンデル星人、ゴブニュ、デバン、ウェポナイザーにシルバゴンやゴルドラス、デシモニアのような異色の怪獣に、タラバンのような面白い見た目の怪獣。そして恐ろしい見た目の邪神ガタノゾーア。

好きな怪獣・宇宙人はそれぞれ違うだろうが、多くの怪獣がストーリーに絡み、魅力的に描写されていたように思う。少し遡れば『電光超人グリッドマン』に登場する怪獣たちも武史の愛を一心に受けて輝いていたが、ティガの怪獣は更にバリエーションも増え、派手な活躍を見せていた。

51話という話数の中、数度の再利用はあったものの、多くの回を新規造形の新怪獣で彩ったことは、ティガの良点であり功績と捉えていいと感じる。

怪獣の魅力というのは、ウルトラマンにおいて非常に重要な点だ。
ストーリーの縦軸やキャラクター、ウルトラマンの魅力というのも大切だが、よい怪獣はそれを引き立てることも出来る。

「同じ地球の生き物ならば分かり合えるかもしれない」。そう言ってコミュニケーションを図ろうとしたホリイ隊員に対し、生態から来る非常な現実を突き付けるガゾートの描写の恐ろしさなどは、キャラクターと怪獣、双方の魅力を表す素晴らしい描写だったと感じている。

「トモダチ」という言葉を交わし合い、一度は対話が可能かもしれないと思わせてからの「トモダチハ、ゴチソウ!」。共食いの性質を持つ彼らが既にホリイの恩師を腹に収めていたことを、その時のホリイはまだ知らない。

けれど現実を知った後でも、ホリイはガゾート・クリッターを恨むのではなく、人間の文明の被害者であると考える。けれど一方で、人間がガゾートから受ける被害も決して無視できるものではない。そうして人間は、ガゾート=クリッターという生物に、一つの決定を下す……

怪獣の魅力は、その出自や能力、外見……様々な部分にある。
ただただ戦うシーンが面白い、という魅力もあれば、上記のガゾートのように、世界観やキャラクターの考え方を浮き彫りにしていく怪獣もいる。

けれど、ストーリーに合わせて新規に作り出された怪獣の魅力というのは、近年あまりにも贅沢な楽しみになってしまったのかもしれない。

もちろん、過去の怪獣の再登場がダメという話ではない。
過去の怪獣であれ、その魅力を十全に引き出し、新たな輝きを与えたパターンは山ほどある。今後、ウルトラマントリガーにも、そういった怪獣の魅力が表れてくれることを期待したい。

もう一つのティガの魅力は、GUTSメンバーだ。

前述のホリイ隊員も含め、ウルトラマンティガに登場するチーム『GUTS』のメンバーは、それぞれキャラクターが活きていて目が離せない。

隊長のイルマは、ウルトラマンティガを貫く一本の柱のような存在だ。彼女は当初、ティガを「救世主のような存在」と捉え受け入れていく。けれどいくつかの出来事を通し、だんだんとその視点を変えていく。ウルトラマンティガが行った自問自答が、イルマというキャラクターの中にも内包されているのだ。女性の隊長、というのにも目新しさはあるが、指令室にて思考を続ける彼女の存在が、ウルトラマンティガに一つの深みを与えているはずだ。

ヒロインのレナ隊員は、ダイゴとの微妙な距離感に目が離せない。
明らかに意識し合っているのだが、近づいてはいかない。そんな二人の関係も、物語の進行と共に少しずつ変化し、そして最後には……。
GUTSメンバーの中では比較的穏健派で、甘い理想のようなことを語る時もあるが、エースパイロットとしての実力を発揮する場面の頼もしさなどもまたいい。

シンジョウ隊員は、レナと比較して武闘派な面がある。戦う事に躊躇が無く、真っ先に攻撃を要請するのが彼、という場面も多い。けれどシンジョウ隊員には唯一の肉親である妹がいて、彼女と気さくに話す場面や、小さな子どもを勇気づける場面などで印象が変わる。心優しく勇気ある、ひと昔前であればヒーローとして描かれたような人物。けれどガッツウイングはよく落ちる。ダイゴやホリイとの絡みではコメディめいた楽しいシーンも多く、面白いキャラクターだ。

ホリイ隊員は前述のガゾートの回が印象深く、またエボリュウ細胞にまつわる回など、科学技術によって大切な人間が犠牲となってしまう場面も多い。けれどホリイ隊員は真っすぐに科学を信じ、明るい未来を築こうと進んでいく。大阪弁でノリのいいキャラクターとして描かれた彼は、科学を暗く危険なものとして描く風潮から一歩出ようと作られたキャラクターでもある。実際、彼の明るさがなければ、ティガはもう数段暗い雰囲気の話になっていたかもしれない、と思わされる。

ヤズミ隊員は解析担当の若手なのだが、本当に若い。子ども。解析が進めば無邪気に喜んだり、戦いの苦しさを知らず前線に出たがったり、他のメンバーと比べて若々しい描写が目立つキャラクターだ。けれどその幼さが不快になるかと言うと、ならない。本当に子どもだから、見守りたくなってしまう感じなのだ。なんとなく、ガイアの主人公・高山我夢にも引き継がれた部分があるように思う。

ムナカタリーダーは現場の指揮官で、常に険しい顔をし、重い声で隊員たちに指示を飛ばす。緩やかな現場の空気を引き締める立場だが、早めの単独回で「酒が飲めない」と描写されるなど、なんとなく隙のある、強いて厳格にしているような雰囲気がまた魅力的だ。イルマ隊長への想いは明確に定めらえていない様子だったが、劇場版では恐らく恋慕に近い感情を抱いていたと決定された感がある。

こうしたメンバーの中において、実は主人公・ダイゴはあまり主張が強くない。印象が薄い、と評される場合もある。
というのも、ダイゴを演じる長野博さんは、ご存じの通りジャニーズ事務所所属のアイドルである。それ故、スケジュールに関してもあまり多くは確保出来ていなかった、とインタビューなどでは明かされている。

その結果、主人公ダイゴよりも、他の隊員に焦点が当たった回が多くなったとも語られている。実際、ダイゴの登場シーンが少ない回は多い。

ではダイゴは薄くていてもいなくても同じようなキャラなのか、というとそんなことは無い。レナとの関係性然り、シンジョウとの気さくな絡み然り。個性豊かなメンバー内に置いて、彼らを繋ぐ位置に穏やかに立っているのがダイゴ隊員なのだ。

主演・長野博さんの顔つきや表情を含めて、そうした透明感がウルトラマンティガというものを"個人"から引き離した面はあるかもしれない。
話が進んでいくに従ってティガ=ダイゴの関係は強くなって行くのだが、それが「特別な主人公」という形にはなっていかなかった。勇気があり、けれどどこにでもいそうな青年。スケジュールが取れない故に強烈な個性から解き放たれたダイゴは、「誰しもが光となる」結末に一定の説得力を与えた。これが例えばシンジョウ隊員がティガであったとしたなら、多分、もう少し違う雰囲気を感じていただろうから。

防衛チームの隊員描写は、どのウルトラマンにおいても重要な面である。
前作Zでのストレイジ然り、XでのXio然り。画面を占有する彼らに魅力がなくては、番組は輝かない。

ウルトラマントリガーにおいては、主人公・ケンゴはティガのダイゴと真逆に、強烈な個を以て話を動かしていくタイプに見える。GUTS-SELECTメンバーの記号的に見えるキャラ付けは、そうしたケンゴの個に対置する形で作られたのだろうか?

難しいのは、ティガの頃と違い、現在のウルトラマンは話数が2クール分しかないという点だ。個別の話がしやすい単発回を投入する余裕が、現在のウルトラマンには少ない。その上、玩具スケジュールや縦軸のストーリーも詰まっている。そんな中で、GUTS-SELECTのメンバーがどれほど個性を発揮し、輝いていくか。これからのストーリー運びが気になる部分だ。

"トリガーの衝撃"とは何か?

坂本監督がインタビューで語った"ティガの衝撃"。
その言葉を手掛かりに、ここまでティガとトリガーの事を考えてきた。

あまりまとまった論拠のある考察などでは無いが、どう思われただろうか。

結果をまとめるならば、個人的に……現状、"ティガの衝撃"と聞いて連想できるものを、トリガーが持っているようには思えていない。

第三話では、超古代文明とヒロインの繋がりや、闇の三巨人の目的と思われるワードが判明した。とはいえそれは、物語の縦軸を貫く"設定"の話に過ぎない。しかもそれは、どちらかといえばTV本編を離れた映画版ティガの物語に近しい。

怪獣よりも意志を持つ怪人・宇宙人の描写の方を得手とするであろう坂本監督が、FOをティガにおいて重要な部分と捉え、再構成していくことに疑問は無い。

一方で、現在の物語にはまだ、TVシリーズに置いて視聴者を引き付けた要素のようなものは、見えてきていない。

"ティガの衝撃"とは、なんだろうか?

ウルトラマン観の再定義。
その中で輝く怪獣たちの魅力。
そして物語を動かしていく隊員の魅力。

私が"ティガの衝撃"の感じているものと、トリガーが描こうとしているものは、ともすれば別のものなのかもしれない。

どちらにせよ、私はそれが"ティガの焼き直し"ではなく"新たなウルトラマン"として光り輝いてくれるものであることを、期待している。

あれから25年。
ティガを再視聴すると、予算は減少したものの、技術の面では格段に現代のウルトラマンの方が上である、と感じさせられる。

トリガーにおいても毎週のように「これは」と思わせる特撮場面があり、見ていて飽きない。或いは、それが"トリガーの衝撃"なのだろうか? と思わせるほどに。

第四話では、主人公のキーワードである「笑顔」がサブタイトルに組み込まれている。ここから大きくキャラクターの描写が進んでいけば、トリガーのやりたいことも見えてくるのではないだろうか。

それがゴクジョーの物語であれば、私としては言う事が無い。

来週も、とても楽しみにしている。


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