玄獣狼、吼える。
獣とて、剣に焦がれることはある。
山の主を喰い殺し、妖魔さえ己が獲物とした魔狼は、その日生まれて初めて自身の脚より迅く、自身の牙より鋭いモノを見た。
近くの国に名を轟かせる剣豪、武路譲羽の剣である。
魔狼の牙を凌ぎ、駆ける爪に先んじて繰り出される斬撃に、魔狼は美しい黒毛を幾度となく裂かれた。けれど譲羽は魔狼の返り血さえ浴びることなく、涼しい顔をして月下に立っている。
魔狼は思った。この人間に勝つことは出来ない。
であればせめて。この山で最強を誇った牙の持ち主として、最後まで足掻いて死のう。
魔狼はそう思い、血を失いふらつく体で、それでも牙を剥いて見せたのだが。
月夜に煌めく刀剣を目に、彼はほんの少しだけ、動きを止めてしまった。
「……。お前、魅せられたのか?」
投げかけられた言葉の意味を、魔狼は解さない。
しかし、そうなのだ。魔狼はこの時、譲羽の剣に魅せられ、焦がれたのだ。
そうして戦意を消失した魔狼を、譲羽はしばし見つめた。襲ってくるならば斬り伏せる。そうでなくとも、彼に魔狼の討伐を望んだ人々を思えば……斬る他は無い。
だが魔狼が取った行動は、彼の予測を外れたものだった。
魔狼は、頭を垂れたのだ。
一本の、粗末な枝を口に咥えて。
その所作が何を意味するものが何か、譲羽にはすぐピンと来る。
「俺の剣を、習いたいと?」
おん、と魔狼は応えた。
互いの言の葉の意味は通じない。けれど、彼らの心は通ずる。
魔狼はその様にして譲羽の弟子となり、剣を佩いた。
世にも珍しき、狼の剣士の誕生である。
*
それから、十年。
魔狼は玄獣狼の名を与えられ、独り、諸国を渡り歩いていた。
武者修行、という名目も無論ある。けれどそれ以上に大切なのは、敵討ちである。
武路譲羽は殺された。白い衣を纏った剣士によって。
玄獣狼は、その剣士を追って行くのである。
当ても無く、ただ脳裏に焼き付いた匂いを頼りに。
【続く】
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