なぜお金が汚いと思ってしまうのか?

私は今年46歳になりました。今はどうかわかりませんが、私の世代は「お金は汚いもの」「お金の話をするのは下品なこと」と言う風潮、もしくは親や教師に直接言われて育った世代ではないでしょうか。

私は幸いにも親がサラリーマン→脱サラ→起業という過程でしたのであまりそう言う感覚じゃない環境で育ちました。なぜ一般の家庭ではお金を不浄のものと捉えるのでしょうか?その理由に宗教が絡んでるとしたら?今日はそんな記事を皆さんにお届けします。

朱子学

僕はその考えの根本に江戸時代からの「朱子学」があるとする井沢元彦説の信奉者です。

朱子学とは、儒教の一派。

徳川家康が二度と戦国時代に戻らないように「将軍家には絶対背かない」為に導入した思想です。
「士農工商」聞いたことがあるのではないでしょうか?「士」は元々「武士」ないではなく「官僚」のことです。
その中で「」、商人=ものを生み出さず、モノやお金を動かすことでお金を稼ぐ人は一番卑しい身分に置かれている事にお気づきでしょうか?

元々江戸時代前は商いは卑しいものではありませんでした。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。信長は「楽市楽座」で規制緩和・市場経済振興。3人とも外国との交易でも利益をあげています。お金がなければ戦争もできません。
江戸幕府が開かれ、時代を経るに従って「商い」は卑しいものとされますが、商人の力は強い、と言う歪んだ構造が続くのです。
(米の増産→米の価格が下落。米で給料をもらう→米を換金→米の価格が下落してる→給料の価値減→商人にお金を借りる。の負のスパイラル)

「改革」と名のつく政治は全て「米」の増産

江戸の三大改革
・享保の改革
・寛政の改革
・天保の改革
聞いたことありませんか?共通するのは米の増産と倹約

この頃から日本人には倹約の美学とお金に執着する事は卑しいと刷り込まれているのです。清貧の思想です。
そして、「労働から得る対価」と「お金から得る対価」とでは前者に尊い価値を置くのもここからきています。何せ「農」は2番目。
1円はどうやって稼ごうと1円ですそこに貴賎の別はないのに…

こうやって江戸時代の朱子学が今の生活の中で根を下ろし、お金は卑しいもの、汚いもの、お金でお金を稼ぐのは良くないことが年齢が高いひとほど刷り込まれています。
逆に一生懸命働くことは美しいことだとも刷り込まれています。だから生産性が一向に上がらない(遅くまで働いているのが偉いとまだまだ勘違いしている会社が多いのも事実です)

お金は仲間を探している

お金は寂しがりとよく言います。
お金が沢山いるところ、お金のことを悪く言わないところ、お金を愛するところに集まります。
大抵のことはお金で解決できる時代です。
初めからお金を忌避するのではなく、十分用意した上で、お金で解決できない問題に取り組みましょう。

お金の事を考えるのをやめるのではなく、とことん考え、決めたら諦めずにそれを続ける。
何年かに一度見直す。常に考えている必要は無いですが、思考停止には陥らないように。もちろん常に考えている人のところにお金は寄っていきますが。。。

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