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【禅を生きるにいかす】 求めている形に愛はない 1人の問いから2人の問いへ

「今年はどんな年にしようか?」
こんな問いを持たれる方も多いと思います。

私も数年前までは、どんな年にしようか?
どんな目標を立てようか?
何をしたいだろうか?

そんなことを考えていました。


目標を立てるというのも、その年の方向性を決める一つの方法です。
目標ややりたいことが出てくる方は、それでいいと思います。

しかし、目標に違和感がある方は、無理に決めるのをやめませんか。
そして、逆の方向からあなたの一年を見てみましょう。



去年最後のゼロの対話の会。
名前なし、目的なし、ジャッジなしの自由な対話は、いつしか来年の方へと進み、最後に「あなたの方向は」という問いが浮かび上がってきました。

「あなたの方向」というのは、あなたがどういう目標を立てるのかではありません。

「あなたを導いてくれている方向」という視点です。


ゼロの対話の中では、相手の方向性について、浮かんできたことをお互いに伝え合いました。

ある人は「穏やかな方向に」

私は「面白い方向」だそうです。



皆さんは、どの方向に導かれているのでしょうか。
少し考えてみてください。



この問いに答えるのは難しくないですか?
私は難しいです。


自分だけで答えられる問いがあります。
一方で、自分だけでは答えられない問いがあります。

そもそも答えというのは、問いから生まれます。
人は、あらかじめ答えを準備して問うようにできています。
そもそも問いを発する時点で、答えの準備は出来ているのです。


逆にいえば、答えのない問いは、自分では問いません。
これは、いつも同じところをグルグルと回っている状態です。


もう一つの問いがあります。
それは、関係性から生まれる問いです。

関係性から生まれる問いには、準備された答えはありません。
そこに、自分の枠を突破する出口があります。

1人で生まれる問いは答えやすい。でも、その問いには限界がある。
2人から生まれる問いは無限です。

自分だけでは生まれない問いから、「あなたが導かれる方向」という視点が生まれます。

昨年は、自分のポジションについて、目から鱗が落ちた一年でした。
当初は、助さん格さんを目指していましたが、落選。
たどり着いたポジションはうっかり八兵衛。


うっかりさんであることに、薄々気づいてはいました。
でも、なかなか受け入れられない。

突っ込まれると嬉しいのに、うっかりを指摘されると反発する自分。
なかなか素直になれないのがもどかしい。


少しずつ、うっかりさんに慣れてきました。
自分が自分に馴染むのには、時間がかかりますね。


昨年、禅の師匠である藤田一照老師から「赤野さんのFacebookの投稿は面白くない」と言われ、そのときはかなりヘコみました。

今になってみれば、優しい言葉が欲しい。
認めて欲しい。

だから深刻なことを暗い方向に捉えすぎていたのかなと思います。
でも、それって表面的に求めている言葉です。


本当に必要なことは、求めている言葉ではないのです。

自分1人で完結することを目指すと、自分がまず理想の形を作る。
しかし、求める形の通りに愛はこない。

ただ愛されたいだけなのに、苦しみになる。
誰かに嫉妬し、自分の不遇を嘆く。

これは愛を選り好みしているのだと気づきました。

強い愛はいらない。
小さな愛は無視する。
すごい言葉に騙される。


形がないところから始めてみましょう。
自分がないから、そこに何かが現れてきます。

灯りを消した瞬間に、星空が現れてくるように。

私の場合は、1人だと深刻になってしまいます。
そして、2人だと面白くなります。
ツッコミがいて、ボケが生きるのです。


うっかりな自分を受け入れられると、結構愛されていることに気づけるようになりました。

ツッコミという少し辛い愛ですが(笑)いじられている私は、「面白い方向」に導かれているみたいです。


2人からはじめてみると、自然な愛の形が浮かび上がってきます。

まず自分を白紙にして、突っ込まれてみる。
何が来るのかは分かりませんが、「受けたもう」の精神で、柔らかく受け止めてみる。

そこに何が現れてくるのか。
未知の世界はとても怖いですが、すごくワクワクします。


新年から、岩手県の禅寺のお坊さんと「自問自答力」をテーマに、ツイキャスで対談をはじめました。

このお坊さんは東日本大震災のあと、生き残った自分について、生きる意味を問い続けました。
でも、答えは出ませんでした。


そこで、はじめたのは傾聴のボランティア。
とにかく避難所に飛び込んで、ただひらすら話を聴くのです。
被災者との対話を重ねる中で、ご自身の生きる意味が見えてきたそうです。

この話をお聞きしていて、どれだけ考えても1人では出ない答えがあるのではないかと思いました。

答えが出ないのが悪いのではありません。
考えても答えが出ない問いであるということを教えてくれているのではないかと。


相手と交わる中で、新たな問いが現れてきます。
1人ではなく2人の問いを重ねる中で、2人から答えが生まれる。
これが自分を導いてくれている方向への問いではないでしょうか。


心惹かれる誰かと真っ白からはじめたい。

これは、「求める」という源流に近い感じかもしれません。

ただ、源流にはいきなり辿り着けません。
その源流への旅をする中で、あなたが導かれている方向という問いの答えに出会うかもしれませんよ。


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