蓮の花

【泥沼に咲く蓮の花】 正解なんてない 人生は挑戦?それとも修行?

アメリカ出張から帰ってきました。
上手く言葉では言えませんが、いろいろな出会いがありました。

ただ、これからアメリカでの活動をどうするのかという大きな課題を与えられました。

行きたい、でも現実は厳しい。
自分の中で引いてきたデッドラインは何度も超えてきました。
目に見える成果はなくても続けてきました。
何かに心惹かれる自分がいたから。

これまでやってきたことに、まったく後悔はない。
よくやったと褒めてあげたい。

しかし、ここから先に進むのか。

ここからは、さらに一線を越えることになる。
自分の中では、泥沼に入っていく感じさえします。

そんなリスクを冒しても行く価値があるのか?
どんな意味があるのか?


自問自答をどれだけ繰り返しても答えは出ません。


答えが出ないなら、答えを出すのをやめよう。
以下は、アメリカから帰ってきたある朝の自分とのゼロの対話です。


どうすればいいのだろうと考える。

しかし、なかなか答えは出ない。

それは、「いい答え」を探すから。

いい答えを求めている自分とはなんだろう。

正解??

失敗しない答え??

傷つかない答え??

でも、本当は何がいいのかなんて分からない。

「いい答え」なんて残念ながらない。

どちらに行っても、道があるだけ。

立ち止まるのもいい。
でも、ずっと止まってはいられない。

分からないままで歩き続けようか。

真っ暗の中を、泣きながら歩けばいいじゃないか。

怖いなら、ゆっくりと歩けばいいじゃないか。


そんな私を誰かが見てくれている。

そして、また新たなご縁が生まれる。

不思議ですね。答えを出そうとする対話と心の対話はまったく違うのです。


これまで6年あまり、アメリカに3ヶ月に一度行ってきました。

当初は「アメリカへの挑戦」でしたが、途中から「アメリカでの修行」になりました。

挑戦とは、何かすごいことを成し遂げることを目指すこと。

私にとって修行とは、終わりなき出会いと探求の旅。

得るのではなく、捨てていくこと。
手に握ってきた執着を手放していくこと。

アメリカでの修行は苦難の連続です。

まったく思い通りにならない苦しみの中で見えた一筋の光。
それが「ゼロの対話」という活動でした。

アメリカで待ってくれている人がいるというのは、本当に嬉しい。
毎回行くたびに、対話を深めていきました。

でも、始まりがあれば終わりもある。
もう終えるのもいいじゃないか。

なかなか頑張ってきたではないか。
出来ることはやってきたじゃないか。

少し楽になりたい・・・

アメリカのパートナーにそのことを告げたところ、
「これからがはじまりじゃないの。今、種を蒔いたばかりでしょ。」と言われました。

作物を植えるにも、まずは土作りが大事。
6年をかけて、いい土を作ってきたのでないかと。
そして、ようやくゼロの対話という土壌が出来た。
そして、今アメリカで種を蒔いたところだろうと。

種を蒔いても、水をやらなければ枯れてしまう。
それでいいのかと。

その言葉には衝撃を受けました。
終わりだと思っていたら、それは土作りの終わり。
種を植えて育てるのはまさにこれからとは。

ようやく一つのゴールにたどり着いたかと思ったら、それはまだ入り口だった。

キント雲で世界の果てを目指した孫悟空が結局たどり着いたのは、お釈迦さまの手のひらの中だったという話が心に浮かびました。

これからが始まり、確かにその通りかなとも思います。
しかし、これまで以上の修行が待っているかと思うと、心が震えます。

果たして私に耐えられるのかと。
耐えられないのではないか。

妻からは「いよいよ腹をくくる時がきたのね」と言われました。
他の人には、何か見えているのかもしれませんが、私にはまったく見えない。

何かにすがりたいと初めて思いました。


書きながら「泥沼に咲く蓮の花」が浮かんできました。
「蓮」は仏教ではなじみ深い花です。

お釈迦様が蓮の花の上に坐られている様子が絵に描かれていたり、仏像の下の台座が蓮の花だったりします。

仏教では泥水の中から美しい花を咲かせる蓮の姿が、智慧や慈悲の象徴とされています。

「一蓮托生」という言葉があります。

一蓮托生とは、辞書によると「死後に極楽の同じ蓮華の上に生まれること」。「結果はどうなろうと行動や運命をともにすること」と解説されています。

泥沼に入っていくのもいいか。

結果はどうなるか分からないが、死ぬ気になってみるのもいいか。

もう、余裕なんてない。
余裕の微笑みなんてくそ食らえ。
大人の心なんてくそくらえ。

まったく余裕がないところで、見えてくるものがあるかもしれない。
見えてこないかもしれない。

でも道があるのなら、ただ進もうか。


アメリカに行っているからこそ現れてくる、さまざまな自分があります。

楽しさ、喜び、孤独、苦しみ、焦燥、欲、葛藤、怒り、希望・・・

これだけの気持ちに出会えるアメリカでの修行は豊かだと思います。

今回、アメリカで禅の師匠から「而今現成」という禅語をいただきました。
これは、「今この瞬間にすべてが現れる」という意味だそうです。

今この瞬間に起こっていること。

それを味わうこと。その中を生きること。

もう少しだけ。もう少しだけ。


アメリカでの修行の様子について書くと、「赤野さん大丈夫?」と心配されます。

苦しいですし、葛藤もありますが、こんなに色とりどりの感情に巡り会えて、生きることの豊かさを感じています。

アメリカ修行を通して出会う、さまざまな自分が大好きなのです。


「何かにすがりたい」なんて、以前では絶対に言えませんでした(笑)

恥だと思っていたことが、自分の中から現れてくる。

それも含めて、全肯定している自分。

不思議です。


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国際禅メンタルトレーニング協会代表  プロゴルファー、経営者等とのコーチングは10,000時間超。禅と欧米の最新メンタルトレーニング理論を融合した「禅×コーチングメソッド」を開発。米国にも「和の心」を伝えるべく挑戦中。「週刊ゴルフダイジェスト」に「禅の境地へ 滴り積もりて」連載中

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