余白

禅を仕事に活かす 自分にとって「ミニマム」とはなにか?

以前の記事でもお伝えしましたが、先日、アメリカに行ったときに、禅の老師から「小欲知足」という言葉について、あらためて教えていただきました。

仏教では、欲をなくせとは言われません。
ただ、欲とどう付き合うかは、人に与えられた課題といえます。

「小欲」というのは、小さな欲で我慢するという意味もあります。

師匠は、「自分にとって、最低限とはなにか知っておくことが大事」とおっしゃいました。


最低限とは、本当に必要なものと言い換えることもできます。


自分にとって、最低限必要な量、最低限必要なものを知っておくことで、それ以上のものは付け足しであり、特別なギフトと理解できます。

あるいは、本来必要がない余分なものかもしれません。

禅の修行においては、禅堂という呼ばれる修行道場で1人に一畳が与えられます。

まさに坐って半畳、寝て一畳の世界。

また柏布団といって、修行中の雲水さんは一枚の布団を柏餅のようにして、くるまって寝ます。

どんなに寒い冬でもこれ一枚。

また、応量器という自分専用のお椀のセットを持っています。
これはご飯、お味噌汁、そして最低限のおかずをいれるためのものです。

常に最低限をベースにしておくことが修行なのだと思いました。
これはあくまでお坊さんになるための修行です。


では、私たち世俗で生きる人間にとっての最低限とは、何でしょうか。


最低限のことを英語ではミニマムといいます。
近年、ミニマリストという生き方が雑誌などで紹介されています。

私が見た男性の場合、6畳一間の部屋に、円いちゃぶ台が1つだけ。
あとは、洋服が数着、靴が2足という感じでした。
頭も丸坊主。

禅の修行に近い感じがしましたが、正直、私には魅力的には感じませんでした。

夫婦で住むには、もう少し温かみがあってもいいのではと。

人によって、ミニマムは違って良いと思います。




自分にとってのミニマムとはなにか?

これはなかなかいい問いではないかと思います。



今の世の中では、増やすことは簡単です。
「もの」だけではなく、「人間関係」「仕事」など、放っておくと自然に増えていきます。

もちろん、たくさんあった方が安心するという方は、それでいいと思います。


私は、増えていくと「苦しい」と感じていることに気づきました。


もともと人間関係は最小限。普段は飲み会にも行きません。

不器用なので、大切にできる人数は、私にとっては多くはありません。


でも、なぜかおしゃれは別でした。
好きな洋服を買って、毎朝何を着ようかと考える。
好きなバッグや靴にこだわってみる。

おしゃれを以前は楽しいと感じていました。

それがアメリカに修行の旅にいくようになって、自分の中でのミニマムが変わってきました。

朝、クローゼットに並んでいる洋服を見ながら何を着るのか考えるのが悩ましいと感じるようになったのです。

それ以来、洋服を買わなくなったので、クローゼットの中は半分以下になりました。
そうなると、もう迷うことはありません。
朝、何を着るかすぐ決まるのは楽ですね。

また、1着1着に目が行き届くので、大事に着るようになりました。人間関係と同じように、大切にできる量は私にとって多くないのだと思います。


ミニマムは生き方によって変化していきます。



ちなみに今、私にとって最低限必要なものは以下のような感じでしょうか。

・健康
・衣食住
・家族
・ゼロの対話
・アメリカに行き続けること
・メンタルトレーニングの探求
・禅の勉強

書き出してみると、結構ありますね。
これをやっていくだけでも結構大変な感じがします。

よければ、あなたもぜひ書き出してみてください。

さらに、それぞれの最低限とは何かを具体的に考えることもできます。
たとえば、家族に関する最低限とは何か。

・美味しいものを食べにいく。
・旅行に行く。

これらは付け足しでしょう。
あったら嬉しいですが、なくてもなんとかなる。

私にとっての家族の最低限とは、「思いやり」という結論に達しました。
楽しいときも悲しいときも苦しいときも、どんなときも、思いやりの心は必須な気がします。

不思議ですね。
最低限を意識して生活していると、自然に「思いやり」が生まれてくるような気がします。

別に特別な場所に行かなくても、豪華な食事をしなくても、思いやりがあれば生きていける。

むしろ、あれこれと足しているときの方が、「思いやり」が見えなくなってしまうようです。



最低限とは、本当に大事なもの。



本当に大事なものを知るために、まずは手に握ってきた様々なものをまずは手放していくと、何かが残っていきます。

まだまだ最低限には達していませんが、欲を絞っていくと、見えてくるものがあります。

それは、ご飯が美味しいということです。



ちなみに、「起きて半畳寝て一畳」には続きがあることをご存じですか?

「天下取っても二合半」です。
誰の言葉か由来は不明ですが、いくら天下を取っても、一食に二合半以上の飯を食べることはできない。

人が生きていくのに、それほど多くのものはいらないし、必要以上のものを望んでも、結局使うことができないという意味だそうです。

なかなか面白いことわざですね。


今回列挙した最低限のものには、お金が入っていないことに気づきました。

お金は必要です。
では最低限のお金とは?

難しい問いですが、私の場合は、大したお金は稼げそうにないので、考える必要はなさそうです。
それこそ余分な問いのような気がします。

そう考えると、最近、お金のことを考えることが減りました。
それよりも、どう日々を充実させるかの方が、最低限な感じがします。

そう考えると、まだまだ余分なことを考えているような気がします。

問いも最低限にしていく。
本当に大事なことを問う。

考えてもどうしようもない問いなど、あれこれ必要以上に思いをめぐらすことをやめることもできます。


今、このメルマガを書いていて、偉そうに聞こえないかと不安になってきました。

何かいいことを言おうとしているような。

あくまで、これは今現在の気づきにすぎません。
ひょっとしたら、数年後には、「もの」や「ひと」で溢れているかもしれません。

今は最低限に惹かれていますが、そのときは「最大限」を追求しているかもしれません。


何か「いい生き方」という絶対的な答えがあるわけではないと思います。
今この瞬間の自分の答えを探していくのが私は好きなのだと思います。
それはどんな答えでもいいのです。

でも、最低限を探すって、どこか心惹かれませんか?

あくまでも生き方の1つの参考になれば幸いです。



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