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「どう生きるか?」という問い あなたの物語を創造する

先日、感染症の研究者の取り組みが報道されていました。いかにウイルスの感染拡大を防ぐかがテーマでした。その中で、印象に残った言葉があります。

「ウイルスは本来宿主に死んでもらいたくない。それは自分の死を意味するから。今死者が出ているのはちょっと力加減が強すぎた。実は、新型コロナウイルスも急に人間に入ることになって戸惑っていると思います。」

研究者としてはウイルスを敵としてやっつけなければいけない立場ですが、決してウイルスを悪者にしていない。この方自身は、ウイルスとともに生きている人なのだと感じました。

私はこうした人が好きです。

空がきれい。
雨は心が静かになる。
風が心地よい。
花が美しい。

クッキリと見える。ハッキリ感じる。ちょっとしたことが嬉しい。

これはコロナ禍における自分の変化です。自由にならないこと、将来を考えると不安もありますが、今この静かな生活は決して悪くありません。

一方で、スーパーなどで人との距離が近いとドキッとすることがあります。また、この前久しぶりにカフェに行った時のこと。隣で咳をしている人がいて、瞬間的にイラッとしました。これはコロナ以前には感じていなかった変化です。毎日マスク生活を送る中で、周りのものがウイルスに見えています。確実に蝕まれていますね。

新型コロナウイルスは、いろいろな影響を与えています。それには抗えないし、抗う必要もない。

ウイルスに左右されるのは仕方がないのです。むしろ、影響を引き剥がそうとするほど、囚われていきます。

私たちはものすごく脆弱な中で生きていることがハッキリしてきました。新型コロナウイルスが本格的に猛威を奮うようになって、およそ4ヶ月。たった4ヶ月で世界は一変しました。人の往来は完全にストップ。経済は世界恐慌以来の落ち込みです。

世界の往来もパッタリと止まりました。あれほど好調だった世界経済がここまで打撃を受けるとは。これが現実とは、あまりの激変ににわかには信じられません。自分の心が追いついていない感じもします。

今年の後半からV字回復すると予想する専門家もいますが、未来のことは分かりません。

良くなるかもしれないし、さらに悪くなるかもしれない。今はまったく先が見えない状況です。

シャッターが閉まっているお店を見ていると、悲しくなります。仕事ができない友人達の話を聞くたび、胸が締め付けられます。

私たちは、ものすごく脆弱な中で生きています。社会も経済も組織も個人も、そしてウイルスも。

平常時では気づきにくいですが、今この非常時だからこそ、この世界の「脆弱さ」にあらためて気づかされました。

今、ニューヨークのウォール街で起こっていることをアメリカに住む友人から聞きました。それは、「乗り遅れないこと」。株式相場や石油の価格などが歴史的な下落を記録した中で、いかにもうけ損ねないか。一歩間違えば破滅します。人間の欲の象徴でもあるウォール街は、今「強欲と恐怖」が支配しているのです。

新型コロナウイルスは、人間のさまざまな側面を映し出しています。
ウォール街のように、さらに欲深くなる人もいます。

日本でも、さまざまな人の姿が見られます。
自粛を守らずパチンコに行く人。そして、それを攻撃する人。
医療関係者を差別する人。
新型コロナの感染者を恐れ、遠ざけようとする人。

脆弱さが顕わになってくると、人間の姿も顕わになってきます。

自分を守ることに執着します。
相手を攻撃します。
誰かをいじめ、孤立させます。
不安と恐怖に心身が蝕まれます。

こうした人間の姿を見ると、ウンザリします。だから、メディアを見ないという人もいると思います。しかし、私は見てしまいます。弱さに心惹かれます。それは自分の中にある「弱さ」とともに生きてきたからかもしれません。


私は山本周五郎の作品が好きです。代表作の『赤ひげ診療譚」は、貧しい庶民が犯す罪と嘆き。それを見守り、医師として奮闘する赤ひげの苦心と叫びが描かれています。

「どんなに罪深い人間も人間が悪いのではない。罪を犯す環境や貧しさが悪いのだ。」

「人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない」「だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、愚鈍で邪悪で貪欲でいやらしいものもいない」

人間の浅ましさ、醜さという暗い闇の中でもがきながら、それでも人の善良さを信じて、全力で立ち向かう。

これから、世界は貧しくなります。私たちの本性を覆い隠してくれていた経済的豊かさが奪われる中で、人間の醜さに出会っていくことになります。

私もとても平気でいられるとは思っていません。今まで語っていたことが明日にはただのきれい事になるかもしれません。

人は弱い。あまりにも弱い。でも、弱くていいのです。

この非常時だからこそ、もっと、私たちは弱さに気づく必要があると思います。

だって、弱いから助け合えるのです。

こういう時期だからこそ、むしろつながりが深まっている人もいます。

醜さとは、人間の持つ美しさの裏返し。

どちらも人間の持つ本性です。

ウイルスもこの世界の本性です。

本当の人間になるための試練のときです。

目覚めるか。目覚めないか。

小説はあくまでも物語です。現実ではない空想の世界を持ち出したことに抵抗を感じられる方もおられると思います。

誤解がないように申し上げると、「いい人になりましょう」と言いたいわけではありません。

また赤ひげは言います。

「人生は教訓に満ちている、しかし万人にあてはまる教訓はひとつもない、殺すな、盗むなという原則でさえ絶対ではないのだ」

禅の師匠は、「禅を学んでいると、禅が正しいと思うことがある。そのときは、禅の教えなど容赦なく捨て去りなさい。」とおっしゃいました。


「どう生きるか。」


最近、この問いが心に浮かぶことが多いです。

でも、まだ答えはありません。

自然科学では、一つ一つの事実を示してくれます。
まず、フェイクに惑わされないようにすること。

ただそれで終わっては、人間としての力を使い切れてはいません。

ある小説家の方は、事実をつなぎ、つむいでいくことで、
どう生きるかという自分の中の「物語」が創造されていく。
フェイクではない真実の物語を生み出すのが文学の力だと話していました。

与えられた宿題に挑む中で、生きるという物語が1人1人の中で生まれていくのだと思います。

私は、図書館に行って、本を読むのが好きな少年でした。まんが日本の歴史、偉人の伝記、少女パレアナ、赤毛のアン、若草物語、星の王子様、シャーロック・ホームズ、アガサクリスティー、赤川次郎、司馬遼太郎、山本周五郎、池波正太郎、山岡荘八、新田次郎、ジェフリー・アーチャー、アーサー・ヘイリー、谷崎潤一郎、志賀直哉、川端康成、山崎豊子、村上春樹・・・

忘れてはいけないのは、太宰治です。小学6年生で『人間失格」に出会ったときの衝撃は、今でも忘れられません。「この仮面をかぶった最低の人間は自分だ。」と自らに絶望しました。今思えば、あのとき、人間の犯す罪、人間の弱さへの探究がはじまりました。まさに、コーチとしての原点です。

そして、沢木耕太郎の『深夜特急』。子供の頃、自転車で飛び出して真っ暗になっても家に帰らず、よく親に怒られていました。目的もなく知らない土地へと、ただ自転車のペダルを漕いでいたのを思い出しました。人生は旅というのは、今の私の生き方そのものと言えます。

あのとき、人生は物語でいっぱいでした。

社会人になってこの20年あまりは、仕事に関係のある本ばかりを読んでいました。それはそれで、必要で意味あることでした。そして今、自分の中の「物語」にコンタクトしてみようかなと思っています。

希望の物語、愛の物語、ハラハラドキドキの物語、アドベンチャーの物語・・・

もともと私たちの中には「物語」があったのですが、大人になる中で、それをどこかにしまっています。

もう一度あなたの物語を思い出してみませんか?

そこに今をどう生きるかへの鍵があります。


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