無限のアイディアへの入り口
先日、プロゴルファーとのセッションが終わって、この半年間の私の関わりがどうだったか聞いてみました。
「赤野さんはアイディアマンですね」
思いつかないようなアイディアが次々と生まれてくるのが面白いそうです。
アイディアマン???
正直この答えは予想外でした。私としては、「思いやりがある」とか「信頼できる」とか、そういう答えが返ってくると思っていたのです。
コーチの要は人柄だと思っていました。人柄が悪いと信頼されないのではないか。人間関係を大事にしないと心を開いてくれないのではないか。
どこかで人柄にこだわっていたことに気づかされました。
コーチの要は人柄ではありません。いかに人柄を手放せるかが重要です。
人柄でなければ、なんなのか?
ある著名なコーチは、「結果がすべて」と語っていました。人間性に頼っている間はアマチュアだそうです。
確かに、人間性を重視しすぎると、どこかで人間性に逃げてしまいます。このコーチの方の結果へのコミットへの覚悟は素晴らしいと思います。
ただ、私は結果がすべてだとも思いません。
人柄でもない。結果でもない。
コーチはどうあるべきかというのは、恐らくどのコーチもずっと持ち続けている問いでしょう。
今現在、私は、コーチという存在を消すのが大切だと思っています。
コーチにもさまざまな思いやエゴがあります。
エゴの一つは、選手にどう思われるかを気にするもの。先程のコーチは、自分がどう思われるかを手放せないと突き抜けた指導はできないということを「結果がすべて」という表現で指摘されたのかもしれません。
また、結果が出せるかどうかにこだわるのもエゴです。コーチは選手が結果を出せるように導きたいと願っています。しかし、コーチによる結果へのコミットも結果へのこだわりと言えます。コーチが結果を求めるほど、選手も目先の結果に囚われるようになってしまいます。
コーチの中にあるエゴを手放していくことで、コーチの存在は消えていきます。コーチはいるけどいない。コーチが透明な存在になることで、選手は無心になっていきます。
選手もたくさんのエゴの中で戦っています。それは、自分ではなかなか手放せません。自分だけで考えていると、エゴはさらに膨らんでいきます。個人的には、エゴで苦しむ状態を私は「プレーにエゴが引っかかる」と表現しています。
こうしなければならないという思い込みが、ありのままのプレーを邪魔するのです。
コーチが透明になることで、選手のエゴが引っかからなくなります。それが、無心という状態への方向です。
私自身が人柄や結果へのこだわりを手放せたとき、無心のアイディアが湧き出してきます。
一方で、私が頑張ってアイディアを生み出そうとすると、上手くいきません。
スポーツでもビジネスでも、必ず上手くいかないときがあります。それをどう乗り越えるかによって、プレーも仕事の質も大きく変わってきます。
行き詰まったとき、困難をどのように乗り越えたらいいでしょうか?
乗り越えるためのいろいろなアイディアが湧き出してきたらいいですね。
どのようにしたら、豊かな発想が得られるのでしょうか?
「こうやってみよう。あれをやってみたら面白いのではないか?」と、いろいろなアイディアが湧いている状態は、一言で言うと、「柔らかい状態」です。
「柔らかい状態」の反対にあるのは、「固い状態」です。
たとえば、正解を求めると、プレーは固くなります。
次のような状態です。
・理想の形を目指す
・理論的に正しいフォームに動きを合わせていく
・失敗を減らすためにフォームを修正する
・評価を求めて頑張る
・問題をすぐに解決しようとする
理想にむかって頑張るのが悪いわけではありません。
大事なのは、何かを獲得しようとすると、頭や身体が固くなっていくということを知っておくことです。
「こうしなければいけない。」
「まだまだ足りない。」
「もっと頑張らないとダメだ」
このように考える状態になってくると固くなっています。
また、過去良かったときのプレーを再現しようとするときも固くなります。
固くなると、発想が貧しくなっていきます。
では柔らかさは、どうしたら生まれるのでしょうか。
まずは、頭で考えることをやめることです。
頭で考えることをしないと、どんなことが起こってくるでしょうか?
ちょっとの間、考えることを手放してみましょう。そして、身体の感覚や呼吸を感じてみるのです。
くれぐれも一生懸命やろうとしないでくださいね。
少しだけ呼吸を感じてみる。柔らかく呼吸に触れてみるという感覚です。
それでも考えることが止まらないという人もいると思います。それはそれで大丈夫です。無理に止めようとしないでください。ただ、浮かんでくることに気づくだけでOKです。そして、また呼吸を感じることに戻りましょう。
考えるのは、何かをしている状態です。何かしようとするほど、部分的になり、全体性を失います。これが発想の貧しさの理由です。
何かしようとすることを手放すと、今起こっている状態が現れてきます。
息している、見えている、聞こえている・・・
思考ファーストから身体ファーストに切り替わっていくことで、全体性が戻ってきます。全体とともにいることで、さまざまな発想が生まれてきます。
ここ一番で力を発揮できるかどうかは、どれだけ部分から全体へとつながっていけるかにかかっています。
ここ一番で力を発揮できるようになるためには、「考えない」という状態を日常から体験していきましょう。
頑張って考えることを手放すのが、無限のアイディアへの入り口です。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。
食堂がオープンして一ヶ月あまりがたちました。。
ここまで来られたのは、本当に奇跡としか思えません。日々色々な問題が発生していますが、周りのご好意でなんとか乗り越えることができました。「おかげさま」でいっぱいの日々です。
それでも日々、色々な小さなエゴに引っかかります。
先日は、レシートの整理をしていました。食堂の準備をする中で、消耗品やメニュー試作のための食材など莫大な数のレシートがあったのです。
縦のレシート、横のレシート、どれもかなり長いので、並べようとすると、まことに始末が悪いのです。しまいには、ようやくまとめた束がバラバラになってしまい、とうとう癇癪を起こしてしまいました。
これはやらなければならないことに囚われている状態。嫌なことに取り組む姿勢です。その翌日、少し心を入れて、見方を変えてみました。
すると、長く見えるレシートも下半分は、お店の宣伝などで必要がないことに気づきました。バッサリ切ると、すごく収まりがよくなったのです。何やら楽しくなっていました。
何事も工夫ですね。それも小さな工夫。こういうのが好きなのです。
小さな発見が楽しい。これが、アイディアマンといわれる原点なのかもしれません。
なんて些細なつまらないこと、と思われた方もいたでしょう。確かに、皆さんにお伝えするようなことではないかもしれません。あらためて読み返してみても、本当に小さな出来事すぎて消そうかとも思いました。
皆さんにお役に立つような、もっとすごい体験を探そうとしました。でも、思い直しました。それは、この小さな個人的体験の積み重ねが、まさに禅の修行だからです。
些細なことにこそ、力を尽くすこと。自分を見失わないようにすること。
澤木興道老師は、「常に自分を見失わないように工夫し、一歩一歩、力を出し惜しみしないこと」と著書『禅談」の中で説かれています。
食堂をやっていると、周りからは「すごいチャレンジですね」と言われることがあります。そう見られているのはとても新鮮ですが、自分では、特別なこと、すごいという感覚はありません。ただ、一所懸命にやっています。
忘れないようにしなければいけないのは、懸命になれることを与えていただいていることへの奇跡でしょう。懸命になれていることがつい当たり前になると、不平や不満がすぐに顔を出します。
今この瞬間、与えられたご縁に力を尽くす。私にとって、コーチも食堂の親父も同じであり、修行の道です。
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