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ときどき写真を撮っている機械系エンジニア https://www.co1-photog…

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ときどき写真を撮っている機械系エンジニア https://www.co1-photograph.com

記事一覧

パピートラック2023

2022年の秋に子供が産まれまして、東京の片隅でえっちらおっちら育児をしながら、日本の製造業で機械設計をやって口に糊をして暮らしております。世界の皆様こんにちは、co…

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【時計】アウトドアにも最適な時計を探して SEIKO PROSPEX SBBN040 を買ったらすごい気に入っているのでレビューしますという話

やー、普段は防水ですらなく防汗性能しかないために手洗い時にすら気を使うユンハンスのマックスビルを使っていたり、はたまた、ちょっと繊細で傷を付けるとすごく凹んで…

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2年前
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受け手が陳腐な物語に対して正しくシラけられる世界は来るか

写真に「その写真にまつわる・その写真へと至る物語」を箱書き的に付随させたほうが、(その物語がどのような質のものであれ)ウケる、売れる、ということが、2021年現在の…

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3年前
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炒飯とは人生である

1:炒飯とは人生である一人暮らしをしたことのある、もしくは自分で自分のご飯を作ったことがあるであろう諸氏にとって、一度は作ったことのあるレシピといえばなんであろう…

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4年前
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STAYHOME GOHAN : 3

#STAYHOMEGOHAN とは Twitter : #STAYHOMEGOHAN <過去はこちら> Project : STAYHOME GOHAN vol.1 Project : STAYHOME GOHAN vol.2 【2020.4.18 グリーンピースと山椒の…

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4年前
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午後三時の猫

午後三時くらいの陽の光を浴びると小学生の頃を思い出す。 五・六時間目ぶっ通しの体育の授業、土ほこりが黄色く舞うだだっ広い運動場、赤白帽を留めるゴム紐の塩っぽい味…

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4年前
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STAYHOME GOHAN : 2

【2020.4.12 白パン】 これはハイジが棚の中にたくさん閉まっておいて家庭教師の先生のびっくりされた白パン、なんだそうだ。焼く前の発酵時間のばらつきに応じてちょっ…

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4年前
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STAYHOME GOHAN : 1

【2020.4.7 さやえんどうとエリンギ、もやしのお味噌汁】 お味噌汁はとても楽ちんだ。適当な具材を切って、出汁で煮て、火が通ったら味噌を溶いてやれば良い。出汁は顆粒…

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4年前
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制作と迷惑と作品について

先日、富士フイルムが2/5に発表された新製品カメラ「X100V」のプロモーションとして、鈴木達朗氏に発売前の新製品を試供し、鈴木氏が東京の街中を撮影する様子(いわゆるス…

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4年前
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海老と空

おがくずの中でモゾモゾと動く海老が青黒い顔を出してこちらを向いた。黒い目がこちらを見ていた。母はおがくずから海老を取り出し、竹串を刺してヒゲを切ってはお湯の中に…

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4年前
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生活とともにある写真

  プロとして通用する写真が偉い。 共感を呼ぶ写真が偉い。 いま評価される写真が偉い。 文句言う暇があれば研鑽を続けろ。 迷う暇があれば実行するのだ。 写真と宣伝ブ…

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4年前
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星降る夜に

昔々、あるところにカメラマンを志す男がいた。男は四畳半のアパートで暮らし、バイトをしながら写真を撮影する生活を続けていたが、果たしてどういう写真を撮れば写真で食…

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4年前
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エモ写真私論

エモい写真とは何か。 感動している瞬間に撮影した写真が即座に「感動を伝える写真」になるならば、「怪しい自己啓発セミナーに参加して夜中にむせび泣きながら頓悟してる…

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4年前
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彗星の話を:モブとモデル

夏の暑い日だった。お誘いをいただいて、モデルの前田一翠さんと雑司が谷を散歩し、写真を撮らせてもらった。 お会いする前には、何をどう撮ろうか、ということについては…

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4年前
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作品に想定する「誰か」

作品として世に提示する写真は、必ず誰かに観て貰わなければならない。が、制作者が想定するその「誰か」は、果たして誰なのか。 商業写真であれば、少なくともその「誰か…

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4年前
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僕の写真と君の写真を分けるものは何だろうか : 『64px2』

皆さんは 「自分の写真をどこまで縮小したら、自分の写真ってわからなくなるんかな?」 と、自分の写真の縮小限界値を探ったことがありますか? 僕はあります。 僕の場…

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4年前
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パピートラック2023

2022年の秋に子供が産まれまして、東京の片隅でえっちらおっちら育児をしながら、日本の製造業で機械設計をやって口に糊をして暮らしております。世界の皆様こんにちは、co1おじさんだよ。写真は最近あんまり撮ってないよ。 男性の育児休業取得率は2022年で17.13%になったそうで、男性の育児参画(いやまだ実質は育児参加の側面が大きいのかな)が、かつてない勢いで進んでいるようです。これは個人的には、「男は仕事、女は家庭」という昭和平成的な価値観が、 社会的(性別によって生き方に

【時計】アウトドアにも最適な時計を探して SEIKO PROSPEX SBBN040 を買ったらすごい気に入っているのでレビューしますという話

やー、普段は防水ですらなく防汗性能しかないために手洗い時にすら気を使うユンハンスのマックスビルを使っていたり、はたまた、ちょっと繊細で傷を付けるとすごく凹んでしまいそうなロレックスのミルガウスを使っていたりしていたのです。 が、しかし、なんというか「気を使わない時計」が欲しいと思った。 ちょっとしたバーベーキューに呼ばれた時とか(呼ばれない)、ちょっとした登山に行く時とか(登らない)、近所のゴミ拾い作業のお手伝いをする時とか(しない)、いや、そういうことはあんまりしな

受け手が陳腐な物語に対して正しくシラけられる世界は来るか

写真に「その写真にまつわる・その写真へと至る物語」を箱書き的に付随させたほうが、(その物語がどのような質のものであれ)ウケる、売れる、ということが、2021年現在のいま、バズ必勝法としてある程度認知されてしまったのでしょう。 目の前に提示された写真から皆が自発的に物語を汲み取るようになるまでは、写真に「この写真には!素敵な!物語が!添付されているのですよ!」みたいな箱書き=タグを(物語の中身に関係なく)取り付けるだけで素敵な写真とみなされちゃう、もしくはそういったものが添付

炒飯とは人生である

1:炒飯とは人生である一人暮らしをしたことのある、もしくは自分で自分のご飯を作ったことがあるであろう諸氏にとって、一度は作ったことのあるレシピといえばなんであろうか。西の横綱は炒飯で決まりである。自炊に炒飯は欠かせない、ということに異論はなかろう。ちなみに東の横綱はパスタである。 百人の腐れ自炊民がいたとすれば、これはもう間違いなく、少なくとも八十通りのレシピが存在し、卵が先か具材が先か、あらかじめ卵とご飯を混ぜておくべきではないか、味覇の存在は是か非か、王将の炒飯を再現す

STAYHOME GOHAN : 3

#STAYHOMEGOHAN とは Twitter : #STAYHOMEGOHAN <過去はこちら> Project : STAYHOME GOHAN vol.1 Project : STAYHOME GOHAN vol.2 【2020.4.18 グリーンピースと山椒のオイルパスタ】 余らせて冷凍していたオイルサーディンとちょっと芽が出ちゃったグリーンピースで山椒とニンニクのオイルパスタ。長期戦になるかもとパスタを箱買いしているので、乾麺が実はあと20袋以上残っている

午後三時の猫

午後三時くらいの陽の光を浴びると小学生の頃を思い出す。 五・六時間目ぶっ通しの体育の授業、土ほこりが黄色く舞うだだっ広い運動場、赤白帽を留めるゴム紐の塩っぽい味、全く登れなかった雲梯の鉄の香り、紫外線に白く粉を吹いた一輪車の破けたサドル、体育すわりをして何かを待つ手のひらに食い込む、砂利と白黒にキラキラと光る雲母の粉。そして先生の話を聞くとも聞かずとも、顔を上げればもう1日が終わるようなあの黄色く斜に落ちた光。 あの夕陽になりかかる午後三時の光を、小学生の僕はたぶん、全く

STAYHOME GOHAN : 2

【2020.4.12 白パン】 これはハイジが棚の中にたくさん閉まっておいて家庭教師の先生のびっくりされた白パン、なんだそうだ。焼く前の発酵時間のばらつきに応じてちょっとふくらみに差が出たけれども、小麦と酵母の香りがしてとても美味しい。焼き芋のジャムとかをつけて食べた。 【2020.4.13 そら豆と桜海老ごはん】 ​そら豆は一緒に炊くと色が変わってくすんでしまうので、別で茹でないといけないらしい。茹でて味が抜けてしまうのも残念だなというので、塩を振って電子レンジにかけ

STAYHOME GOHAN : 1

【2020.4.7 さやえんどうとエリンギ、もやしのお味噌汁】 お味噌汁はとても楽ちんだ。適当な具材を切って、出汁で煮て、火が通ったら味噌を溶いてやれば良い。出汁は顆粒、具材は本当に適当なもので構わない。温かい汁物があると、少しご飯がホッとするものになるように思う。 【2020.4.8 ペーパードリップコーヒー】 出勤している時は毎日コーヒーを飲みすぎて、帰りには完全に気持ち悪くなるカフェイン中毒状態だったように思う。毎朝、一杯ずつ手で豆を挽いてコーヒーを淹れると、作る

制作と迷惑と作品について

先日、富士フイルムが2/5に発表された新製品カメラ「X100V」のプロモーションとして、鈴木達朗氏に発売前の新製品を試供し、鈴木氏が東京の街中を撮影する様子(いわゆるストリートスナップ撮影)を取材した宣伝記事とプロモーションムービーが”炎上”しました。 その後、富士フイルムは当該記事とムービー、自社サイト内での鈴木達朗さん関連記事を全て削除し、2/5深夜中にお詫び文を提示。鈴木達朗さんは声明を公表することなくTwitterを削除しました。鈴木氏のInstagramアカウント

海老と空

おがくずの中でモゾモゾと動く海老が青黒い顔を出してこちらを向いた。黒い目がこちらを見ていた。母はおがくずから海老を取り出し、竹串を刺してヒゲを切ってはお湯の中に次々に入れていた。くつくつと煮える海老の香りが台所から居間の方に漂ってきた。 茹で上がった海老はあくまで赤く、びっくりするほど大きくて、ほんのりと甘い匂いがした。私は美味しそうとかいただきますとか、もごもごとつぶやきながら、串を抜き、皮を剥いて、ぷりっとした身を取り出して、ふーっと息を吹いて熱々の海老にマヨネーズを直

生活とともにある写真

  プロとして通用する写真が偉い。 共感を呼ぶ写真が偉い。 いま評価される写真が偉い。 文句言う暇があれば研鑽を続けろ。 迷う暇があれば実行するのだ。 写真と宣伝ブランディングは常にセットである。 息を吐くように写真を撮れ。 いかなる場所でもカメラを離すな。 見せない写真に価値などないのだ。 数限りない写真を示せ。 コメントの応酬をひたすらに続けろ。 自分の地位を自らの力で勝ち取り保持し続けろ。 自分を主張し、時代を読んで、 皆の目に届くよう声を嗄らして叫び続けろ。 いか

星降る夜に

昔々、あるところにカメラマンを志す男がいた。男は四畳半のアパートで暮らし、バイトをしながら写真を撮影する生活を続けていたが、果たしてどういう写真を撮れば写真で食べていくことが出来るかを知りあぐねていた。そこに写真家と称する一人の男が転がり込んできた。以前に一度何かのパーティーで出会っただけであったが、向こうが男のことを覚えており、自分を頼ってきたようだった。写真家は放浪の旅を続けながら写真作品を制作していて、撮影された作品はノートパソコンに入れているがまだ誰にも見せておらず、

エモ写真私論

エモい写真とは何か。 感動している瞬間に撮影した写真が即座に「感動を伝える写真」になるならば、「怪しい自己啓発セミナーに参加して夜中にむせび泣きながら頓悟してる瞬間に撮影した写真」はとんでもなく素晴らしいものになるはずですよね。しかしそれをやったとしても、実際には「ジャージのお兄さんお姉さんに囲まれてる異様な写真」しか撮れない。 本人が世界の真理・自分の真理に到達している時の恍惚感は、基本的にそのままでは写真には写らない訳です。「『貴方が感動したときに撮った写真』は必ずし

彗星の話を:モブとモデル

夏の暑い日だった。お誘いをいただいて、モデルの前田一翠さんと雑司が谷を散歩し、写真を撮らせてもらった。 お会いする前には、何をどう撮ろうか、ということについてはとても迷っていた。 朕兆未萌、みたいな話とか、美男子が風景に溶け込んでいる様子を撮ろうと思っていたのだけれども、待ち合わせた大塚駅の改札を通り、僕の姿を探す前田さんの姿は笑ってしまうほど縮尺が違う理想的な人類の姿をしていた。自分の考えは早々に却下せざるをえなかった。 アルマーニやダンヒル、ドルチェ&ガッバーナなど

作品に想定する「誰か」

作品として世に提示する写真は、必ず誰かに観て貰わなければならない。が、制作者が想定するその「誰か」は、果たして誰なのか。 商業写真であれば、少なくともその「誰か」は自分が生きている間に自分に対して支払いをしてくれる人、「いま、自分が接触可能で(お金を払ってくれる)実在の誰か」を気にしなければならない。いや私はそんな下卑た思想とは無縁である、自分の視点はそんな下らない地点よりももっと先にある、という場合も当然にあるだろう。しかしその場合であれ、「その自分の先見の明や視点の遠さ

僕の写真と君の写真を分けるものは何だろうか : 『64px2』

皆さんは 「自分の写真をどこまで縮小したら、自分の写真ってわからなくなるんかな?」 と、自分の写真の縮小限界値を探ったことがありますか? 僕はあります。 僕の場合は、写真にもよりますが、概ね長辺が約50pxあたりに境い目がありました。自分の写真というよりは、何が写っているのかが判別できなくなってくる感じでしょうか。 上記2点の写真は、そんな私の問題意識から、2018年に制作した写真シリーズ『64px2』から2枚を抜き出したものです。 単にモザイク掛かった写真…という