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現役大学生が考えてみた「森会長辞任と渡部健謝罪会見に共通する”気持ち悪さ”」

こんにちは、現役大学生のZAWAWAです。初投稿なので至らないところもあるかと思いますが、よろしくお願いします。

今回はオリンピックの森会長が「女性がたくさん入っている理事会には時間がかかる」という女性蔑視内容の発言で辞任に追い込まれたことについて考えていきたいと思う。私はこの報道を見た時、芸人渡部健の不倫報道に対する謝罪会見と共通する一種の”気持ち悪さ”を感じた。

それはおそらく「悪者を叩きのめす事こそが正義」かのような日本人特有の同調圧力に近いのかもしれない。

近年、リベラルやフェミニズム、ビーガンなど至ることろで、多様性が重視されるようになってきた。もちろん、それ自体はいいことであり、多様性に富んだ社会が正義とされることには私も賛成である。

しかし、それに伴って、「○○こそが正しいのだ」というように自身の価値観を押し付ける人が増えてきたのも事実だろう。

現代ではSNSの発達によって、誰もが世界中の情報にアクセスでき、自らも情報発信することが容易になった。しかし、今の若い人は匿名でSNSに自分の意見を自由に書けるようになったことで、「#○○に抗議します」不買運動といったように議論が過熱化し良くない方向へと向かうことも多くなった。

今回の森会長発言報道を見た時に、私は「新しい価値観についていけてない”昭和型”の現職政治家の女性発言問題か、しかも逆切れと来たら救いようもないな」と軽く呆れていたくらいで辞任レベルではないと思っていた。

一応断っておくが、私は彼の発言を擁護する気もないし、発言自体も極めて不適切であったと思う。しかし、メディアが連日、目の敵のようにバッシングし辞任に追い込むことが適切であったのかについては疑問である。しまいにはお決まりの「#オリ・パラのボランティアを辞退します」である。

彼を会長職から引きずり下したところで後任を誰にするかという問題も残り、誰も得をしないのである。強いて言うならば、”正義マンたち”の連帯感と自己満足感が高まったくらいであろう。バッシングをするだけしておいて、後のことは何も考えないのはむしろ卑怯である。

野党の女性議員が白いスーツ姿で抗議する形で登院するような、メディア受けだけ考えた”ポーズ”のようなことをしたところで何も変わらないのである。渡部健の不倫謝罪会見も同様である。女性記者たちが”集団リンチ”かのように彼を取り囲み詰め寄る様は見ていて滑稽である。

彼女たちがマシンガンのように間髪入れず彼を非難・追求し、彼が弁明のひとつも出来ないような状態でつるし上げたところで誰も得をしないのである。女性議員や女性記者たちのあたかも「私たちはあくまで女性たちを代表していますよ」というポーズが見え見えである。メディアは「いじめはいけない」と報道しておいて、報道している側がいじめに加担しているのである。これでは議論が進まないのも当然だ。

重要なのは過去の過ちを未来にどうつなげるかということであろう。森会長や渡部健の発言や行動は不適切であったが、不毛な議論で糾弾するのではなく、彼らにもう一度弁解のチャンスを与えられる寛容さを持ち、その過ちを改善して初めて成熟した議論になるのである。今回の騒動はジェンダーとメディアの報道姿勢について考えるいい機会になったのかもしれない。


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