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正直な文章ってなんだろう?

たった今、三段落ぐらい書いた文章を「なんかこれが本当に言いたいことか?」と思って、全消ししました。一昔前の作家であれば、原稿用紙をぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に投げたような感覚です。

著者が一番最初の読者

最近、意識的に文章を発信するようにしている中で感じることは、「自分が一番最初の読者である」ということです。意味ありそうでなさそうなことを言っていますが、自分の中ではそれなりに「あ!これだ!」というような気付きです。

noteのような外部への公開記事としての文章だけではなく、普段から思考を出力して客観視してみるということを趣味でやってたりするので、そのやり方を書いてみます。

思考を書き出してみる

普段、頭の中にモヤモヤとした言語化できない概念が渦巻いていて、それを吐き出す手段としてこのような記事を書いています。カタカタとタイピングすると、自分がたった今書いた文章が視覚情報として飛び込んできます。さっきまでは脳内に渦巻いていた脳内のモヤモヤが、客観的な情報として眼前に現れるわけです。

考えがまとまらないときや頭が働かない時に、思考を脳内でまとめずに思いつくままタラタラとPCに打ち込んでいくのが好きです。スマホでもやることはありますが、フリック入力速度が、脳が感じる心地よい出力速度に追いつけないため、基本はPCでやるようにしています。フリック入力がもっと早くなったらいいのにな。

読者の視点になると、自分が行っている思考の良い点・悪い点が明瞭に見えてきます。

私の思考の良い点

読者としての自分の目がそれなりに厳しいこともあって、だらだらと思考を書き出したとしても、後日読んで「なるほど」と思うような文章として残ることが多いです。自分の欠点を見つけ、それを反省したり、補うような思考をしていることが多いです。

私の思考の悪い点

私が陥りがちな思考は堂々巡りです。結論を出すために必要な条件を予め出さずにとりあえず突っ走ってしまい、「あ、でもこれも大事だな・・・」のようにせっかく結論を出したのにちゃぶ台をひっくり返す傾向にあります。また、不完全な状態で外に出すことが嫌いで、全体的に完璧にしたがり、というのが見えてきます。

私を縛るプライド

ここ一年で色々な人に出会い、様々な環境に身を置き、何度も痛い目もあったことで分かったことは、私はプライドに縛られているということです。

世に出す成果物は自分のレビュー(チェック)が済んでいるもののみ、という謎の縛りを自分に課してしまっていました。100点中、20点30点のものを外に出したくない、それで評価されたくないというプライドを抱えていました。

じゃあ、本当の自分を表す正直な文章ってどこの段階の文章なんだろう?

こういう推敲が済んだ文章なのか?それとも思考をダダ漏れにしたあの出来損ないの非論理的な文章なのか?

何かを作って世の中に出すという行為を自分でどう捉えているのか?どう捉えたいと思っているのか?

疑問は山ほど浮かんできますが、ここではそれらを放置したいと思います。

昔から、イントロから始まり結論で閉じる文章を出したがる癖があるので、イントロだけ投げつけるような軽いアウトプットもバンバンしてみようと思います。

起承転結でいう、「起」の記事でした。

おわり。


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