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銀河鉄道の夜 空をみつめて星たちが教えてくれたこと

■銀河鉄道の夜が苦手だった

一番最初に「銀河鉄道の夜」を読んだのは、いつの頃だったかハッキリとは思い出せないけど、
中学生の頃だったか高校生の頃だったのか、もしかすると高校を卒業した後だったか。

私は銀河鉄道の夜が苦手だった
読書感想文のいきなり最初に書く話じゃないけど、正直に告白します。

宮沢賢治といえば誰もが知っている、すごく有名な著者の作品なのに私には良さを読み解けなかった
そんな有名で世間からも高く評価されている作品を理解できていない自分自身を責めた


夢に溢れたキラキラした希望のある話とそこにある綺麗な描写が私の先入観だった。


だけれども実際は貧しい家庭の主人公で、そして多くの登場する人物や重要なキャラクターまでも死んでしまう。
そして読んでいて難解な表現や奇妙な描写があり、気持ちにモヤモヤが続くこともあって
一番最初に読んだ時は、とても時間がかかってとりあえず文字を目で追ってみて
形としてだけで、本を最後まですすめるような状態で読み切った思い出がある。

読んでいる時も読み切った後にもよくわからないような気持ちにモヤモヤがあったので、
この作品を理解するリベンジの時を伺っていた。
有名な作品を理解できない私。私は自分自身を責め続けてそしてこころの傷跡になり苦い思い出になった。

そんな気持ちをかかえたままに何年か過ぎて、銀河鉄道の夜を読んだ最初の日からかなりの時間が経過した
2007年に「まんがで読破」という、名著な本を漫画で読めるシリーズに
銀河鉄道の夜が登場して発売された時は、すぐに購入してリベンジをしようと読んだ。

まんがなら、絵なら、私の中のモヤモヤもきっと晴れるだろう。

でもよくわからない作品のイメージはあまり変わっていなかった。
綺麗な感動的な話のイメージは伝わるけれど、教科書にも掲載されているような
誰もが知っている宮沢賢治さんの作品を理解できていない私。

私は私自身を責め続けた。
またこころに傷ができた。
大人になっても、こんなに有名な作品なのに私には読み解けない。

こころには、あの最初の時以上のなんとも言えないモヤモヤが強く残った。
霧や靄は時間が経過すれば、すっと晴れていくものだが、このモヤモヤは残り続けた。

なんとかこのモヤをこころの中から取り除いていかないと。
そこから1回か2回読んでみようとチャレンジしてみた気がするけど、
結果は変わらなかった。


私には銀河鉄道を見ることも、汽笛の音を聴くこともできない。
美しいものをただ、美しいと言えない悲しさだけがこころに残り続けた


■銀河鉄道の夜を読んだ理由

岸田奈美さんによるキナリ杯に参加して、多くの人と交流することができた。
またキナリ杯みたいなフェスがあったら参加したいな思っていた時に
この今回、キナリ読書フェスが開催されるとのことを知った。

選書の1つである「銀河鉄道の夜」の文字をみた時にこころの奥底にあった
小さな小さな火種は、メラメラと静かに燃えだした。
ゆっくりと静かな火は、やがてこころのボイラーで大きくメラメラと激しく燃えた。

自分自身へのリベンジのチャンスきたる。
今この時を、銀河鉄道の夜という作品に対しての想い
何か理由をつけて再びチャレンジしてみるには、ちょうど良かった。

また私自身についても、40歳になり、自分自身の為だけの人生から
家族を含めた多角的な視点で人生を考えることが多くなり
今の経験や人生観でこの作品を読んだら違った理解ができるのでは無いかと
自分自身に期待していることもあった。


聴くはずのなかった汽笛がこころの中で大きく鳴り響き、ゆっくりと車輪は動き出した。

■理解することは調べること

「銀河鉄道の夜」を読もうと決意したが、このまま読んだとしても
過去の経験からまた理解できないような気が漠然としていた。

私が昨年に読んで、人生が変わった本「読みたいことを、書けばいい。
の1節を思い出していた。物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛

私が銀河鉄道の夜を理解できていないのは、この作品を著者の宮沢賢治さんのことを理解していないからではないかと考えた

そして私なりに宮沢賢治さんの生い立ち、家族構成
どんな作品を発表して、どんな人生をすごした人なのかを調べた。


いきなり結論から書いてしまうが、私は宮沢賢治さんのことを何も知らなかった
銀河鉄道の夜のこと、作品が作られた背景、まったく理解できていなかった
そして調べれば調べるほどに愛着と親近感を抱くようになった


「銀河鉄道の夜」を書いた背景とこの作品にかけた想い、
宮沢賢治さんはどんな状況だったのかを自分で考察してみた。

調べる前の私自身は、相手を理解せずに苦手意識を持つ。

それは、とてもとても浅はかだった

宮沢賢治さんは教科書にも載っているような凄い人で
影響を多く与えた児童文学を多くヒットさせた著者。
「注文の多い料理店」「雨ニモマケズ」「風の又三郎」そして「銀河鉄道の夜」が代表作。

きっと人生も華やかなもので、作品を発表すれば色々な出版社から連絡の絶えない。
漫画界でいえば「手塚治虫」さんのような強い影響力をあたえたような人で、
そして多くの作品が売れたイメージがあった。

それがまったくの正反対で出版社から連絡の絶えない売れ続けた作家像は誤解だった

調べだしたら、興味しかなかった。想像して考えていた作家像ではない事実の連続と誤解の連続。


◎調べてわかったこと・考えたこと

・宮沢賢治さんは代表作となっている「注文の多い料理店」などを自費出版で発表したが
生きている時は、ほとんど売れない作者であったこと
→生きているうちには作品の良さを理解してもらっていなかった。
→つまり色々ショートショートなどの作品を書いてもPV数などが伸びない私と一緒だった
なんだか急にとてもとても親近感がわいてきた

・作品を発表しても売れない兄だったが、妹の「トシ」が兄の良き理解者であった
宮沢賢治と妹のトシ、仲が良かったが1922年に24歳の若さで亡くなってしまう
→売れない兄を理解して励ましてくれる妹。仲の良い妹が若くして亡くなる悲劇

・「銀河鉄道の夜」はそんな妹の死後1924年頃に書き始めたとされている何度も書き直しをしていて発表は1934年
しかも実際は宮沢賢治さんが亡くなった後に発表。遺作。発表まで約10年近くも作品を直し続けた
→仲の良かった妹を失った深い悲しみ。どんな想いで作品を作っていたのか
何回も何回も書き直しをして大切にした作品の伝えたかった事とは何だったのだろう。

・妹が亡くなってしまった後、「銀河鉄道の夜」を執筆する前にサハリン(旧樺太)へ列車の旅に出ている。
→電車が大好きで乗る事が大好きな私には興味深い話。そこでどんな着想があったのか


作品の背景や著者の人生を知るだけで、作品に対する想いと感情移入があった
生きている間はほとんどの人に理解されないまま生涯を終えてしまう宮沢賢治さん

私が作品に抱いていたモヤモヤの最大の原因は嫉妬だった
こんなに売れてこんなに有名な人なのになぜにこんなに作品が難解なのだ。

その全てが私自身の身勝手な先入観からくる誤解であったと気づいた時に
ほんとうにほんとうに精一杯のこころからの謝罪をしたい気持ちになった。

長く長くこころの中で霧や靄がかかっていたがゆっくりと晴れ渡るのを感じた。


■子供の頃から『人生の意味(幸せとは良い人生とは)』を考え続けてきた

私は子供の頃から『人生の意味(幸せとは良い人生とは)』なんて
重いテーマを考えつづけていた。

世間一般と自分自身のズレを感じる時にこの傾向が強まった。

高校生の時の私はこの『人生の意味(幸せとは良い人生とは)』を考えて悩む時間が多くなり
ますますそれを理由として受験勉強に身が入らずにいた時期であったために、
どんどん成績が落ちていき受験にも当然のように失敗してしまっていた。

周りの友人のほとんどが大学に入学したこともあり、
他人と私を比較してできない私を嫌に思っていた。

自分自身が『幸せな人生・良い人生』からどんどん離れている気がして、
夜に大学に通いながら、早朝から深夜までがむしゃらに働き続け学校にも通学していた。

しかし過労とストレスで私自身がパンクしてしまった。

ある日のこと精密検査に訪れた病院の受付近くで意識を失ってしまう出来事があり
そのまま体調が完全に回復するまで3週間ほど入院していた時もある。

私の人生の中で一番、色を失っていた時期でもあった。
何も見えない。何も聴こえない。何もできない。

私にはこの時のほとんどの記憶が断片的にしか無い。
それでも微かに覚えているのは、病室からただ外をみて
『人生の意味(幸せとは良い人生とは)』を考えつづけていたことだった。


■ 一、午後の授業 で得た大切な気づき

私はそんな理由から勝手に宮沢賢治さんに親近感を凄く覚えて、
心情なども想像ができるような気がしてきていた。


「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。(銀河鉄道の夜 一、午後の授業の書き出しより抜粋)


私の銀河鉄道がゆっくりと走り出した。

宮沢賢治さんは10年もこの作品と向き合い作品を発表せずに原稿と向かい続けていた。
文章の書き出しは非常に重要なものであると色々なところで散見する。
最初の重要な章で宮沢賢治さんが読者に言いたかったことはどんなことだったのだろう。
想像しながら私は読み進めた。私の中の解釈の答えはこの「一、午後の授業」の章の最後のあたりにあった。


先生は中にたくさんの光る砂のつぶのはいった大きな両面の凸レンズを指しました。「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じように自分で光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちのほうはレンズが薄いのでわずかな光る粒すなわち星しか見えないでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので光る粒すなわち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。(銀河鉄道の夜 一、午後の授業 より抜粋)


読み始めていきなり宮沢賢治さんに『だから大切と言ったじゃないですか』と笑いながら怒られている気がした
私が銀河鉄道の夜を苦手だと思っていたのは、
自分の中のこの解釈のレンズが間違っていたのだ
ものごとの背景や事実をまるで調べずに、わかったつもりの先入観で、ただ文字を追っていただけだった。

それでは、ほんとうに大切なことや物事の本質を捉えることはできない。
まずは事実を客観的に捉えて、よく調べて頭で考えて理解すること。
同じ事象でも「ぼうっと白くみえるか」「星としてみえるか」
同じ事象を違うレンズで見ると別の情報になる。まったく違う世界が見える

最初の章だけでも今まで自分がただ文字として追っていた時と比べて
内容の考えや気づき・解釈に大変大きな違いがあってすごくすごくビックリした。
そしてまたその事がすごく私自身の自信となった。

大事な大事なこの授業を忘れない。


■人生のほんとうの幸(さいわい)を探す旅

銀河鉄道の夜を最後まで読み進めてみると「ほんとう」という表現が、とても多い。(※「ほんとうに多い」と書きたかったけど、ぐっと堪えて違う表現にした。)

とくに「ほんとう」の後に続く印象的な単語は「幸(さいわい)」や「幸福」という単語だ。
『ほんとうの幸(さいわい)』とはなんだろう
私自身が悩み続けたテーマの1つがこの物語の最重要なテーマでもあると思う。

『ほんとうの幸(さいわい)』についての表現は下記の箇所などで見ることができる。
「七、北十字とプリオシン海岸」から繰り返し、見ることの多くなる表現だ。


「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸(さいわい)なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。(銀河鉄道の夜 七、北十字とプリオシン海岸 より抜粋)

ジョバンニはなんだかわけもわからずに、にわかにとなりの鳥捕りがきのどくでたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですかと訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。(銀河鉄道の夜 九、ジョバンニの切符 より抜粋)

ジョバンニは首をたれて、すっかりふさぎ込んでしまいました。
なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしづつですから」
燈台守がなぐさめていました。(銀河鉄道の夜 九、ジョバンニの切符 より抜粋)

ジョバンニは、ああ、と深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
ジョバンニが言いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり言いました。
「僕たちしっかりやろうねえ」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら言いました。(銀河鉄道の夜 九、ジョバンニの切符 より抜粋)

ジョバンニが言いました。「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一諸に進んで行こう」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ」
カムパネルラはにわかに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。(銀河鉄道の夜 九、ジョバンニの切符 より抜粋)

『ほんとうの幸(さいわい)』を探しながら物語を最後まで読み進めてみると
『自己犠牲・他者への貢献』のエピソードが多いことに気がつく。

・氷山で船が沈没した時の話
・蠍の火の話
・ザネリが救われる話

他者への貢献こそが自分を認めてあげられる幸せのヒントなのだというメッセージを感じた。
自分自身の為でなく誰かの為に、でも正確な表現では自分自身の為に他者に貢献する
認めて欲しいから貢献するのではなく、自分があくまでも貢献したいから貢献する

違う本の話になってしまうが、近内悠太さんの『世界は贈与でできている』
貢献と評価や価値を『交換』するのではなく自分が提供したいから『贈与』する

その贈与の連鎖によって「人生のほんとうの幸(さいわい)」に近づくことができるのではないか。宮沢賢治さんの伝えたかったテーマと意味もじつは軸が同じところにあるのではないか。と「銀河鉄道の夜」を読んでいて凄く感じた


■(この間原稿五枚分なし)(此の間原稿なし)の情景を考える

作品の文章としては戻ってしまうけれども「五、天気輪の柱」にて不思議な文章の記載をみることができる。

(この間原稿五枚分なし)

普通の小説などでは、なかなか見ない表現だ。
そもそも『原稿五枚分』が無かったのであれば
そこを編集してわざわざ書かずに次の文章に繋げば良いからだ

それでもあえて、作品の中に(この間原稿五枚分なし)を記載するという事は
何か重要な意味があるのでは無いか。その意味を自分なりに見つけるために
前後の文章をそのまま抜粋してみる。


野原から汽車の音が聞こえてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、いろいろなふうにしていると考えますと、ジョバンニは、何とも言えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。
(この間原稿五枚分なし)
ところがいくら見ていても、そのそらは、ひる先生の言ったような、がらんとした冷たいとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられてしかたなかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。(銀河鉄道の夜 五、天気輪の柱 より抜粋)


また物語の終盤「九、ジョバンニの切符」にて蠍の火の話を女の子から聴き終わったあとにも似たような一文がある。

同じように前後の文章をそのまま抜粋してみる。

そこにはクリスマストリイのようにまっ青な唐檜かもみの木がたって、その中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の蛍でも集まったようについていました。
「ああ、そうだ今夜ケンタウル祭だねえ」
「ああ、ここはケンタウルの村だよ」カムパネルラがすぐ言いました。
(此の間原稿なし)
「ボール投げなら僕決してはずさない」
男の子が大いばりで言いました。
「もうすぐサザンクロスです。おりるしたくをしてください」青年がみんなに言いました。

「九、ジョバンニの切符」にある(此の間原稿なし)も、なかなか唐突だ。
だけれども、すごく面白い自分の中での気づきと発見があった。


そもそもこの小説は主人公ジョバンニの一人称の表現で書かれている小説だ。
この五章の前にある「四、ケンタウル祭の夜」の章だけでもこんな記載の表現がある。


(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越す。そうら、こんどはぼくの影法師はコンパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た)(銀河鉄道の夜 四、ケンタウル祭の夜 より抜粋)

(ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを言うのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを言うのはザネリがばかなからだ)(銀河鉄道の夜 四、ケンタウル祭の夜 より抜粋)

このような()の中に主人公ジョバンニが感じていること、思っていることを表現する内容の記載が無数に存在する。

ということはつまり、()であえて書かれている
(この間原稿五枚分なし)(此の間原稿なし)
白紙の何も記載されていない状態が続いていたのではないか』と考えた。

()の中は主人公ジョバンニの心情や気持ちがあるとすると仮定すれば
この(この間原稿五枚分なし)や(此の間原稿なし)は何も考えない無心の状態が続いている状態だと考えれば説明がつく。

というのは以前に私が筒井康隆さんの小説「虚人たち」で同じような表現の技法をみたことがある。
筒井康隆さんの小説「虚人たち」では主人公が『意識を失っている時』に白紙のページが続く。はじめて見た時にはビックリしたが、なかなか斬新な小説だった。

筒井康隆さんも、もしかすると「銀河鉄道の夜」を当然に知っていてこの
(この間原稿五枚分なし)や(此の間原稿なし)を見て
「虚人たち」にあるような白紙のページの着想をしたのではないか。

この(この間原稿五枚分なし)や(此の間原稿なし)は何も考えない無心の状態だとして前後の文を読み返してみると、ジョバンニが無心で星空を吸い込まれるようにただ見続けているそんなシーンがハッキリと私の頭の中にイメージされてくる
周りの音も声も何も聴こえずに、ただ無心で星空を眺めているシーンである。

何も語らないこと。何も書かないことがものすごく重要なシーンな気がして
私の中ではそのように解釈をしてその表現を感じて読んでいた。

見えないものを大切にしようというメッセージに近いものなのかもしれない。

同じ児童書として世界中で多くの人に読まれている『星の王子さま』にこんな有名な1節がある。

On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux.
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない(『星の王子さま』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ より )

■空をみつめて星たちが教えてくれたこと

苦手だった銀河鉄道の夜の読み切って、星空を眺めた時に、
無心でただ空をみつめて、輝く星々の優しさにふれた。
花巻の星空はどんな星空だろう。80年以上前の空はどんな空だったろう。

人生のほんとうの幸(さいわい)は特別なことなんかじゃない。
見えないものを大事に大切にして、他者を想い考えて行動することにあるんだよ。

ジョバンニが無心に見つめた空は、この空のどこかにあるのだろうか。
空をぼうっとみつめると、無数の星たちがやさしく私を見つめていた。

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