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5歳児の選択〜自分で選んでよかったこと

#自分で選んでよかったこと

選択は、人生において避けられない行為だ。

毎朝、僕も選択を迫られている。
朝食を、パンにするのか?ご飯にするか?と。

大人たちの朝は、忙しない。僕の一瞬の隙をついて責め立ててくる。
今朝、僕はママの問いかけに返答せぬまま、不覚にもアニメに夢中になってしまった。
さらに、五分が経過した頃、またしても同じ問いかけが聞こえた。それも、パパの声だ。

ちなみに、パパの朝食はご飯。ママの朝食はパンである。僕は、食べたい方を選択して、どちらかにオーダーする。
これが、我が家の掟だ。

僕は、注意深く検討した。
ここで、先ほどのように返答を怠るとご飯の線は消え失せる。
パパは、返事がないから要らないと思ったと悪戯な笑顔を向けてくるに違いない。

それは、由々しい。由々しさの極みである。

このように、僕は毎日の小さな選択から、人生を左右する大きな選択まで、常に選ぶという行動を迫られている。

そう言えば、先日見つけた絵巻物にこのような記述があった。

選択は、人生を形作る礎である。例えば、食べるモノ、着るモノ、話すヒトなどの選択は未来を大きく左右する。かもしれない。

と。

なるほど、パンとご飯の選択。
これは、僕の未来を左右する重要な要素!
つまり、寸分の違いすら許されない極限の状況!

その巻物には、続きがある。

曰く、選択は、自分の大切なコト、達成したい何かによって方向性が変わる。また、経験や学びも選択に影響を与える。かもしれない。

なるほど、パンとご飯の選択。
これは、僕の五年の歴史を振り返る、言わば好機!
慎重さが必要となる人生の大一番!

何?巻物には、まだ続きがあるだと?

選択は、リスクも伴う。選んだ結果によっては、後悔が生じることもある。
しかし、リスクを恐れて選択を避けると、機会の喪失にもつながり得る。かもしれない。

なんだと、パンとご飯の選択。
これは、リスクすら伴う究極の二択!避けられない決断を迫る高度な問い!

巻物は続く。

一方、選択しないことも一つの選択である。しかし、それは何も変わらないことを示す。したがって、意識的な選択が重要である。かもしれない。

意識的な、パンとご飯の選択。あえて、選択をしない選択。つまり、僕は…僕は…。

声が聞こえる。

パンにするの?ママの声だ。
ご飯にするの?パパの声だ。

最後に、選択をする際には、自分の心に耳を傾けることも忘れてはいけない。
時に、理屈では説明できない直感が、最適な選択を導いてくれる。かもしれない。

僕は顔を上げて、前を向く。

見ると、そこには迫り来る両親の顔面。
決断の時は近い。

パンなのか?ご飯なのか?

徐々に荒くなる声。威圧的な空気。もう一刻の猶予も残されていない。

僕は、最後の力を振り絞った。脳内では、あらゆる情報が入り乱れる。

選択は、人生の方向を決定する重要な要素。慎重かつ自分らしく行うことが、充実した人生を築く鍵。

さらに言えば、選択とは究極の思考。その時の脳内は深海。いや、宇宙の深淵。なのかもしれない。

そして、ついに僕は言葉を口にする。もう、そこには理論も感情もない。ただ、浮かび上がる言葉を発する。ただ、それだけだ。

で、パンなの?ご飯なの?
両親の声が、僕の脳を支配する。

僕は…僕は、ヨーグルト。

!!!

その後、僕はひどい嵐に晒された。もう、パンだったのか、ご飯だったのかすら覚えていない。

しかし、次の日の朝食にはヨーグルトが追加されていた。

これが、自分で選んでよかったこと。なのかもしれない。

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