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「仮面ライダークウガ」という傑作ドラマについて語りたい

昔テレビ局の採用面接を受けていた頃、「影響を受けた作品は何か?」と聞かれたら僕は必ずこの作品を挙げていた





幼少期の僕は男の子のご多分に漏れず、

3歳ごろから仮面ライダーにハマった。


ソフト化されている作品はほぼ制覇したが、仮面ライダー冬の時代とも言える

平成の始まりに生まれた僕は、リアルタイムで放送される

仮面ライダーを体験することなく

小学校高学年を迎える。





その頃には僕の興味も

普通の連続ドラマに移行し始めており、当時は親の影響で「古畑任三郎」や

「救命病棟24時」を視聴していた。





そんなとき、たまたま日曜日に

早起きして新聞を読むと、
ラテ欄に「(新)仮面ライダー」の文字。




久々に見る単語と


初めてリアルタイムで

仮面ライダーを観れることに感動を覚えた僕は、

興味本位で視聴することにした。



そして、その内容に度肝を抜かれることになる。




今でも覚えている1話を観終わった後の
最初の感想は、

「これ、普通のドラマじゃん」。






これが僕と「仮面ライダークウガ」の出会いだった。




◆「ヒーローもの」=「子供向け」という概念の破壊



初回視聴後、

僕が上記のよう
な感想を持った理由はこれに尽きる。




「クウガ」は、僕が知っていた

“仮面ライダー”のフォーマットを、

初回だけで清々しいほどに破壊した。






優秀な人間が悪の組織に捕まる


→改造手術を施されるが、脳改造の前に脱出


→悪の怪人が現れる


→優秀な人間が自然にライダーに変身



→必殺技で怪人を倒し、悪と戦い続けることを決意。




僕が観ていた、知っていた

”仮面ライダー”の初回の流れはこれ。

もちろん、これはこれで全然良いのだ。


今見ても初代「仮面ライダー」は面白いし、

「V3」「BLACK」あたりは


今でも話を思い出せるぐらい素晴らしい作品だ。

しかし、この「クウガ」は

仮面ライダーの世界の中にある
当たり前、トーン・マナーを
徹底的に無視する。



主人公は気の良さそうな
笑顔の似合う兄ちゃんだし、

悪の組織に囚われて改造もされない。




初変身時は戸惑ったまま、

なし崩し的に敵と戦い始める。


しかも、基本形態である赤い形態(マイティフォーム)は

初回には登場せず、決め技は普通のパンチ。

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未完成形態のグローイングフォーム。体色が白くツノが短い

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2話以降基本形態となるマイティフォーム。今見てもデザインが良い





当時はまだ子供だった僕だが、
初回放送を観ただけで

この作品が以前のライダーとは


一線を画する作品であることは理解できた。



この作品では

ライダーは容赦なく敵にボコられるし、果ては死ぬことさえある


主人公が何回も死にかける

ライダー作品はあまりないだろう。



新形態に変身したと思えば

主人公自身がそのスペックに戸惑い、使いこなせず敵にやられる。


中には変身後の姿が一切登場しない、または序盤5分ほどで

戦闘が終わってしまう
日常回も存在する始末。




この作品からは、

いわゆる”子供に媚びる”

姿勢を全く感じないのだ。





◆有能な組織

これまでの「仮面ライダー」という作品の中には、

警察など一般的な組織はほとんど登場しなかった。





初代「仮面ライダー」では

FBI捜査官の滝和也、

「仮面ライダーBLACK」では

滝をオマージュしたキャラクターとして

インターポール捜査官の滝竜介が登場するが、

彼らはあくまで

"個"として活躍するだけで、

所属する組織が目立つ機会はなかった





しかし、「クウガ」では
一条薫刑事が

クウガ=五代雄介のバディ的存在として

物語の一翼を担っているし、
一条の同僚も複数人登場しそれぞれ存在感を発揮する。

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この2人の名コンビっぷりも見所のひとつ




終盤では、強化した兵器で怪人

(しかも劇中ではかなり強い設定)


を倒したり、
かなり警察は
有能に描かれている。




その他にも、現場の警察をサポートする科学者や

クウガの身体検査や能力開発を
支える医者も登場。



組織として未曾有の敵に挑む、


という描写はこれまでの
ライダー作品には少なく、

リアリティを重視した描き方を含めて
「シン・ゴジラ」で使用された



「ゴジラが本当に日本に現れたら?」という


テーマと相通ずるものがある。






◆合理的な戦闘シーン

今のライダーでは当たり前となった
形態変化の概念が初めて登場したのもこの「クウガ」から
(厳密に言うと「BLACK RX」
でもやってるが、形態変化が
2種類なことに加え
マスクのデザインが全く異なるので度外視)


クウガ=五代雄介は

基本形態であるオールラウンダーの赤、スピード・ジャンプ力重視の青

、五感を研ぎ澄まし敵を狙撃する緑、パワー・防御力重視の紫、この4形態をベースとして戦闘を行う。


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クウガの戦闘シーンが魅力的なのは、
この4つのフォームが登場することに必然性があり、

うまく使い分けて
戦闘を行う点にある。



それぞれのフォームには
長所と短所(青はパワーが低下する等)が
あるため、


敵の能力や状況に合わせて
使い分ける必要があるのだ。




物語が進むにつれて

クウガがこのフォームチェンジを
使いこなすようになるのが
見どころのひとつ。


フォームチェンジに無駄な演出はなく、
さらっと体色を変えるのみ。


この戦闘シーンのリアリティの高さも
「クウガ」の持つ魅力だ。





◆敵組織は”殺めること”自体が目的




本作では、容赦なく人を殺める

"グロンギ"という存在が
敵として描かれる。






彼らは殺人を”ゲーム”と称し、

独自のルールを設けて
人を殺めていく



そして、ゲームを全てクリアすると

グロンギ最強の存在である
ン・ダグバ・ゼバと
戦う権利を得ることができる



これまでの仮面ライダーの敵と異なり、

彼らには“世界征服”のような


わかりやすい野望はない。


ただ、殺すことが楽しいから殺すのだ。


このグロンギの特性上、

これまでの作品より
殺人描写の残酷性が際立つ。





かわいそうだからと言って

学生や老人を見逃したりはしない。



(むしろ、集中的に学生を狙うという

残虐極まりない怪人もいた)



人間と似た姿をしていても、絶対にわかり合えない。



だからこそ、人間側の
絶望感が際立つ。




◆正義とは一体何か



ヒーローものの基本と言えば、
わかりやすい勧善懲悪だ。



何の罪もない人間を襲う怪物を、

ヒーローが力でねじ伏せる。



怪物はいかにも怪物という禍々しい姿をしており、

ヒーローはヒーロー然とした
カッコいい姿をしている。



このわかりやすい構造こそ

子供たちがハマる理由だろう。



しかし、本作の敵である"グロンギ"は、

善玉であるクウガと同じように

戦闘時以外は基本的に人間の姿をしている


しかも、物語が後半に進めば進むほど
一般社会に馴染んでいく。



最初は意味不明の言語を使用していた
彼らも

中盤以降は現代の日本語を
使うようになるし、


トラックを運転し人間を轢き殺す怪人やインターネットを駆使して予告殺人を
行う怪人も登場




極め付けはラスボスである
ン・ダグバ・ゼバ


彼は人間の姿をしている時は
主人公・五代に負けず劣らずの美青年であり、


変身後の見た目も非常にクウガに似ている

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そして、クウガの最強フォーム
であるアルティメットフォームは、

このン・ダグバ・ゼバと
対になるような黒基調のデザイン。



アルティメットフォームに
変身すると

クウガは
優しい心を失ってしまうとも
言われており、

五代は葛藤する。

暴力を持って暴力を制するのは
本当に正しいことなのか、

本作はそのテーマに真っ向から切り込んでいる。






◆主人公・五代雄介



そのテーマを背負う役割を
持つ主人公が、オダギリジョー演じる五代雄介。彼ははなんとも不思議な男である。



熱血漢が多かった昭和ライダーとは違い、彼は常に飄々としている。

冒険家として世界中を転々とし、初対面の相手にも人懐っこく接する。



いつでも笑顔でいることを信条とし、
無意味な争いや暴力を嫌う。
希望を見失った少年少女を諭したり、勘違いとは言え自分に銃を向けた刑事のこともあっさり許してしまう。

定職についているかはともかくとして、人間的には非常に優れた人物。

劇中でも、何もかもうまくいかない男に
嫉妬されるシーンがあるぐらいだ

最終決戦に赴く際に
身近な人に挨拶回りに行くが、死ぬかもしれないのに弱音一つ見せない。



しかし、いつも笑顔の彼が
実はなんでもないフリを
装っているだけであることが、
最終回手前の48話で明らかになる。

最強の敵、ン・ダグバ・ゼバと相対した
クウガは、壮絶な殴り合いの末に互いの変身ベルトを破壊。
変身が解除されお互い人間の姿に
戻るが、それでも戦いは続く。

ダグバは暴力を振るうことが楽しくて
仕方ないと言った様子で、
笑顔を浮かべながら戦い続ける


一方で、五代は涙を流し、嗚咽を漏らしながら拳を振り上げる


本当は殴られることも
殴ることもしたくない。
それでも、力を持った自分が戦うしかない。
誰かの笑顔を
守るためには、それしか
道がないからである。

思えば、
第6話「青龍」では通常なら
死んでる程の重傷を負い
痛みをこらえるシーンがあるし、39話「強魔」や45話「強敵」、47話「決意」では
殺される寸前まで追い込まれ、18話「喪失」では一度死亡している。


35話「愛憎」では残虐な怪人を
怒りのあまりボコボコにして
闇落ちしかけるなど、彼自身決して完璧ではない。

伝説のクウガ闇落ち直前のシーン

それでも、振るいたくない
暴力を振るって戦い続け、周りの人には弱音一つ吐かなかった。

「仮面ライダークウガ」は、暴力が最も嫌いな五代雄介の
究極の自己犠牲の物語でもあるのだ。






◆41話がベストエピソード

五代の強い思いが垣間見えるのが、
個人的にベストエピソードだと
思っている第41話「抑制」

五代の居候先である
喫茶店「ポレポレ」で働く、女優を目指してる少女・奈々。
しかし、物語中盤で芝居の先生を
未確認生命体に殺されてしまう
(直接的な殺害シーンが出てこないのも
またリアル)


その後立ち直った奈々だが、
物語終盤に受けたドラマのオーディションで「好きな人を未確認生命体に殺される」という内容の演技を求められる。

戸惑う奈々に、一緒に
オーディションを受けた女の子が「先生が殺されたこと、役に立ちそうだね」
と更に心無い言葉をかける。

その子に対して殺意を覚えてしまう
奈々に対し、雄介は
「暴力では物事は解決しない」と諭す。


しかし、奈々は「五代さんの言ってること、綺麗事ばっかりや」
と突っぱねる。



五代はそれを「そうだよ」と肯定し、こう続ける。

「だからこそ現実にしたいんじゃない。本当は綺麗事がいいんだもん。
 これ(暴力)でしかやり取りできないなんて、悲しすぎるから」

人間同士ならきっと分かり合えるはず、
という人間と似て非なるものと戦う五代の
切なる願いが込められたシーンである。
このシーンの二人の演技は圧巻で、何度も見返したくなる。


◆禁じ手を取っ払った功績

このクウガが残した功績の
一番大きなところは、「仮面ライダーでこれをやってもいいんだ」
と、禁じ手をなくしたことにある。
“平成ライダー復活”というタイミングで、安易に置きにいった作品を作らなかったことが功を奏した。


この後、
タイプの違う3人の主人公が登場する「アギト」、13人のライダー同士が戦うと言う
衝撃の内容「龍騎」と平成ライダーシリーズは
続いていくが、どれもクウガが「当たり前」の枠を取っ払ったからこそ実現した内容。

どこかで誰かが背負わなければならない役割を、この「クウガ」が果たしたことで
仮面ライダーシリーズの持つ可能性が大幅に広がった。

間違いなく特撮ドラマ史に残る作品であり、個人的にはTVドラマ史を語る上でも必要不可欠な作品であると思っている。

思いのまま書いてたらすげー長文になってしまった。
駄文すみません。

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