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01/23の日記 (こっち、そして上)





じゃーん


「#大人になったものだ」のお題で何か書きたいなぁ、なんて考えているうちに、また年をとってしまった。文字通り、またひとつ大人になった。

◇ ◇ ◇

家に帰る。ガチャリと玄関の扉を開けると同時に、ダダダダッと子供たちが逃げていく音が聞こえる。ここからもう、ニヤニヤしている。

玄関の前にあるベンチに、『にもつおきば』の目印。

ほほう、なかなかのホスピタリティじゃあないか。荷物を置かせていただく。

廊下には、『こっち』の矢印。どうやらリビングに誘導されているらしい。

「おやおや?なんだこれは~?」

子供たちのクククという笑い声が、リビングから聞こえる。

いくつかの矢印を辿って、廊下を進む。きっと、下を見続けてるほうがいいんだろうな…

リビングに入る少し手前、ほらやっぱり!『うえを見てね!』の合図。ニヤニヤがとまらない。

「なんだって?次はうえをみてだって~?」

顔を上げる。子供たちが跳ねる。「Happy Birthday」の文字。飾りつけの風船。お花。お誕生日おめでとうの、歌が始まる。

◇ ◇ ◇

「大人になったものだ」と思うときを考えたときに、一番最初に思いついたのが、贈り物を送るようになった、ということ。友達や、先輩後輩の結婚、出産、転勤、起業…などなど。

きっとそれは、自分が結婚して、子供が生まれたりして、思いがけずたくさんの人に祝ってもらえるようになったからかも。「内祝い」なんて、言葉すら知らなかったくせに…。

「贈り物を、贈りたい」という気持ちは、その人を大切にしたい、という気持ちから始まるものであるし、その人にとって大切な人でありたい、という気持ちの表れでもある。そんな風に他人のことを想えるって、おっとなー!と考えていた。

なのに今日、全力で僕の誕生日を祝ってくれる子供たちを見て、うーん、どうやら大人とかどうとか、関係ないらしい、と思う。

ある人を祝いたい、ある人に喜んでほしい、そういう気持ちは、子供のころからあるものだよなぁ。

少し違うのは、大人になってからというもの、見返りを求めてしまうところかも。「いい人に思われたい」「気が利く人だと知ってほしい」、そんな気持ちもどこかにあったりする。でも、もともとの「あの人に喜んでもらいたい」という気持ちはやっぱり嘘ではないし、贈り物はいつもそこからスタートする。

人に喜んでほしいことも、自分がいい人だと思われたいのも、どちらも結局そうなんだと思う。どちらか一方だけでも、僕は絶対疲れてしまうだろうなぁ。

そんなことに気づいたことが、「大人になったものだ」なのかなぁ。難しいな、このお題。まぁいいよ今日は、誕生日だし。

またそんなことを考えながら、ぼんやり年をとってしまった。何歳からが、大人なんだろうか。大人は辛いことも多いと聞く。泣きたくなったら、『うえを見てね!』の一言を思い出して、この一年も頑張りたい。

個人的には、「誕生日だけど平日だし明日も早いしビール一本飲んで寝る。週末に改めて飲もうね」となった自分と妻が、一番「大人になったものだ」と思える。ほんと大人になったもんだ。


お蕎麦屋さん開きたい。