『我が輩はペロである』三十七「唯一わかること」
もう、日が暮れる。猫はやはり、ここへ来てしまう。低い塀から夕焼け空を見上げる。カラスが巣に帰る姿が見える。
土井のばあさんの居た家には毎日来るのに、ペロの居たマンションにはあれ以来、一度も行っていない。
べつに、もう行く用事もないが、それならここだって、もう来る用事はないのである。用があるとか無いとか、理由はそんなとこじゃない。猫は分かっている。あそこに行って、ペロが居なければ、寂しい気持ちになるだろうと。
寂しくなるためだけに、わざわざあんなところに行くことも無い。
実に犬らしい、名誉ある死に様だったと思う。しかし、そんな事よりも、やはり生きている方が一〇〇倍良いと思う。
猫の死骸を見て、悲しむよりその前の生を想像しろ。そんなことを言っていた自分が恥ずかしくなる。どんなに退屈でも、惨めでも、やはり生きている方がいい。生前どんなに輝いていても、それで死が悲しくなるわけじゃない。むしろ輝けば輝くほど悲しみは大きくなる。そんなことにいまさら気づいた。
“ああ、分からない。世の中のことは何もかも分からないことだらけだ”いまの猫に分かっていることは、ただ、死が悲しいということだけだった。
“……まてよ、死が悲しいということは、生きているということは、それだけで喜びに溢れているのか? ……いや、そんなことは無いな。ただ生きているだけじゃ、死の悲しみに釣りあうほどの喜びではない……なら、やはり、輝かしい瞬間を沢山作らなければ……しかし、輝けば輝くほど、死の悲しみがさらに……”
そんなことを考えているうちに、猫はお腹が減っていることに気づき、そうすると、自然と『スナックはちきん』の痩せたママの姿が思い浮かんだ。
ゆっくりと起き上がり、ノロノロと『スナックはちきん』に向かおうとしながら、猫は若い雄に取られた、エサ場の魚屋を思い出した。
“取り返そう”
気づくと商店街の魚屋に向かって、足が進んでいた。“きっと負けるだろう”と思う。しかし、“それでもいい”と思う。
どんなに高く飛んでも、どんなに遠くまで飛んでも、みんな最後には、同じようにどこかに着地して、二度と飛び立つこともなくなってしまう。
虚しいと思うが、どうせなら、そうなるまで精一杯やってみようと思った。
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