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ドンキホーテ・サンチョパンサ

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ドン・キホーテや、サンチョ・パンサのように、正気を失っていたり、間抜けだったり――どういう訳かボクは、そういう人、あるいは物や事に、なんとも言えない魅力というか、愛着を感じる性質… もっと読む
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さよなら、ザリーさん

 当時ボクは、他人(ひと)に職業を聞かれたときに一言で説明するのが難しい、儲かりそうなことなら何でもやってみるけど、今のところはあまり儲かっていない会社に勤めていた。  手がけている仕事の中では、一番聞こえがいいので、普段はオーダーメイドのスーツを作っていると答えていた。  ある年の夏に入る前、社長(通称ボウズ君)から、松山市内で夏の間、毎週土曜日に開かれる夜市に何店舗か出店するという予定を聞かされた。ボクはその中で冷やしきゅうりの屋台を担当すること、という指示を受けた。

本籍地

 大阪府東大阪市菱屋東(ひしえひがし)453。住所の表記の仕方が変わってしまい、今では無くなってしまった番地らしいが、ボクの生まれた場所である。  長いこと本籍地だったのだが、家ではなく、病院の住所だ。  家は近辺の人間なら、誰でも分かるような同和地域にあったので、子どもが生まれれば、住んでいる場所ではなく、出産した病院で本籍を取得するのが、その地域ではあたりまえなのだと聞いた。  物心つく前に親の離婚で土地を離れたので、そこへ住んでいた当時の記憶はかなり少ない。――お泊まり

一番強かった男

 むかし好きだったことや物。あるいは人なんかが、いまでは自分の中でさして重要ではなくなってしまっていると気がつく時がある。  本当に、どうでもよくなっていれば、なにも感じないのだろうが、好きだった当時の感覚を、体の中のどこかしらが覚えているので、そんな時は、なんとなく感傷的な気持ちになる。  大人になった。成長した。衰えた。言い方はなんにしろ、そのことに関して、今よりも幼かった頃の自分はもう居ないのである。  死んでしまった旧友のように、心の中に影だけが残っている。  そんな

えったん

 家から職場に直接行くというのが、あまり好きではない。  寝過ごしたりという理由でもなければ、大抵はカフェによってコーヒーを飲みながら、すこしばかりボンヤリした後に職場に入る。  カフェに寄るお金が無いときなんかは、わざわざ少し離れた場所に自転車を止めて、街の様子を眺めながら、ダラダラと歩いて職場に向かう。  ずいぶん時間を無駄に使っているようにも思えるが、これから700円や800円なんていう小銭で時間を切り売りするのだから(ひどい時には500円という時給で働いたこともある)

ラーメンキング

 この人にだけは、なりたくないな。  そう思う人が、知り合いに一人いる。彼はボクより2つ年下で、これを書いている現在、28才。彼のようになりたくないと言っても、彼の性格やルックスに問題があるわけではない。むしろ、彼はナイスガイといっていい男だろう。  ただ、彼のように、不幸に気に入られたような人間には、なりたくない。  ボクらのような、徒手空拳で行き当たりばったりの生き方をしている人間にとって、ツキがないというのは大問題だ。  彼と初めて会ったのは、中学生のとき。――ボク

まぬけ

 何となく、『エッセイ』という言葉を使うのが、恥ずかしいというか、テレくさいので、この、『ドンキホーテ・サンチョパンサ』のことを、なんて呼んでいいのか戸惑うのだが、とにかく、まあ、この散文のタイトルは、甲本ヒロトの曲に『天国うまれ』というのがあって、その曲のなかで、「ドンキホーテ・サンチョパンサ――」という歌詞が繰り返し出てくる。  曲の雰囲気のせいもあるんだろうが、オカシイはずなのに、なぜか哀愁を感じるこのフレーズが気に入って、短絡的にそっから取って、こんな題名をつけた

ちゅうちゅう、たこ、かいな

 まったくオカシな言葉である。なにがオカシイと言って、言葉の響きもさることながら、てんで、意味がわからない。それでいて、馴染みがないわけではなく、知っている言葉なのである。  しかし、自分がどこで、この言葉を覚えたのかが分からない。テレビなのか、小学校なのか、そのどちらかのような気がするが、どちらも記憶にない。  言葉を覚えるなんてことは、そんなものかもしれないが、どうにも心地が悪いのは、テレビにしたって、幼少期に誰かが言っているのを聞いたにしたって、どちらもイメージがわ

右腕の時計

 ちょっとしたキッカケで、ひょんなことを思い出すことがある。集中力が散漫な時など特に。  先日、叔父さんに手紙を書こうと思い立ったが、ボクの部屋には机がないので、わざわざカフェまで行った。机が無いというのは半分言い訳で、小説家志望というクセに、筆不精なので、カフェに行くなり何なりして、やらなければいけない状況を作らなければきっと途中で投げ出すと思ったのだ。  深夜働いているボクは、仕事前によく、このカフェに立ち寄って、いつもは窓側の席で、表通りを眺めながらボンヤリと時間を

三番町の魔女

「1万5千円だからイチゴさん」そんな通り名を聞いたこともあるが、大体の人は彼女のことを『みどりちゃん』と呼んでいた。もうひとつ、違う呼び名を聞いたこともあるが、それは忘れてしまって、どうしても思い出せない。  イチゴさんにしたって、みどりちゃんにしたってみんな勝手にそう呼んでいるだけで、彼女がそう呼ばれて、ハイと答えるかというと、ずいぶん怪しい。  誰も彼女とちゃんとした会話を交わしたことなどなく、名前以外にも、彼女に関するすべての事柄が「どうやら、そうらしい」「誰々がこう

愛しき劣等生

 季節外れの話題で申し訳ないが、毎年クリスマスシーズンになると、夜道を飾るイルミネーションなんかを見ながら、ふと思い出す人が居る。  かといって別に女の子の話ではなく、クリスマスにこれといってロマンチックな思い出のないボクは、どういう因果か上田という、ボクより2つか3つ年上のむさっくるしい男のことを思い出す。  ガッチリした体格で、背はボクより低く、たぶん170センチぐらい。  仕事はまあ、その日を生きるために色々とやっていたが、定職は持たず、最後に会ったときには中古で買った